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藤井風をアメリカの大衆に届けるには?

藤井風をアメリカの大衆に届ける

 
藤井風が日本であらゆる世代にアピールできる力は、アメリカでも実現できると思います。世代を超えてもっと多くの人に聴いてもらえるようになれば、きっと実現できるはずです。私にとって、彼にはそういう普遍的な魅力があるのです。アニメという道を選ばなかったのは良かったと思います。アニメ化すれば(再び)バイラルヒットになる可能性はありますが、ニッチな市場になってしまう可能性もあるからです。レーベルは、藤井風をアメリカで(もっと)広めるために、どうすればいいのでしょうか? 既に名を馳せているアーティストとのコラボレーション? 日本でキラリ、Mo-Eh-Yo、masshiroが行ったように、彼の楽曲を使ったCM? 映画へのカメオ出演? 彼のマーケティングには何が欠けているのでしょうか?
 
・英語のアルバムをリリースしたばかりなのに、アメリカ市場でのプロモーションは正直言って物足りない。Republic Recordsがアメリカのトークショーなどに出演させてもっと彼をプッシュしてくれると思っていたのですが、そうはならなかったようです。そもそも彼は日本の番組に滅多に出演しないのに、アメリカでもっと活躍するなんて(笑)。でも、彼には国際的な魅力があるのだから、レーベルがもっとPRしてくれることを期待しています。
 

・カゼの決断なのか、それとも彼のレーベルがプロモーションを欠いているのかは分からないが、PREMAはもっと評価されるべきだ

 

・彼はまだアメリカのショーに出演できるほどの人気がない。無名の人をショーに出演させるわけにはいかない(残念だけど、現状はそういうことなんだ)。

 

•まあ、彼は米国にコネがあるので(Republic records)、少なくとも地元のラジオ局や朝の番組などで小規模に始めることができます。米国で彼が公の場に出るには何でもいいです(フェスティバルショー以外)。彼がコーチェラでパフォーマンスするのは良いことですし、その後もっと多くのファンを獲得できるといいですね。

 

•彼はすでに「Golden hour」の小さなリミックスを制作していますが、あまり話題にはなりませんでした。彼との繋がりはすでに確立しているので、ビリー・アイリッシュとのコラボがベストな選択肢だと思います。


•わからないけど、彼には人々が彼について語るような、公的な「瞬間」が必要だと思う。彼のチームはもっと努力して、彼のために適切なコネクションを作る必要がある。


•もう一つコメント。彼にはブランディングが必要だと思う。大衆に定着するイメージ。彼を認識させる何か。サブリナ、ビリー、チャペルのように、彼らの特徴的なヘアスタイルやお決まりのネタのように。

 

•私もこれに同意します。プレマは彼の最も個人的なものですが、ミュージックビデオは今のところ彼が別の人になっているだけです(プレマ自体を除いて?)ので、人々はそれだけで藤井風の本質をつかむことができないように感じます。また、彼の外見が常に変化しているという事実xD

 

•ええ。2022年後半から2023年初頭にかけて、彼のインスタグラムのいいね数はどんどん増えて、2023年のLASAインスタグラムの投稿の一つは70万件以上のいいねを獲得しました。でも、アジアピアノツアーに向けて突然髪を切ってイメージチェンジしちゃって、それ以来あんなにいいね数が増えたことはなかったんです(笑)


•彼と彼のチームとじっくり話し合って、色々なことを聞きたいんです。彼のチームへの信頼を失わないようにしたいんです。

 

・正直に言うと、彼は自分のイメージをそれほど気にしていないと思うし、おそらく彼のチームもそのことについて彼に話したことがないのだろう(?)。彼は特定の基準に縛られることなく自由でいたいタイプのように見える。

インスタグラムのいいねの数についておっしゃっていましたが、LASA時代が彼のピークのようですが、その理由の一つはおそらく当時の彼の見た目でしょう。彼が密かに何らかの個人的な理由で自分の黒髪を嫌っていることは誰にもわかりません。そのため、特にアジアツアーの後、彼が自然な髪色でいるのを見るのは数回だけです。しかし、彼は金髪にしているのは、自我がないと感じられるからだと語っていました(正確な理由は覚えていませんが、彼の自我に関する何かでした)。


•藤井は完璧だと思うし、もし潜在的なファンがそれを見逃しているのなら、それは彼らの責任だ。最近のアメリカでミュージシャンが有名になる理由が、私にはよく分かりません。ケイト・ブッシュがテレビ番組で曲が使われたから「有名になった」って言ってたのを覚えていますか?笑

 

•今のところ、彼のファンの多くはJ-POPファンで、日本語で音楽を聴くことを好んでいるため、おそらくほとんどの人は彼のフル英語アルバムには興味がないだろう。だからこそ、Premaには日本語と英語の曲をミックスして収録するべきだったと思う。そうすれば、既存のファンにとって移行がスムーズになったはずだ。

新たなファンを獲得することに関して言えば、音楽活動以外で「何か」をする気がないのであれば、話題を呼ぶために1曲でもヒットすることを祈ることしかできない。

 

 

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WEB別冊文藝春秋のろくでもないコラムとは違い、こちらはかなり気合の入った評論だ。

全部無料で読めるのも素晴らしい。さすが「WEBちくま」は偉い!

この評論を知ったのは、昨日の東浩紀の無料雑談配信で言及されていたからで、何やら「炎上」していると言っていた。今コンテンツ批評がとても厄介になっていることの事例として挙げられていた。

その詳細を知らないので、これから調べてみようと思う。

 

* * *

 

ざっと読んでみた。

 

北村は第3回のコラムの中で、高校生のインフルエンサーが、藤井風の「ガーデン」に独自の振り付けをつけてTikTokに投稿したことでネットで炎上したとき、藤井風が彼女の振り付けで自身が踊った「ガーデン」をTikTokに投稿したことで事態が一気に終息に向かったことや、藤井風の画像や動画の転用/転載に関して世界的にSNS上の藤井風の写真や動画の使用ルールの違いをめぐって軋轢が生まれていったときに、2022年10月末、藤井風がSNSに「Here’s one rule, LOVE」(ルールは一つ、愛)という投稿をしたことでまたしても一挙に終息に向かっていったという事例を紹介し、「どちらかを優遇して愛でるのではない。対立を、優しさと至上の愛で包み込み、負の感情を浄化してしまう。真の救済とは、こういうことをいうのではないだろうか」と論じている。

ところがこの批評に対して、「わざわざほんの一部のいざこざを蒸し返すのが残念」とか、「我々が吐き気がするほど辛かった時期のことをわざわざ文字にするのは今現在お宅くらいだ」とか、「昔の話を蒸し返さなくても藤井風については充分語れるだろ」とか個人SNSにコメントやDMが届いたのだという。

北村はX上で釈明(?)し、こう述べた。

僕は「藤井風論」を書いているのです。彼がなぜああいう振る舞いをしたのか/せざるを得なかったのか、彼を描き出す上で必要だと判断し、事実として起こったことを記したわけです。趣味でやっているわけはなく、唯一無二の藤井風というアーティストのことをきちんと歴史化することが僕の重要なミッションだと思って、この仕事を引き受けました。

当たり前ですが、藤井風ファンだけに向けて書いているのではありません。彼の存在が、息苦しい今の時代を生きる多くの人にとって「救い」になっているということ。それを広く知ってもらいたいし、彼の音楽の魅力を、稀有な行動を、言葉の魅力を、思想の重要性をどうにか言語化したくて、悩みながら真剣に書いています。

一部の人は、即座に敵意や怒りの言葉をぶつけないと気が済まないのだとこの度、実感しました。個々人で見れば、目を背けたいことや傷に触れることはあるでしょう。何を思うかは自由です。僕の書く言葉で不快な思いをする人もいると思います。当然ながら「読まない自由」があります。自分の「優しさ」を守ってほしいです。せめて僕に直接ではなく、別の場所に吐き出してもらえるとありがたいです。

SNSをやめたら楽になるだろうとは思いますが、職業柄、出版社にお願いされる告知などの仕事もあって、なかなか勝手にやめられないのです。ちょっと今回は精神的に疲れてしまい、ハッピーバイブスを取り戻したいので、個人noteでやっている「藤井風論(Behind The Scenes)」はお休みします。

即座に敵意や怒りの言葉をぶつけないと気が済まない一部のファンたちの対応に書き手が精神的に疲れてしまうという現象を指して東が「コンテンツ批評の厄介さ」を改めて認識したと述べたことの意味がよく分かった。

批評とそれに対する批判という構図は当然昔から存在していたが、今はSNSによって即時的で激情的な批判がダイレクトに書き手に届いてしまう。

書き手と読者の距離が近すぎるというのも考えものだと思うし、単純に批判になっていないようなただの罵倒をする人間の数も増えている気がする。要はみんなバカになっている。

これまでも一定数いたバカが可視化されるようになったという話ではなくて、単純に人々はますますバカで無教養になっている。これは社会問題であり教育問題である。

こういう事態になると、権威をもって「Here’s one rule, LOVE」(ルールは一つ、愛)と宣言することができる教祖のような存在がいないとどうしようもないのかもしれない。

つまりそれは文明以前の時代への退行を意味する。ソクラテスの時代も仏陀の時代もキリストも時代もそうだったのかもしれない。

だがそんなことを嘆いても仕方がない。

対立を、優しさと至上の愛で包み込み、負の感情を浄化してしまう真の救済をもたらす

藤井風はアメリカの大衆に届くのだろうか。




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