藤井風「インドはまるで故郷のように感じます」
幼少期にバジャンを歌い、ムンバイで開催されたロラパルーザ・インディア2026のステージを満員にするまで、藤井風のインドデビューは、音楽であると同時に精神的なつながりの探求でもあった。
Shamani Joshi
ムンバイで開催されたロラパルーザ・インディア2026の会場。夕焼けが沈む中、日本のシンガーソングライター兼ミュージシャン、藤井風がH&Mのステージを、奔放な華麗さで滑るように駆け抜ける。蜂蜜のように艶やかな髪が風になびき、まるで別世界のオーラを放つ。風はまるで曲芸師のように体をくねらせ、「ハチ公」「死の向こうへ」「プレマ」といった人気曲を駆け抜ける。腰を突き出したり、腕を振り回したりするたびに、観客は歓声で沸き立つ。
パフォーマンス直後、ローリングストーン誌インド版のバックステージでインタビューを受けたカゼは、興奮で目が回るような様子だったが、同時に子供のような好奇心も持ち合わせ、自分がいる場所のあらゆる詳細を吸収しようと躍起になっていた。インドは彼にとって「心の故郷」のように感じており、ムンバイで大勢の観客の前に立ったことで、その思いはさらに深まったという。「正直に言うと、ショーをするのは少し大変だった」と彼は認める。「でも、外国にいるという感じはしない。インドにいると、ここが故郷のように感じられ、ここにいるべき場所なんだ」
岡山県里庄町で生まれ育ったKazeは、家族とバジャンやマントラを定期的に歌い、インドのスピリチュアルな雰囲気の中で育った。Jポップ界のセンセーションである彼にとって、インドへの訪問は今回で4回目。前回は2022年にウッタラーカンド州の丘陵地帯でミュージックビデオ「 Grace」の撮影で訪れており、インドの舞台でのデビューは待望のデビューだった。しかし、彼にとってはそうは感じられなかった。「すでに何度もここで演奏したような気がして、今日もその1回に過ぎなかった」と彼は認める。彼は、うまく説明できない何かに惹かれ、何度も戻ってくると主張する。
Kazeのアーティストとしての進化は、必ずしも直線的ではなかった。何千人ものオンライン上の注目を浴びながら育ったこの日本人アーティストは、12歳でYouTubeでカバー曲を公開し、音楽活動のキャリアをスタートさせた。数千人規模のコミュニティはゆっくりと成長し、彼の歌詞の一つ一つをまるで福音のように信じる、何百万人もの熱狂的なファンへと成長した。しかし、寝室で一人音楽を制作していた若いミュージシャンにとって、その注目度の高さは、周囲に広がりつつある聴衆から切り離されているかのような、奇妙で孤独な感覚を伴っていた。
そのパラドックスは数年後、彼のブレイクアウトヒット曲「死ぬのがええわ」が最初のリリースから何年も経って、パンデミックの真っ只中にTikTokで爆発的に広まったときに再び浮上した。再び、Kazeは寝室に閉じこもりながらインターネットの名声に浸っていた。それ以来、ドバイのコカコーラアリーナやムンバイのマハラクシュミ競馬場など、世界的な会場を簡単に満員にすることができたにもかかわらず、その非常に個人的なオンラインの関係を共有された物理的な経験に変換するのはゆっくりとした旅だった。
「自分らしいやり方でパフォーマンスする方法をまだ模索しているところです」と彼は率直に言う。彼にとって、パフォーマンスは儀式のようなものだ。「毎回、精神的にも肉体的にも準備していなければなりません。それは常に簡単ではありません。でも、より良いバージョンの自分になりたいと思うようになります。人間として成長するのを助けてくれます。」
オフステージでは物静かで思慮深いKAZEだが、ステージ上では自由奔放な存在に変身し、自信に満ちた遊び心と温かさを放つ。そのエネルギーは、彼の自己表現のあらゆる側面に及んでいるようだが、おそらく最も顕著に表れているのは衣装だろう。1970年代風の蝶々柄のフレアパンツに、柄物のピンクのシルクシャツ、茶色のベルベットジャケット、トライバルモチーフのネックレスを合わせ、そしておそらく最も重要なのは額の黒いティカ。彼のアンサンブルは、ステージ上の彼のペルソナにぴったり合う、混沌と色彩の万華鏡のような衝突だ。
「70年代のロックスター風の衣装に、とてもインド風のティカを合わせた感じで、少しランダムに感じるかもしれないけど、うまくいくんだよね。分かるでしょ? すべてがつながっているんだ。」同じ混沌とした繋がりは、ポップ、ジャズ、R&B、ソウルを行き来する、この日本のヒットメーカーのジャンルを超越したサウンドの象徴でもある。「私にとって、これは私の音楽でもあるように感じます。なぜなら、私が作る音楽には特定のジャンルがないからです。」
藤井風にとってインドは特別な場所を占めており、彼はサンスクリット語を学び、将来はインドに移住して宗教歌手になりたいと語っている。彼は、宗教的な曲がダンスフロアで新たな命を吹き込まれている、クラブでのバジャンの盛り上がりに特に興味を持っている。
「インド哲学から学んだスピリチュアルな部分を、すごくカジュアルでポップでクールな感じで伝えたいので、すごく素晴らしいと思います。だから、そういうスピリチュアルな感覚を、こんなに楽しい雰囲気で共有できるのは素晴らしいことだと思います」と彼は笑顔で語る。
(記事おわり)
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人気アーチストが宗教歌手に転向するという例で真っ先に思い出すのは、1979年に大ヒット曲「異邦人」で衝撃的なデビューを飾った久保田早紀だ。

誰もが知っている国民的ヒットソングとなったこの曲以降、目立ったヒット曲はなく、気が付くと教会で賛美歌やゴスペルソングを演奏し歌う人になっていた。
『異邦人』をピアノで弾き語りするテレビの歌番組におけるソリッドで妖艶ともいえるイメージと、後年の穏やかな聖母のような音楽宣教師となった彼女とのギャップにはかなりのショックを受けた記憶がある。

久保田に大きな影響を与えたという小坂忠もまた宗教歌手への転向を遂げたミュージシャンの一人である。
彼については亡くなったときの記事に書いた。
彼が信仰に目覚め教会に通いゴスペルを歌うようになったきっかけは、家族の事故だった。以下は小坂忠が文藝別冊「マーヴィン・ゲイ」によせた文章の要約である。
1975年の「ほうろう」のツアーがひと段落して家でくつろいでいる頃に、一人娘が全身に熱湯を浴びるという事故が起きた。クリスチャンだった妻の祖母の勧めで生まれて初めて教会に祈りに行った。
その一か月後に、ひどかった火傷が癒されるという奇跡が起こったという。このことがきっかけで神にについて考えるようになり、本当に神がいるのだったら知りたいと思った。
それで聖書を読み始め教会の礼拝にも通うようになった。やがて自分が求めていたものがここにあることを知った。神の愛と神の赦しこそ自分の求めていたものだった。
洗礼を受けてクリスチャンとしての新たな人生が始まった。日本中のいろんな教会に呼ばれて歌いに行った。しかし次第に教会に矛盾を感じるようになった。しかしキリストに対する思いは変わらず、1991年には教会の牧師となってキリストに仕えるようになった。
久保田と小坂はキリスト教で、藤井はヒンズー教という違いはあるにせよ、スピリチュアリティを音楽活動の柱に据えてやっていくという姿勢には共通するものがある。
海外にはジョン・コルトレーンやジョージ・ハリスンはじめ、そうしたミュージシャンは枚挙にいとまがない。
藤井がスピリチュアリティに理解のない日本での活動に息苦しさを感じてきたのは理解できる。インドに移住してバジャン歌手になりたいというのは自然な本音だと思う。
無理して日本でポップスターを演じ続けるよりもインドでスピリチュアル歌手としてマイペースな活動をやっている方が長期的にはワールドワイドな成功につながるような気もする。藤井風の本格的なサンスクリットの曲も聴いてみたい。

そーいえば、『異邦人』の歌詞について菅野完が解説していたおもしろ動画があったので文字起こししておく。
異邦人ってね、あれね、神が作った曲なんですよ。
久保田早紀本人が言うてるんやけど、異邦人が流行り出して夜ヒットに初めて出た時に、「さきちゃんはこの曲をいつ作ったの」って、吉村真理が聞いたら、「中央線に乗ってた時に曲が降ってきました」って言うたんよ。
そしたら井上順がすささず「高円寺から阿佐ヶ谷にかけて」って言うてました。
あそこで「高円寺から阿佐ヶ谷にかけて」って言えたのは天才です。
そうなんですよ。仰る通り高円寺から阿佐ヶ谷っぽいんですよ。
国分寺から立川ではないんです。高円寺から阿佐ヶ谷っぽいんですよ。
ま、いずれにせよですね、異邦人の歌詞はね、もう神が作ったとしか思いようがない。
近代日本文学の傑作と言ってもいいぐらいなんです。
「子供たちが空に向かい両手を広げ 鳥や雲や夢までも掴もうとしている」
つまり自分とは違う他人が上向いてるんです。
「その姿は昨日までの何も知らない私」
さっきは子供たちで下から上を向いてるという物理の縦軸やったのにも関わらず、次は自分視点で時間の横軸になるの。縦軸と横軸なの。
「あなたにこの指が届くと信じていた」
雲や鳥に手が届かない人のように自分の指が届かないって言ってる。すごいメタファーなんです。
で、すごいメタファーで自分じゃない他者の物理的な上下の軸の話をして、自分の時は横軸の話をしてて、次に
「空と大地が触れ合う彼方 過去からの旅人を呼んでる道」
って言うてる。すごいのよ。このこのディメンションの広がりが。
で、その次に現在の時制に戻って、
「あなたにとって私ただの通りすがり」
っていうのね。
時空という言葉がありますけども、最初「子供たちが空に向かい両手を広げ、雲や鳥や雲や夢までも掴もうとしてる」と時空で言うと空(空間)の方です。
で、それが次になると「その姿は昨日までの何も知らない私 あなたにこの指が届くと信じていた」って言うて、時空で言うと時(時間)の方に行くんですよ。
ここで時空を全部表現しちゃってんのよ。
シルクロードの情景が浮かぶとかではなくて、人間を支配する時間と空間というものを
全部、全部表現してるんです。
で、それを最後にパーンって引いてメタ的な視点で「空と大地が触れ合う彼方 過去からの旅人を呼んでる道」。
「空と大地が触れ合う彼方」ってこれ時空で言うたら空(空間)でしょ。
「過去からの旅人を呼んでる道」って時(時間)でしょ。
空・時・空・時の順番に並んでるのよ。
いや、これはね、久保田早紀さんが敬虔なクリスチャンだからキリスト教だと思ってるけど、これ概念としては般若心経ですよ。
色不異空 空不異色
色即是空 空即是色
って言うてるんです。
これすごいのよ。これまさに
で、「空と大地が触れ合うかなた 過去から旅人を呼んでる道」って言って、時空の融合をやった後、「あなたにとって私ほんの通りすがり」ですよ。
「ちょっと振り向いてみただけの異邦人」
って言って徹底的な孤独にいる自分を表現するの。
時空の融合を見定めておきながらその時空を見定めてる自分は徹底した孤独にいるってことに気づくっていう。
で、ここで転調かかってんのよ。
でね、次すごいのは、ここまでは視覚情報なんです。
「子供たちが空に向かい両手を広げ 鳥や雲や夢までも掴もうとしている」。
それは視覚情報なので、「その姿は昨日までの何も知らない私、あなたにこの指が届くと信じていた」っていうのは時空の両ディメンションに渡ってるけども、全部視覚情報なんです。1番はね。
それで2番は、
「市場(いちば)へ行く人の波に体を預け 石畳の街角をゆらゆらと彷徨う」
「祈りの声 蹄(ひづめ)の音 歌うような騒(ざわ)めき」
「私を置き去りに過ぎていく白い朝」
って、聴覚情報になってんねん。視覚から聴覚に移ってんねん。
最初、1番最初のリリックは〈目〉の情報ばっかりなの。
時空の両ディメンションを目で見てるの。
で、次2番になったら〈耳〉に変わるの。目から耳に移るの。
ほんで最後の
「時間旅行が 心の傷を なぜかしら埋めていく不思議な道」
ディメンションの統合が終わって、圧倒的な孤独を視覚で表現して、聴覚で表現した後に、心の問題や言うのよ。
目で見てディメンションを把握して、耳でディメンションを把握して、最後そのディメンション超越して、
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
(ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか)
で心に帰ってきてんねん。
最初目で見える話は
のとこぐらいまでは心で分かる、体で分かる世界で、体で分かってるから
色即是空 空即是色
って言うて、最後にそんなもんどうでもええねん言うて、
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
で終わるんですよ。
目で見て耳で聞いて全部アウフヘーベンして徹底的な孤独やってことに気づいて、最後心で解釈して終わりにしましょうって言うてるんです。
で、最後、
「あとは哀しみを持て余す異邦人」
で終わるんです。
リピートのフレーズここだけですよ。
目の情報、耳の情報で圧倒的な孤独感を味わった後、全てをアウフヘーベンして心の問題だってことを解釈した後に、自分は異邦人である、このディメンションとは無関係なんだってことで関係を切る。
すごくね、この曲。
もうどうにもならなくなって、どうにもならなくなって、目で見る情報、耳で聞く情報全てで、仏教的に言うと五蘊全てで感じたものが自分の中では処理しきれなくなって最後心の問題ですって言うて悟りの世界に入っていくと。
悟ると自分が負けだっていうことは分かってるからこのディメンションとは私は関係ないって言って突き放して、「私は異邦人です」っていう宣言であの曲を終わっていく。
すごいのよ。
で、あそこで
「時間旅行が心の傷をなぜかしら埋めていく不思議な道」
にはまり込んでたらそれは野狐禅の世界に入ってしまって違う修羅道に入っていくんやけど、このディメンションは自分に関係ないってことで、自分は異邦人やって言い切るんです。
あそこで人間に戻ってんねん。修羅の世界と自分は距離をおきましたって言うて。
高円寺から阿佐ヶ谷の間でこの名曲が生まれてるんです。
これはね、野里から八家の間では生まれないですよ。
梅田と御影でも生まれへんな。生まれへん。生まれへん。
うん。松戸と柏でも生まれへんな。
池袋と和光の間でも生まれないです。
もうね、もうこれはね、絶対ね、高円寺と阿佐ヶ谷の間しか生まれないです。