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はい、ママ大丈夫?

金剛地武志の2万字インタビューが収録されている『スポンジスター』という同人誌を中野ブロードウェイの『タコシェ』で買う。

謎に包まれた金剛地氏の素顔を伺うことのできる貴重な内容だった。特にミュージシャンとしての彼の天才が垣間見える。

入手困難な雑誌でもあるので、発言要旨をまとめておく。
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yes,mama ok?の金剛地さんは自分で作った曲でないと弾かないという。

金剛地氏はドラムを含めて、楽器はほぼ一人で演奏している。

友人によれば、コードを発明しながら曲を書いている。既成の、ありもののコードじゃなくて、自分でこの音だっていうのをコード名のないまま押さえている。だから転調できない。

「開放弦使うことが多いから転調しづらいんですよ。人に伝えられないっていう。だから自分で弾くしかない。」

「ギターの各弦がどんなメロディを鳴らしているか、みたいなふうに思うんですよ。普通にハイコードとかローコードで弾くと、いわゆる不協和音みたいなのが出てこないんですよね。隣り合った弦の、キーボードの鍵盤で隣り合った音っていうのは、ギターではなかなか弾けないんです。それを弾くためには開放弦しかなくて、よく出てくるんですよ。なんか複雑な音が、普通の簡単な音じゃなくて、特別な音が欲しいって思ってて、なんか変な形の引き方をしてるんだと思うんですよね。」

こういう話からは、芸術家肌で前衛的な音楽を連想するが、聴けば分かるとおり、y,mo?の音楽は非常にポップで耳当たりが心地よい。

「僕、大学は東京造形大学のデザイン科だったんですけど、大学に入った当初はもうほんとにファインアートを目指してたみたいな気がするんですよ。音楽に関しても、武満徹的なものとか一生懸命作ろうとしてたんですよ。大学も、ほんとは芸術学、史学を勉強したかったんですよ。でも実際にはデザイン科しか入れなくて。

 

 で、なんていうかな、デザイン、商業美術っていうのを考えると、今その時代に求められている芸術って言うのは、まさに商業美術なんだなっていう風に思うようになったんですね。なんだかポップアートとかの洗礼がそのころあったんですね、僕にとっては。で、おーポップだ、と。で、まあロックだ、みたいな話になったんですね、きっと、心の中で。で、徹底的にポップな方向を志向するようになっていったんですよね。
 だからなんか小難しいことを考えつつも、ポップな形でフィックスしたかったんですね。まあ、当然よそにないものを作りたいという気持ちはあったし」

y,mo?の活動期は1996年から2000年までと短く、アルバム3枚ほどの作品しか出していない。当時の日本の音楽状況についてはどう思っていたのか。

「ピチカート(・ファイブ)なんか頑張ってましたし、冷めてるような見方ではなかった。コロンビアからデビューしたときに、実際に担当者が元ピチカートを手がけてた人間だったので、比べられたりもしましたし。女性ボーカルが真ん中にいたし、うちも。反発もあったけど、実際は好きでしたね。」

 

「で、フリッパーズ(・ギター)もまだちょっと元気で。小山田君は高校の後輩なんですよ。1個下ですね。小沢君はよく知らないんですけど。彼は中学までしかいなかったんで。高校んとき小山田君ほとんど歌ってなくて。フリッパーズギターで突然歌ってるから驚いた(笑)。彼はギターのうまい後輩という印象があったんですよ。だから僕もがんばろう、俺もやったらなれるかも、当然やらなきゃぐらいのはあってやってたんですね」

2000年のアルバム『CEO』を最後にy,mo?は活動休止期間に入り、金剛地は『鈴木タイムラー』やMXTVの『テレバイダー』などでエキセントリックな堅物アナウンサーという特異なキャラクターを演じ、“エアギター世界4位”の経歴を引っさげて地上波TVでも「お笑いタレント」として認知されるに至る。

その一方、y,mo?の活動再開を望む声も根強く、2006年にはトリビュート版CDも出た。普通トリビュートといえばラブな気持ちを込めるものなのに、これに参加した人のコメントは皆、「金剛地はなんで音楽を早くやんない!」と怒りに満ちていた(笑)。

「叱咤、っていう(笑)。激励ではない。アハハ。」

「(作品を作るのに時間がかかるっていうのは)普通はそこにこだわるだろう、ってところにまったくこだわらずに(笑)、変なところにこだわったんでしょうね。で、僕なりの、それがこう……誠意だったですね(笑)。」

2007年10月の段階で、こつこつ宅録でデモテープを作っていると語っていた金剛地氏。CDという形でのリリースを目指すと語っていた。

2008年にはyes,mama ok?時代の作品を集めたボックスCDが発売され、いよいよその音楽的才能が再び本格的に始動し始めるのを、多くのファンが固唾を呑みながら待ち続けている。

ついでに、もうアクセスできないネットから別の記事も貼り付けておく。

2007年09月26日(水)金剛地武志さん

 

金剛地武志です。
ついに僕におはちがまわってきたんですね、二十歳の頃。
二十歳の頃、僕は内省的な青年だったと思いますね。
とても感傷的でフェシミスティックだったなと思います。
実際に浪人の二年目が終わる、そして大学に入るんですけれども、結果的に思った大学に入れなかったですね。
デザイン科に入学するんですが、実際にはその頃は美学美術史がやりたかったんですよね。
どんなことを考えていたかというと、どうしたら芸術たりうるのか?どうしたら芸術家たりうるのか?とか、そんなことばかり考えていたんですね。
先達たちの作品はこんなにすごい、それなのに自分はどんなに無力で無益なんだろうかと、ずっと考えてました。
多分それは現実が少しづつ見えはじめてきたからだと思うんですよ。
でも、その理想とのギャップに手も足も出なかったって、そんな感じだったんですね。
そのくせ若いから血気さかんで、大学の同級生とか先輩とかバーで会ったプロのミュージシャンとかに論戦をふっかたりして、めんどくさい奴なんですよ。
まぁそれが正しいと思ってやってたんだな。
その頃はすでに音楽を作っていたりしましたし、何かを表現して生きていこうと思っていたんです。
でもすごく悲観的だったんですね。
フェシミスティックだったんですね。
ニーチェを読んでみたり、坂口安吾を読んでみたりとか、暗い本が好きでしたね。
でも、ある時それは何年かしたあとですけれども、悲観的なこと、フェシミスティックであることは、自分の現実が幸せだからなのだと気づきましたね。
それは辛い現実に直面している人ほど楽観的に生きているんだなってことを知ったからだと思います。
そうしないとバランスが取れないんじゃないかなって思ったんですね。
そう思ったらひとつの社会っていうか世界みたいなものがあって、それをどこからどう眺めるのかってことだけなんだなって思ったんですね。
そんな風に思えてから、少しづつそんな若いフェシミスティックな感じが抜けていったんじゃないかな。
僕は来月、40歳になるんです。
あの時から倍も生きてきたんですね。
その時だってもうすでに大人だと思っていたけど、全然なんか違ったようですね。
人間の成長というのは、はたから見ると一人の人が紆余曲折ありながら成長していくんだけれども、それって自分自身にとっては、自分の成長ってもっと断片的でアルバムの写真みたいに見えるんですよね。
その時のそいつは確かに自分だったんだけれども、今の自分とは違う誰か、別の存在。
あの時のあそこに少しも成長しないまま、存在している気がしてならないんですよ。
みなさんそんな気がしませんか?
その時のあいつに会いたいですね。
二十歳の頃の僕自身にね。
で、僕が知っていることを教えてあげたいですね。
あいつは、きっと耳も貸さないとおもうんですけどね。
でもそれが出来たら、すごく安心できそうな気がしているんですけどね。

伝説のバンド yes, mama ok? 金剛地武志インタビュー

中日スポーツ2008年10月10日 

【“エア”じゃなかった!金剛地武志、伝説のバンド「yes, mama ok?」CD3枚組発売】という記事(9月26日本紙掲載)で紹介した金剛地武志。日本にエアギターを紹介したパイオニアとして知られ、人気TV番組「クイズ!ヘキサゴンⅡ」では「エアバンド」に参加、銀縁メガネにスーツ姿でタレント活動に多忙な日々を送っているが、実はルーツは“エア”ではない、れっきとしたミュージシャンだ。

しかも、作詞作曲プロデュース、全楽器までをこなす多才っぷり。90年代に率いていたバンド「yes, mama ok?」は、美旋律、サンプリング精神、ロック的反骨、ハズシの美学といったJ-POPからは逸脱しがちな要素さえも絶妙なバランスで作品にまとめ上げ、“伝説のバンド、イエママ”として音楽ファンの根強い人気を獲得していた。その95-97年の音源55曲とプロモーションビデオ2曲がこのたび、CD3枚組ボックスセットとして発売され、売れ行きも好調という。「ミュージシャン・金剛地」に、イエママについて、そして音楽への思いを語ってもらった。
 
 ■誤解されてもいい。これがぼくのすべてです
 
――ボックスセット発売おめでとうございます。10年以上たって再発されたきっかけは何だったんですか。

発売元であるディスクユニオンの担当者が、ぼくの友達のミュージシャンと話していて「そういえばイエママ、どうしているんだろうね」という話になったのがきっかけです。それと同じころ、音源を持っている日本コロムビア側からも「イエママを再発するのはどうだろう」という話が持ち上がってきたらしく、うまくタイミングが合ったということなんです。

――音源が廃盤となり、長らく入手困難な状況が続いていました。ネットオークションでも高額になっていましたね。

そうですね、オークションでいくら高い値がついても、ぼくのとこには一銭も入ってこないっていう(笑)。もちろんそれはそれでうれしいことで、すごい値段がついているのを見て、うれしいなと思って見てましたけど、高い値段を払って聴くよりも、正規盤を買うほうが、買う人にとってもプラスでしょうから。

――埋もれていた作品がようやく世に出ることになり、感慨深いのではないでしょうか。

…まさに感慨深いって言葉はこういうときに使うものなんだろうな、って思いますね。今は状況がいろいろ変わって、僕の仕事自体も転職したような状況になっているので…。ですけれども、やっぱり今聴き直しても、これがぼくのすべてであると言っておかしくないな、と思いますね。

――金剛地さんのすべて、ですか。

ですね。どう誤解されるとしても、「ここに録音されたものがぼくのすべてです」と言わざるをえない、と思うんです。
 
 ■“問題音源”はレコード会社に内緒だった!

――それほどの思い入れがあるんですね。そんなイエママの作品は、英語で歌って歌詞カードの対訳でニュアンスを表現したり、楽曲ではなく会話やギャグ的なものを音源として収録したり、一筋縄ではいかない個性があります。

はい。

――アルバム「Q&A 65000」では「問と解」などの美しい曲に紛れて母親との電話まで収録し、コミュニケーションのもどかしさのようなものを、いろいろな方向から表現していました。他のアーティストにはない、こうしたトータルな作品性は、どうやって培われたのでしょうか?

そもそも音楽を好きになったのはYMOの時代で、スネークマンショーにものすごく感化された世代なんです。いわゆるCDやレコードのパッケージの中に、おしゃべりやコントが入っているのは全然問題ないのだ、と完全に刷り込まれてますね(笑)。だからぼくにとっては自然なことでした。

――なるほど、スネークマンショーの影響ですか。

はい。コンセプチュアルなこだわりが、なかなか人には理解されなかったりする部分もあったんですが…。そういえば高校のとき、多重録音でオリジナルの曲を作ってカセットテープで友達に売っていたけど、それもおしゃべりと曲と両方入ってました。方向性が変わってない(笑)。いまぼくがラジオの仕事をやっている(編注:j-wave毎週土曜の「THE CLICKERS」ナビゲーター)のも、ただのミュージシャンというよりは、そっちに親和性が高かったんでしょうね。

――しかし、会話やギャグといったヘンな音源をCDに入れる上で、周囲の反対や抵抗はなかったんですか。

あのねえ…これは本当に、毎回申し訳なかったんですけど、レコード会社の人間には内緒で、黙って入れてたんですよ(笑)。曲もマスタリング当日まで作ってましたね。その日の明け方に最後の曲を完成させて、母親との電話とか、ヘンな音源もまとめてスタジオに持っていくんです。そこで曲を並べる中で、混ぜてしまうんですよ。

――ええ!ゲリラじゃないですか。

そうです。レコード会社の担当者はこんなものが入るなんて全然知らないままCDが完成するという、後出し的な、すごくずるいやり方でした。「Q&A 65000」の1曲目に「春咲小紅」を入れたんですが(編注:矢野顕子のカバー。メンバー高橋氏にドラム叩き語りさせたムチャクチャな仕上がり)、さすがに後で怒られましたね。「せっかく試聴機に入れたのに、1曲目がこれじゃ誰も聴かないよ…」って(笑)。

 ■このタイミング…「やっぱり音楽だったじゃんよ」

――さて、2000年のアルバム「CEO」発表後、金剛地さんは音楽から離れ、タレント業がメインになりました。2004年にはエアギターで脚光を浴びることになりましたが、そのいきさつは。

当時出演していたスペースシャワーTVの番組で、海外の面白ネタとしてエアギターを紹介したとき、「金剛地に挑戦させたら面白いね」という流れになりまして。番組の企画として、フィンランドでの世界選手権に出場しました。そうしたら日本人初入賞の4位。あれは本当にうれしかったな。まさか自分が受け入れられるとは思っていなかったので。エアギターって素晴らしい!と思いました。

――エアギターを見た人に、本当はギター弾けるんですか、と質問されることもあったんじゃないですか。

はいはい、ありましたね。まあ、バリバリにギターソロ速弾き!ってタイプのギタリストではないので、あんまりギター弾けるとは言いづらいんですよ(笑)。だから、まあまあ弾けますよ、って感じで説明しますね。

――2007年、エアギターの競技生活から引退すると発表されましたが、なぜですか。

2006年に大地くん(編注:お笑いコンビ「ダイノジ」の大地洋輔)が世界一になって、新旧交代みたいな時期でもありましたし、まあ負けてからだと負け惜しみっぽく聞こえちゃうからあんまり言わないんですけど、そもそもエアギターはアマチュアのもので、一部芸能人のものみたいになっちゃっている日本の現状はちょっとおかしいな、とは思っていたんです。それで大会には出場しないことにしました。

――となると、今後はいよいよ音楽活動を再開するんでしょうか。

そうですね、音楽活動していた時間とタレント活動の時間が同じくらいの長さになったこの時期に、ボックスセットが発売されたことに、強い縁のようなものを感じています。初めて「Incomplete Questions」を聴いた人が「あ、もともとこういうことやっていた人なのね」と思ってくれたら、それが一番うれしいですね。もちろんエアギターもぼくの一部だけど、エアギター、七三分けメガネだけじゃないんだ、と認識してくれたらうれしい。だから…この機会を逃さないよう、真剣に考えてみたいですね。音楽に割く時間を作りたいなと思っています。

――いつごろから音楽活動再開について考えていたんでしょうか。

うーん…いつも考えてはいたんです。タレント業をしながら、実は。しかし、どんどん音楽から遠ざかっていって、もうなんていうか意識が遠のくくらい、気が遠くなるくらいに(笑)…なってしまって、忘れ去る方向にしてたんですけれども。「Incomplete Questions」のリリースが、ぼくに音楽のことを思い出させてくれたという感じですね。「やっぱりお前、これだったじゃんよ」と突きつけられて「ああ、しっかりしなきゃ」と目が覚めた…という雰囲気です。

 ■“ひとりわるがり”だった。でもまたやっちゃいそう(笑)

――今後、音楽活動は「yes, mama ok?」としてやっていくのか、「金剛地武志」になるのか、はたまた別の名前になるのか。見通しはありますか。

うーん、そこはまだわからないですね。

――アルバムを作る予定はあるんでしょうか。

具体的にリリースなどは決まっているわけじゃないんですが、まあ、もうもうすぐ41歳ですからね、この10月で。人間として時間がなくなってきている部分がありますから(笑)。作らなきゃ、という焦りを感じてます。

――以前、金剛地さんは「20代は根拠のない自信があって、メジャーシーンとは違うところで、音楽を続けていけると思っていた」と語っていました。その「メジャーシーン」にも通じる「芸能界」を、タレントへの転身によってまさに体験することになったわけですが、それによって自分が変わった部分はありましたか。

…いま振り返ると、音楽を作っていた20代後半は、完全に個人競技のつもりでしたね。本当はまわりにスタッフがたくさんいるのにね、画家が絵を描くように、作家が本を書くように、個人競技でものを作るつもりになっていましたね。でも、テレビや映画の仕事をするようになって、いちばん面白い部分は、団体競技なんだな、と。その面白さに気づきました。音楽シーンのメジャーとマイナーとはちょっと違うかもしれないけど、テレビ仕事で感じたのは、団体競技での達成感なんです。

――これからは音楽にも、その団体競技感を生かしていくんでしょうか。

ってことになるかな…。でも違うんだろうな(笑)。まあ、タレント業をやってきて、バランスを取りたくなってきて、団体競技から個人競技に戻りたいと考えている部分があるのかもしれない。もちろん、実際には個人競技ではない、というのは今ではよくわかります。いろんなスタッフがいて、音楽を作らせてもらってたんだってことは。単純に、いまさら気づきますね。当時は子どもでしたね。ひとりよがりというか、ひとりわるがりというか(笑)。

――以前は「音楽は何歳になっても作れる自信がある」とも語っていました。20代ではこの「Incomplete Questions」に入っているような、破天荒な作品を作っていたわけですが、40代で、この独特な雰囲気を出せるんでしょうか。

いや、おそらくね、同じことやっちゃうと思うんですよね、ぼくは。きっとそうだと思います(笑)。

   ◆     ◆     ◆     ◆

yes, mama ok?の作品は独特だ。胸を打つ真摯な歌がありながら、それだけを前面に出すことへの照れや迷いさえも、ギャグやネタ音源の混在によって表現しており、そうすることで逆に真摯さも増すという、不思議な構造を持っている。複数曲に同一のサンプリングフレーズやキーワードを配置することでテーマを浮かび上がらせる、トータルな作品性も驚異的だった。音への抜きん出たセンスが「オシャレ」「渋谷系フォロワー」と無邪気に評されたこともあったが、イエママ自身はそうした見方をぶち壊そうという悪意さえ表現していたように思う。

オルタナティブロックの雄、ソニック・ユースが94年、カーペンターズのトリビュート・アルバムで「スーパースター」をダークなサウンドでカバーし、話題を呼んだことがあった。金剛地はそれを受けて、アルバム「モダン・リビング」中で、同じ手法を小坂明子の「あなた」に適用。原曲の妄想歌詞世界の不気味さを、最大限に引き出してみせた。当時の日本で、こんな風に構造的な挑戦をしていたアーティストは、他にいなかったのではないか。

10年以上がたった今も、yes, mama ok?の作品は古さを感じさせない。彼らのような挑戦を引き継いだアーティストが、他にいないからだ。この「Incomlete Questions」発売を機に、2000年発表の「CEO」も再発され、さらにミュージシャン・金剛地武志が今後、刺激的な音楽作品を生み出してくれることを願う。(石井知明)




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