Twitterで「エディタの10年後を考えないと」みたいなフレーズを見て 「そうだよなあ。目先の流行はすぐ廃れるものだし」と思い 「そもそも10年後、自分は生きてるのかなあ」と寂しくなりました。
生きてても、認知症が始まっていたら悲しいし。
生成AIがどうなるか
エディタって自転車ですよね。
自動車には革命が起きるかもしれない。 EVが覇権をとるか、水素電池が画期的になるか、はたまた別のテクノロジーが現れるのか。 これは予想できません。
でも自転車は10年経っても自転車でしょう。 人力で動かす乗り物として完成形になっている。 エディタも同じで、大きな変化はないんじゃないかなあ。
生成AIはアシスト付き自転車のイメージですね。 坂道を登るとき、少し楽になる。 あったらあったで便利だけど、 じゃあ、全部それに置き換わるかと言ったらそうでもない。
自転車を押しながら登っても構わないわけです。
ローカル・ファースト
ファイルがクラウドにあったり、アプリ内でないと使えないのだと、 それは自転車ではない。 Obsidianみたいに「Obsidianのフォルダ内だけ」というのも違いますね。
道があればどこへでもいける。 そういうツールであるべきです。
PDFで出力する
「紙に印刷」という発想から離れてほしい。 印刷を前提としなければMarkdownで配布でも構わないわけです。 書いてものをそのままアップロードするので済む。
ただMarkdownだと上書きというか、 悪意ある改変をされるリスクがあるので「リード・オンリー」にしたい。 その場合はPDF形式が今のところ最適だと思う。 画像とかも組み込めるし。
Markdownで書いてPDFに出力する。 これはデフォルトでサポートしてほしい。
その上で生成AI
自分の足で漕いでいく。 生成AIはその先で現れるものです。 ちょっとヒントがほしい。 そんなときに尋ねてみる。
下書きを挙げてもらって、そこから連想したことを書く。 対話相手として生成AIは欠かせない存在になっていくかもしれません。
でも生成AIがエンジンになったら「自転車」ではなくなると思う。 「原付」になる。 それも悪いとは思わないけど 「プロンプトを考えるところ」で人を選ぶんじゃないだろうか。 誰もが手軽に使える「自転車」には不向きかもしれません。
まとめ
以上3点を「これからのエディタ」として考えてみたけど、 パソコンなら「昔からあるやん」な特徴ですね。 なのに、iPad用にはあまり見かけないんです。
あと「不易流行」と言うように、 流行自体は追いかけてコロコロとツールを乗り換えるもアリだと思います。 実際、今ままでもそうしてきました。 それはそれで楽しいし、全然後悔していない。
流行から離れたところに「不易」があるのではなく、 むしろ、流行に流される中で「不易」が浮かび上がってくる。 そういうのもあるかと思います。