一応読了。第2部は雑誌「ゲンロン」で既に読んだ文章もあったので精読はしていない。
まとまった感想を挙げるには気合が必要なので、思いついた断片的な感想を都度都度書いていくことにする。
メタ的な感想は今回は控えて、本の内容そのものについて思ったことを書く。
東の言う「平和」とは、政治やその究極形態である戦争について考える必要がなく、いうなれば「ノホホン」と生きていける状態を指す。つまり「平和ボケ」である。東はこの状態に積極的な価値を与えようとしている。
「愚かさ」というのは英語に直せば「thoughtlessness」であり「考えないこと」である。ここでいう「考えない」の内容は前述のとおり戦争のことである。
いったん戦争になれば、すべてが戦争中心になり、あらゆる文化活動や日常の行動が戦争抜きには考えられなくなる。そこでは「ノホホン」とした平和が存在する余地はなくなり、平和を勝ち取るための積極的な「反戦活動」としてしか平和は存在しえない。
今この本のような主張が出てくるのは、裏返せば「戦争」が差し迫っているという危機意識の表れであるように思える。
というよりも、すでにわれわれの世界は戦争的な思考に染まってしまっている。
ここから実際の戦争までの距離はきわめて短い。
そして、考えれば考えるほど、戦争に向けての動きは加速していくように思われる。
「戦争してはいけない」というロジックは無数の反論によって叩き潰される。
議論すればするほど、結論は戦争するしかないというところに追い込まれていく。
ロジカルに詰めていけば行くほど、結局戦争以外の道はないように思われる。
そこで東が提案するのは、ギリギリと突き詰めるのは止めようや、ということだ。
コスパを突き詰めていくと死ぬしかなくなるように、平和について突き詰めて考えていくと戦争に突っ込んでいくしかなくなるんだから、いったん肩の力を抜いて、今こうして生きていることのありがたさというか、喜ばしさといったものを味わってみたらどうなんだ? そのくらいの心の余裕を持った方がいいんじゃないか?
東の提言を乱暴にまとめればそうなるんじゃないかと受け止めている。
このような提言が今の世の中で説得力を持つとは東自身考えていないだろう。
陰謀論と排外主義に染まり切った人々が一定の政治的勢力を持ち、戦争に向けて世の中を動かしている状況が到来しており、これに対抗するには「積極的平和主義」、すなわちカウンター運動しかないという立場の方が現時点で説得力があるように思われる。
だが、東の言いたいのは、「戦争を止めるために戦う」という立場そのものが平和の否定であるということだろう。
もちろんこれに対しても無数の反論が来ることは必然である。しかしそうした反論に再反論するのは前述の悪循環に巻き込まれていくことであり、そこに未来はないというのが東の立場だ。
だから彼は繰り返し「どうせこの本はまともに読まれない」「今の状況には絶望している」「何も期待していない」と述べているのだ。
自分は東浩紀のスタンスにシンパシーを覚える。
彼は、この本が評価されるのは今から数十年後、彼の死後だろうと思っているのだろう。それは日本が「戦争の愚かさ」を再び潜り抜けた後になるのかもしれない・・・
あれ? 結局メタ的な感想になっちゃった!
つづく