東浩紀が『新潮』2026年1月号に掲載した随筆「書くことと壁」を読んだ。
東浩紀の文章はおもしろい。今回も例によって「批評を書くことのキツさ」について書いているのだけど、中原昌也が「小説を書くのが嫌だ」と書いている文章を読むときに似た快感がある。
短い文章なのに、とにかくロジックがアクロバティック。
タイトルになっている「壁」の意味すら不明。
いやもちろん、読み手(反射させる壁)が(十分に)いないことの虚しさについて語っているのは分かるんだけど、一方で批評家にとっての「壁」は分析対象であると書いているもんだから、読み手は混乱する(俺だけか?)。
しかも12月に新刊(それも500頁越えの大著)が出ると言うのに一言も触れないで、「新たな本はいっこうに書かれる気配がない」ってどういうことだよ?(ゲンロン以外のってことね。)
ひたすら行間を読むことが求められ、無数のツッコミどころを用意している確信犯としか思えない。
そうやって読者をケムに巻くような論旨を弄んだ挙句、内容のないエッセイを書いてしまったことを読者に詫びて終わる。
これはもうひとつの「芸」(ぼやき漫談?)。
読みようによっては非常に実験的な文章であり、新たな批評を脱構築開拓しようとする意志すら感じる。
やっぱすげえわ。
マジレスすると、ぼくはあずまんの本はちゃんと買って読みます。
だからゲンロン以外でも本を出してください。
そして「クォンタムファミリーズ」や中原昌也みたいな傑作小説を書いてほしいです。
