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一般意志とファシズム(イデオロギーX)について(2)

※以下の問答は現存する特定の思想家や政治家とは無関係な筆者の妄想であることをお断わりしておく。また筆者の個人的信条とも無関係である。

 

ファシストは自己が一般意志を体現することを何によって証明するのか?

己の行動によって。

原理的に何人も自らをファシストであると宣言することは可能である。

だがその宣言に実態が伴わない限り何の意味もない。

そいつは戦友的絆で結ばれた同志を何人もっているのか?

社会をいかなるかたちで求心化しているのか?

この質問に説得的な解答を与えることができる者のみがファシストの名に値する。

 

一般意志は決して数値やデータに還元できないとファシストは考える。

それが新スターリニストとファシストの違いである。

新スターリニストは、世界のあらゆるところにセンサーをはりめぐらし、人流と物流をすべてデータ化し、ネットワークを介してアクセスし分析することで、一般意志を可視化し、コンピュータが全体最適化による問題解決をすることができると考える。

しかしそれが生み出すのは人間の固有性が剥ぎ取られ部品のように扱われるディストピアでしかない。ファシストはそのような世界に断固として抗う。

一般意志とは、社会契約の当初から既存のものとして存在するルールではなく、また社会構成員の行動履歴やデータの集積によって生み出されるものではなく、人間が主体的に、遡行的に見出すものである。

そしてそれを見出すことができるのは、すべての色彩を消し去り、すべての個性を平板化する匿名にして灰色の民主的平等主義者(新スターリニスト)によってではなく、ファシストによってのみである。

21世紀の最大の対立軸は、一般意志をめぐるファシストと新スターリニズムの対立である。

 

―貴方の言う一般意志とは単なる思い込み以上の何なのか? 何がそれを正当化するのか?

ルソーは「一般意志は常に正しい」と言った。だから人は一般意志に従わねばならない。一般意志は人間や社会に依存するものではなく、事物(自然秩序)に依存するものである。一般意志の力は、人間が生み出す制約ではなく、天気の良し悪しや土地の高低や水の流れのような自然による制約と比較できる。それが「正しい」か「正しくないか」を判断することには意味がない。川があったら先へは進めない、というのと同じようなやりかたで人を制約するものだ。

ファシストは一般意志を思い込みによって「作り出す」のではなく、それを発見するのだ。たとえば暴政の只中にあってすべての人民が服従を強いられているときに独り声を上げ、反抗する人間は、一般意志の発見者である。また上に述べたようなディストピア社会において、すべての人々が機械の部品のような生活を甘受しているときに、ある人が立ち上がって、こんな生活は我慢できないと叫ぶとき、その人は一般意志を体現しているのである。

 

―そうであるなら、『共産主義者宣言』を書いたマルクスファシストなのか?(笑)

彼はその時点での一般意志を発見したのだ。初期の共産主義運動は、われわれの観点からは、一種のファシズム運動である。それが思想的に変質しコミュニズムに堕して行ったことは歴史が示すとおりである。

 

ヒトラーファシストか?

最悪のファシストである。最悪の民主主義者や最悪の共産主義者がいるのと同じである。

 

―しかし、(最悪の共産主義者はともかく)最悪の民主主義者はあれほどの悪と破壊をもたらすことはないのではないか?

それはどうだろうか。キューバ危機の時、もしフルシチョフが撤退しなければ、ケネディ戦略核弾頭ミサイルのスイッチを押していただろう。そうすれば、最悪の民主主義者が人類を破滅させることになっただろう。

 

―では最高のファシストは誰か?

まだ出現していない。過去の歴史において最も近いのは、初期のムソリーニである。思想的にコミュニストに転向する前のフィデル・カストロも挙げてよい。

 

ファシズムは独裁者を肯定するのか?

常に肯定するわけではない。特定の個人が一般意志を体現し、統治者となる事例は起こりうる。しかしそれは稀でありほとんどの場合長続きしない。

 

―民主主義よりファシズムが優れているという考えにどうしても賛成できない。民主主義は平和の思想であり、ファシズムは暴力の思想であると思う。

ファシズムは鋭い刃物のようなものである。社会がどうしようもなく堕落し、このまま放置すれば社会全体が腐敗し取り返しがつかなくなるという場面において、腐敗した部分を切除するために必要な思想である。

 

ファシズムテロリズムを肯定するのか?

肯定も否定もしない。一般意志の発現により物理的に破壊的な事象が生じるのは、火山の噴火や地震により破壊的な事象が生じるのと同じである。

そのような事象は一般に法(その運用も含む)と一般意志が抵触ないし矛盾する場合に生じる。

 

―人為と自然現象を同視することはできない。

ファシストは自然秩序としての一般意志が人間を通じて発現すると考える。

 

―それは人間の自由意志と責任の放棄ではないのか。

ファシストは完全な自由意志に基づいてそれを行うのである。またその行為の結果に伴う社会的・道義的責任を回避しない。

 

―テロを正当化しているようにしか聞こえないが。

貴方個人のご意見として真摯に受け止める。

 

―もう一度問うが、ファシストの行為が一般意志の発現であることをどうやって証明するのか?

おそらく貴方が求めるような意味でそれを証明することは不可能である。

それは客観的に誰もが納得するような形で証明できるようなものではない。

もしそれが一般意志であれば、歴史が行為者に無罪を宣告するであろう。

 

つづく




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