『中論』ってそういうことみたい。
空の世界は物自体?
読み進めているけどむずかしい。 これは二度読むやつだ。 まず一章読んで、ざっと概観をつかんでからもう一度読む。 そうやって一章ずつ押さえていく。 でないと何を議論しているか迷子になります。
で、六根のところに入ったんだけど 「六根清浄」の六根。 眼耳鼻舌身意。 五感と統覚の話ですね。 ああ、般若心経か、と思いました。
般若心経に「無眼耳鼻舌身意」とあります。 感覚器官が並んでいる。 そのあと「無色声香味触法」と感覚対象が否定される。 眼に対して色、耳に対して声という具合にペアをなしています。 「働きと対象」の二項対立ですね。
「見る働き」があって「見る対象」が定まる。 でも「見る対象」がなければ、それを「見る」とは呼びません。 眼が「見る働き」を担っているのは 「見る対象」があってのことです。 眼を解剖しても「見る」は取り出せない。 現象学の「ノエシスとノエマ」と思えばいいかな。 意識の志向作用とその対象との関係。
人は世界に色や形があると思っているけど、 それはそう捉える感覚器官があるからで 「物自体」に色や形があるわけではありません。 生まれつき目の見えない人には別のように世界が映っている。 『透明男と人間女』な世界だなあ。 見えている世界が「正しい」わけではない。
「空」は「物自体」を指しているのだろうか。 そう考えると「無色声香味触法」もわかります。 そうした対象は「そう見える。そう聞こえる」という話。 物自体から見れば「無」である。 その「物自体」から 現象として「色声香味触法」が立ち現れてくる。
「意」の捉える「法」が昔からわからなくて、 でも「諸法」で「物事」を意味するから (一般的な意味での)「モノ」としておきます。 五感を心で統合して「モノ」を認識する。 「現象」と読み替えればいいのだろうか。
Googleさんのお答え
『中論』と『般若心経』の関係が気になって Googleさんに尋ねてみました。
「ナーガルジュナの中論と般若心経、どちらが先ですか」
AIによる概要、便利です。「手がかり」になる。
これによると『般若経』群が先にあり、 それを理論化したのがナーガルジュナで、 その成果を取り入れたのが『般若心経』という順番ですね。 般若経+中論=般若心経。
『般若経』とは、『大品般若経』とか『金剛般若経』とかのシリーズもので 「呪文が大事」という内容です。 それまで在家には、お坊さんに寄付したり仏塔を建てたりしかできることがなかった。 お金持ちしか功徳を積めません。 そこを「そんなことより、お釈迦様の言葉を覚え、それを口にし、意味を知るのが大切だ」 と説いたのが『般若経シリーズ』です。 庶民にもできることがある。 そういう論文集です。
『般若心経』だと「ぎゃーてーぎゃーてー」のところ。 「呪」とありますが「呪い」ではなく「真言」です。 本当の言葉。 お釈迦さんが言ったとされる言葉を口ずさむ。 内容は 「進め進め。どんどん進め。進んだ先に悟りあれ。グッドラック」 という応援歌なんですけど。 それが『般若心経』の最後についてくる。
「ナーガルジュナの中論の内容を初心者にもわかるように教えてください」
これは長い。 Webクリップしておこう。
Obsidian、便利だなあ。
- 『中論』は、「すべてのものには不変の実体がない(空)」を論理的に説いた書。
- 「ある」でもなく「ない」でもない「中道」を目指す。
- 「固執した実体がない=自由」と理解する。
- 『中論』は、世の中のすべての事象に対する「執着」を離れ、自由な心を持つための知恵(般若)を学ぶための書です。
要点もまとめてくれます。
最終的には「物自体と現象」の二項対立も脱構築するのだろうか。 そこまで行かないと「空即是色」と言えないものなあ。 清水先生の本、読み進めてみます。
まとめ
Googleさんは何でも知っている。 (ううん、知ってることだけ)。
空の時代の『中論』について