たとえば、平和だとか、人道だとか、自由だとかいう観念は、万人の望む普遍的な観念である。しかし、それが単なる観念である限り、人々を沈黙させ共感させる力はない。だから、人々はそこからしゃべり始める。誰も彼もが合理的にしゃべっているつもりなのだが、もともと厳密にでき上がってはおらぬ定義から出発したものだから、曖昧な糸が幾つも幾つも生ずる。つまり平和という観念は、ついに論戦を生まざるを得ない、そんな道をたどるということが、いったい、人間が思索するということなのか。
小林秀雄『私の人生観』
小林の言うように平和という観念が論戦を生まざるを得ないのだとすれば、それは平和ではないという逆説がある。
だから東浩紀は「平和は考えないことの広がりで定義される」という。
論戦や論争とはその字義通り「論理による戦争」を意味する。
人々が平和をめぐって常に論争しているような世界は平和とはいえない。その場合、平和をめぐる論争は戦争をめぐる論争に等しい。平和について考えなければならないような世界はすでに戦争の中にあるのだ。
小林が上記の発言をしたのは昭和23年だから、まだ「平和ボケ」などという言葉はなかっただろう。
「平和ボケ」という言葉がいつから使われ始めたのかを実証的に調べたものがあるのかどうかは知らないが、小林が昭和35年に書いた「ヒットラーと悪魔」というエッセイには、「十三階段への道(ニュールンベルク裁判)」という映画を見るために行列に並んでいる人々の光景を見て「あの世にも不快な光景に見入るために、この人たちは、貴重な土曜日の楽しみを犠牲にしようとしている。それほど私たちの平和は不安なのか。あるいは、それほど私たちの平和は贅沢なのか。」とある。
日本の戦後80年の間の「平和」の具合には濃淡がある。物の見方によってはずっと戦争状態だったと言えるのかもしれない。昭和の冷戦時代にはずっと左右イデオロギー対立による論争があり、冷戦以後(平成以後)は「認知戦」の時代に入った。そして令和の今はSNSで絶え間ないバトルが展開されている。
戦争は理性を失わせ、平和は知性を弛緩させる。どちらも「愚かさ」という言葉で括ることが可能だろう。東浩紀は『平和と愚かさ』の中で、「愚かさ」をどうやって「記憶」するかという問題と、どうやって暴力という愚かさを(特に被害者の観点から)「忘却」するかという問題を同時に考えているように思う。
「忘却」するためには長い年月が必要である。それは被害者意識が徐々に弱まりやがて消滅する自然的なプロセスである。だがそのプロセスは同時に加害意識も消滅させる。そして同じ過ちが(ある場合には立場を換えて)繰り返される危険が伴う。
「裁き」は人為的なプロセスである。ニュールンベルク裁判や東京裁判のように、物理的な力(権力)の行使によって秩序を取り戻す方法である。
「ゆるし」は被害者の側による高次の倫理的行為である。それは自然的には起こらない。それは時に信仰という力を借りて行われるという意味で超自然的である。

「アウシュヴィッツのあとに詩を語るのは野蛮だ」というアドルノに対して、東はそれでも平和のためには詩を語るしかないのだと主張する。
「誌を語る」とは、理想について語ることであり、美について語ることであり、人知(賢さ)を超えた愚かさについて語ることである。
哲学(批評)の役割とは本来そういうことではないだろうか。