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今の子どもたちは解離世界にいるらしい

ネットとリアルの境界がぼんやりした世界? いや、そうじゃないような。

いつメンとぼっち

思春期センサー 子どもの感度,大人の感度

岩宮 恵子

「いつものメンバー」を「いつメン」と呼ぶらしい。 初めて知った。 スクールカウンセラーの岩宮先生が教えてくれる「今どきの子どもたち」。

「ぼっち」は知ってますよ。 「一人ぼっち」ですね。 アニメでよく見かけます。 「ぼっち」は避けねばならないらしい。 高校に入学する前からSNSを駆使してメンバー集めをする。 教室で出会う時点で「いつメン」を固めておかないといけないからです。

スタートダッシュで出遅れると最悪です。 高校3年間「ぼっち」が確定する。 学校に行っても誰とも話すことなく、 ひとりでお弁当を食べ、ひとりで下校する。

部活に入っても無駄ですね。 すでにグループが出来上がっていてLINEで連絡を取り合っています。 そこに後から参加することはできない。 部活の連絡もSNSでするので 「ぼっち」だと部室に行ってから「今日の部活はお休み」と知ることになる。

じゃあ「いつメン」になれば安心かと言えば、さにあらず。 「いつメン」の中で「ツッコミ・キャラ」と認定されたら 3年間「ツッコミ」をしないといけません。 話の流れをよく掴んで最後に「ツッコミ」で締める。 うっかりハズしたりしたら場がシラケるので、 これはこれで責任重大です。 いつ用済みにされ「いつメン」からハズされずんじゃないかと 戦々恐々としています。 「キャラ」を演じて疲れてしまう。

自我体験

日々「いつメン」の維持に明け暮れる子どもたちは 「関係志向」です。 自分を深める方向には向かない。 「いつメン」から嫌われないことに苦心している。

一時期流行った「自分探し」はもうありません。 あるのは「推し探し」。 アイドルやアニメの話題を「いつメン」の間で交わす。 しかも同担拒否です。 同じアイドルグループでも、同じメンバーを好きになってはいけません。 それぞれ違うメンバーを応援する前提。 「キャラかぶり」を嫌うからです。 自分の個性を「誰推しか」で表現する。

もし「いつメン」の間で軋轢が生じたら 「なかったこと」にしてやり過ごします。 SNSで仲違いしてメッセージをブロックすることはあっても、 教室ではいつものように楽しくお喋りする。 「いつメン」が壊れることを恐れるからです。

岩宮先生はこれを「解離っぽい」と呼びます。 たしかに心理学的には「解離」ですね。 まるで二重人格のように振る舞う。 葛藤を抱えず「なかったこと」にして忘れてしまう。 本当に記憶から消えているかのように「キャラ」を演じる。

宮脇先生の研究に「自我体験」というのがあって、 本来10歳くらいになると「自分」に目が向くようになり、 自分のかけがえのなさに気づくと同時に 「自分は宇宙の中にたくさんいる生命の一つにすぎない」と発見する。 そうした時期があります。 『涼宮ハルヒの憂鬱』のテーマですね。 たしかに最近のアニメで見かけないなあ。

追記:考えてみると『涼宮ハルヒ』は第3レンマなんだな。

岩宮先生によると、それが17歳くらいにずれ込んでいるのじゃないか。 昔は自然とできる共同体があり、 その共同体からの自立が10歳くらいのテーマだったのに、 今はまず「共同体を作ること」が人為的な作業になっていて 「自我体験」がやっと高校や大学で取り組めるのだろう。 そういう推理をしています。

たしかに身体部位をバラバラに描いた描画を見ると ラカンの「寸断された身体」を思い浮かべます。 中学生くらいではまだ統合された自己イメージが形成されていない。 シェマLの「対象a」の位置にいるのでしょうね。 「自我体験」は「大他者A」から自分を見る段階だろうから、 まだまだ先というか、自己像の形成を経由しないといけない。

解離文化圏

ただ「ネット社会になって子どもたちが解離を起こすようになった」 という話にされると「本当か?」と疑ってしまいます。 もう少し単純な話じゃないか。

もともと「解離っぽい人」はいっぱいいたけど 「困ったことはなかったことにする」のだから カウンセリングを受けるわけ、ないじゃないですか。 1990年代以前には心理学の対象でなかったのでしょう。

それが学校へのスクールカウンセラーの導入や 阪神大震災以降の「心のケア」で心理士がPTSDと遭遇するようになり、 そこで初めて「解離」が現代的なテーマになったように思います。 「突然キレる17歳」とかですね。 普段は物静かな高校生が、 学校で急にモードが変わったように暴れ出し、 それを止めるのに先生たちが右往左往して、 落ち着くと「そんなことしてません」とケロッとしている。 葛藤をうちに抱えることができず、 矛盾は無視して「なかったこと」にしている。

嘘をついているわけではありません。 本当に忘れている。 暴れたことを自分の「キャラ」に回収できないので 物語化できない。

それが10歳や17歳になって「自我体験」が起こり 「自己イメージ」という器で葛藤を抱えるようになるかというと、 本当かなあ。 それは「専門家の嘘」じゃないか。 それができるようになるのはカウンセリングを受けた結果であって、 一般の育ちでは「解離」のまま大人になるんじゃないかと思います。

なぜか。 それは「学校」がそもそも「解離文化」だからです。 イジメや体罰、性虐待の事件が起こると、 担任も校長も教育委員会も「そのような事実はなかった」という。 あれは嘘をついているのではありません。 本当に「記憶」にないのです。 見たとしても「なかったこと」になっている。 大人になっても「解離」のまま生きている。

時間割で動いているからかなあ。 5分くらいの休み時間で「体育」から「算数」、 「国語」から「音楽」とモードを切り替えて過ごす。 さっきまでの科目の疑問を引きずってはいけません。 気持ちを切り替える。 握手したら仲直り。 それができないと「こだわりが強い」と判定される。 「発達」の問題として片付けられてしまう。

一生懸命「解離」の反復練習をしています。 たぶん「自我を育てる」という観点はないと思う。 そうした学校文化の中に 「自我を育てる」のカウンセラーが入るようになって 「あれもこれも解離じゃないか」と驚いているのが 岩宮先生の本じゃないかな。

驚くほどのことじゃないですよ。 日本はもともと狐憑きや犬神憑き、夢幻能の文化圏だから 「解離」が根っこにある。 「自我を育てる」なんて視点、 この国には今までなかったのです。 80年代に一時期あっただけ。 とても単純で、とても根深い。

まとめ

自虐史観」と言い出したのも「解離」で解けそう。

だいたい裏金問題さえ、 誰がいつ始めたかを誰も覚えていません。 年寄りでも「解離」がまかり通る。 「派閥=いつメン」から排除されると生きていけない?

記憶力テスト

沖縄尚学、初戦突破おめでとう。

で、ここで問題です。 「沖ツラ」のヒロインの名前、思い出せますか。 もちろん、比嘉さんは「かーなー」ですが、 喜屋武さんの下の名前は?




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