ドゥルーズはおしまい。
ドゥルーズ生誕100年
前半の宮崎駿論がいいなあ。
ドゥルーズ生誕100年の解説本ですけど、 ドゥルーズについてはあまり触れていない。 そういう入門書ならいっぱいあるからです。 そもそも、変な人だから人生も面白い。 という話になりがち。
なので「ドゥルーズをツールにする」がコンセプト。 彼が生み出した概念をソフトウェアとして使ってみる。 いろんな場面に応用して「切り心地いいなあ」と感じてもらう。 そんな本になってます。
で「生成/存在」という二項対立。 これをジブリ・アニメに当ててるんですが、切れますね。 あ、そうかそういうことか、と切れる。 宮崎駿監督ってワンパターンなのね、と思うくらい。 たぶん『太陽の王子ホルス』から「生成/存在」じゃないか。
「存在」というのはアイデンティティです。 重力に縛られている。 社会的な役割に固着している状態を指します。 定住民的、というかな。
対して「生成」は浮遊しています。 ここのところ使っている言葉だと「遊動的」。 社会に縛られない。 この世とあの世の狭間に生き、その仲介を行う。 そうしたあり方をドゥルーズは「生成」と呼んでいます。
宮崎アニメではすべて「少女」が「生成」を担っている。 ナウシカもキキもふわふわと空を飛びます。 シータも飛行石で空から降りてきます。 彼女たちは現実と異界との境界に立ち、 その調整を司っている。
男の子は「存在」に縛られています。 残され島で暮らし、外に「世界」があると知りません。 大人たちも肩書きに満足し、それに固執している。 少年は「少女」に出会うことで村を離れ、旅立ちます。 そのパターンが何度も変奏しながら描かれる。
ドゥルーズは「存在」から「生成」に移行することを 「女になる」と呼びます。 男性中心社会の重力から離れ、何にも縛られず漂うこと。 「男らしさ」に価値を置かず、 自分の「女々しさ」も受け入れて生きること。
これはたぶん「戦後の価値観」ですね。 戦争が「雄々しさ」として称賛された。 その時代に対する離縁状。 ドゥルーズも宮崎駿も新しい「男らしさ」を模索し、 それを表現するため「少女」という姿を用いたわけです。
そう考えないと、ただの性役割論になってしまう。 ジェンダーの話にしてはいけません。 「少女」に幻想を押し付けるだけ。 それは男性が考えた「都合のいい女」ではないか。 冒険に出るなら「女の子」の登場を待つなよ、と言いたい。
でも、自分自身が「少女」となる。 そこが「出口」だという。 本当だろうか。
少女になる
ということで今回の『グノーシア』。 まさかユーリくんが「ユーリさん」になるとは思いませんでした。 せっちゃんも「わかった?」はないだろう。 いつもと違うじゃん。 驚いてあげてよ。
いわゆる「TSもの」で、男性が女性になったり、 女性が男性になったりする。 最近アニメで見かけるけど、これはなんなんだ? そう思うじゃないですか。
この本でわかりました。 これが「女になる」ですね、文字通り。 宮崎アニメでは「女になる」にならないのです。 いい年したおじさんが自分のアニマを「少女」に投影している。 ドゥルーズも宮崎駿も自分のやるべきことを外注してます。 ロリコンです。
「女になる」を考えるなら「TSもの」です。 そこから始めないと話になりません。 ユーリさんの言うとおり 「男ってあんなにバカっぽく見えるんだ」と発見する。 それが男社会の外部に立つことです。
開拓者はやっぱり高橋留美子かな。 『らんま1/2』でしょうね。 女性が少年マンガを描くとき感じる違和感を 「ギャグ」として昇華した。 遡れば平安時代に『とりかえばや物語』があり、 兄妹で立場を入れ替えるストーリーがあった。 古事記でもヤマトタケルが女装し、 女性が男社会の「他者」であることを利用している。
でも最後は「男」に戻る。 宮中で出世したり熊襲を征伐したりする。 男社会の価値観から離れることができませんでした。
おにまい
そう考えると『お兄ちゃんはおしまい』はすごかった。
「男」に戻らない選択をする。
AbemaTVで全話無料だったので見返してみたら、 リアタイしてた頃は「イロモノ」と見てたんだなあと感じた。 可愛さで媚びているし。 いえいえ、そんなことはありません。 これは丁寧に組み立てられた作品だと思いました。
何しろ前日譚がない。 原作で「男だった頃の話は要らない」となってるのでしょう。 「ひきこもりだった」という情報しかない。 男社会のレールに乗り損ねたわけです。
そこはパズーと同じで、自分では「存在」から抜け出せない。 「少女」の介入が必要になるんだけど、 自分が「少女」になってしまう方向がいいなあ。 妹のミハリは「兄の社会復帰」を目論んでいるのですが、 その社会が「男社会」でないところもミソ。
お兄ちゃんも「俺は俺」のスタンスは崩さないまま 「女の子」としての生活に溶け込んでいく。 世界の見え方も変わってきて 「こういうのも悪くない」と受け入れる。 人生がふわふわと動き出す。 そういう「社会復帰」ですね。
このプロセスの描き方が丁寧だと思いました。 結論を決めるところが重要なのではない。 こうしたのがドゥルーズの言いたかった「女になる」じゃないのかな。
まとめ
「女になる」と言っても「オバさん」はダメ。 井戸端で相互監視の情報交換をする。 スパイ防止法が大好き。 オバさんは「世間そのもの」です。 ネトウヨです。
ほんと「少女」はなぜ「オバさん」になっちゃうんだろう。 不思議だ。
ドゥルーズ入門: 来るべき知への招待 (1095) (平凡社新書 1095)