
斎藤元彦が「はりまなだ」をどうしても「はりまだな」と言い間違えてしまうのは灘中へのコンプレックスの無意識的な表出だと言っている人がいた。
失言しないようにあらかじめ心の鎧をガチガチに固めて定例記者会見に臨んでいる斎藤元彦は、想定できる質問には予め決まった定型文(テンプレ)で回答するので、フロイディアン・スリップが生じるのは想定外の質問が来た時に多い。
例えばちだい氏に「好きな食べ物は?」と聞かれて「すべてのものをおいしくいただいています」という珍回答があったが、これは「外界に起こるすべての事象を自分に都合よく解釈する」という態度の無意識的な表出であると考えられる。
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いわゆる「アンチ斎藤元彦」側の人々が見ている世界と「斎藤元彦支持者」が見ている世界はまったく異なる。両者の間には分断があり、同じ時空間に生存しながらも互いに異世界に暮らしているようなものである。
そして斎藤元彦本人が知覚し、認識している世界と言うのは、われわれの想像を超えたものかもしれない。彼は彼を取り巻く支持者たちが提供する情報のみを摂取し、彼を支持する人々によって形成される環境の中に安住しているように見え、「プロテスター」たちの声は単なるノイズとしてしか知覚していない。すべての知覚を自己に都合のいいような情報に書き換える頭脳の再プログラミングを行っていると思われる。
晩年のスターリンは一日中書斎に籠り、食事は日に三度部屋の窓越しに受け取っていた。要するに拘置所内の独房生活のようなものであった。
現状斎藤元彦個人のYoutubeチャンネルは二つ存在する。
一つは
だが、こちらはすでに運用を停止しており、現在はこちらがメインである。
こちらは1年程更新が止まった後、昨年11月末から精力的に更新している。
さいとう元彦ってどんな人?【Part 1.誕生から青春時代まで】誰も予想できない驚愕のエピソードがありました。
兵庫の躍動を止めない斎藤元彦です。え今日は自己紹介をしたいと思います。
私は1977年兵庫県の神戸住区で生まれました。
幼稚園は市立の若葉幼稚園に通いました。
え寡黙であまり喋れない子だったという風に言われてました。
え小学校は神戸市立の若宮小学校に通いました。
え下町でえ本当に仲良くいろんなあところに行って遊んだという風に思って
ます。
え須海岸が近くにありましたんで夏休みには本当に毎日のように泳ぎに行っ
て真っ黒になってました。須海岸は私の本当にえ思い出の場所です。
え小学校の休み時間はあの校庭で虫を集めたりしましたね。例えばあのゲジゲジとかを集めてえそれを袋に入れてえ教室に持ち込んだた
その袋が開いてしまってえ床中にゲジゲジゲジゲジが数10匹走り出したということもありました。
え好きな給食のメニューは牛乳とあとはあのクジラの肉ですね。これをパンに挟んで
え食べるのがすごく好きでしたね。
中学受験をしましたんでえ小学校の時は塾に通ってました。
え中学受験に挑戦しましたがえ神戸市内の私立中学の受験にえ失敗しまして、それでえ愛媛県の松山の愛光学園というところに住みました。
え小学校卒業して親元から離れてえ最初は10人1組の部屋だったんでまどこの誰かわかんない人たちと一緒の部屋で暮らしたというのは本当に強烈な思い出になってます。
あの最初の初日に寝た時にあもう次の日帰ろうと思いましたね
でもまあの2日も経つとまみんなやっぱお風呂一緒に入ったりえ食事したりするんでもうすぐ仲良くなって本当にあの一生のえ友達作りができたと思ってます
8人一部屋だったかもしれないですけど
えっとまやっぱり夜中起きたり夜中やっぱどうしてもちょっと友達と話したりしたくなるんですけどまそんな時にえすごい注意されたりとか
まあんま言うとあれかですねあのやっぱりお風呂ですね
え僕は中学1年生だったんですけど中1から高校生までえいろんな学年の人たちが6時ぐらいまでにお風呂に入んなきゃいけないんですけど部活終わってからから入るとなるともう全員が一挙に集中するんでそうするとあのシャワーの位置とかあの湯舟の位置のあの競争になってですねそれで上級生が来てぶわっとこう払いのけられて順番待ちができなくなったりとかまそんななんか理不尽なこともよくありました
エピソードがなんか弱いな微妙なエピソード微妙なエピソード
さいとう元彦ってどんな人?【Part 2.青春時代から現在まで】地方自治に携わりたいと思ったキッカケは◯◯時代にあった!
兵庫の躍動を止めない斎藤元彦です
え今日は自己紹介をしたいと思います
中学時代はソフトボールをやってました
あの高校はテニスをやってました
やっぱ球技が好きでえしかもあの道具を使う球技系が好きなんですね
そしてえ大学受験はあの一度失敗しましてえ神戸で1年間予備校生活をしてました
まあの1年間の予備校生活は結構変だったんですけどやっぱりこう東京大学を目指したいということで仲間それからまライバルにもなったんですけどまその人たちと一緒に1年間本当に勉強した思い出が深いです
えっと大学はあの東京大学の経済学部に入学しました
初めての東京生活でえ1人暮らしでしたんでま不安もありましたけどやっぱり楽しいことがたくさんありました
え大学は実はえ駒場から本郷にえ進学する時に留年をしましてまこれは僕にとって本当にショックだったしま人生の転機にもなったということです
え大学卒業後はあの総務省に入賞しました
まあのやっぱり考えるきっかけになったのはあの大学時代留年した時でやぱ自分がどういうことやりたいのかという風に考えた時にやはり故郷の表でいつか戻って地方自治ですね
まここういった自治体や行政の仕事をしたいという思いがあったんでえ総務省に入所をしました
え総務省ってところはあの全国の自治体にいろんなところに行ってえ現場の経験をするというのが特徴なんですけども
え震災後は宮城県庁そして最後は大阪府で勤務をしてあの都会から地方そして離島とかまいろんな地域でえ経験を進みました
まそれぞれの地域でいろんな働き方がやあの文化の違いがあったりしてまそれは私にとっての本当にえ経験の蓄積になってますね
令和3年度の知事選挙でえ知事に当選しました
まあの総務省を心出したのもやはり地方自治の行政を目指したいとそしてえいつか知事
になりたいとそして故郷のために力を尽くしたいという思いでえいましたんで
あのいろんな人との出会いそしてチャンスをいいて令和3年にえなることができました本当に多くの方に感謝を申し上げたいと思います
・アメリカが示した「無罰の暴力」が世界に与える影響
・国内政治のための短期決戦が引き起こす国際的不安定化
・トランプとプーチンの“危険な共通点”
・大国の判断ミスが第三次世界大戦に直結する可能性
といった視点から、ベネズエラ空爆の本当の意味を深く掘り下げています。国際政治は今、大きな転換点を迎えています。
台湾、ウクライナ、ベネズエラ──これらの出来事を別々に見る時代は終わりました。
武力が世界を動かす“力の時代”へ逆戻りするのか、それとも思いとどまれるのか。
その分岐点が、まさに今、私たちの目の前で起きています。