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重層的な非決定へ

昨夜は9年ぶりに「西村博之VS東浩之」の対談が行われると言うので、ニコ生の配信とゲンロンの副音声チャンネルを同時に観ていた。

東は事前の雑談配信でしきりに「ひろゆきに論破されてくる」と自虐的なことを言っていたが、むしろほぼ一方的に喋りまくって圧倒していた印象。

守勢に回った西村が挽回を期してか東の失言を誘うような意地の悪い問いかけを再三投げかけるも、むしろ正面から誠実に答えていた東の好感度が上がった。

いつ東がガチバトルモードになって西村に対して「最近すっかりいいことばかり言う人になってるけど、おまえ本当は日本のことなんてどうでもいいと思ってんだろ」的な仕掛けをするのか興味を持って見ていたのだが、見た限りそうした場面は現出しなかったように思う。ニコ生が終わった後、五反田のゲンロンカフェでさらに続きがあったようだが、シラスで配信されたそちらは観ていない。

結論的にいえば、今の日本で見るに値するほとんど唯一の知的見世物であるといってよかったこの博之と浩紀の対話は「現在」の日本が陥っているひとつの文化的虚無(文化の不在)を象徴するものとして受け止められた。

そしてこの中年男性どうしの軽躁的な雑談を大画面で眺めながら冷静なツッコミを入れ続けていた二人の若者(山内萌×植田将暉)には、限りない「無」への接近に抗おうとする意志よりも虚無を受容しそれと積極的に戯れることによってしか己の実存を確認し得ないことへの密やかな苛立ちのようなものが感じられた。




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