このブログを書くモチベーションが著しく減退している。
別に誰が読むわけでもなし、ただの無名の一個人の暇つぶしブログみたいなもの、いつまで放置しようがどうでもいい話なのだが、「書きたいことが何もない」という事態が気になっている。
基本的に芸能やら音楽やら読んだ本のことやらで、日常の中で少しでも心が動かされたものについて書いてきた。このブログを書く上での唯一のポリシーみたいなものがあるとすれば、「本当に思っていることだけを書く」ということだったと思う。
最近はニュースや情報に接しても、心を動かされることがなく、何か書きたいと思うほどのことがない。巷で話題のゴシップめいたニュースを見ても「またそのパターンか」と思うだけでそれ以上の考えが進まない。
誰かの文章や意見に触れてインスパイアされるということもすっかりなくなって久しい。小説を読む気も起らないし、古典に親しもうという意欲も起きない。
音楽を聴いても、それなりに快適な気分に浸ることはできても、何か感想を書きたいと思えるほどの感動を覚えるということがなくなった。
かといって鬱状態みたいに心が沈んでいるかというと、そういうこともない。
ただ何となく過ごしている、という感覚に近い。
もちろん世の中は悪くなっていく一方だし、何もかも狂っていく一方だし、人心は荒廃する一方だし、出口はまるで見えないし、これからろくなことはないんだろうな、というぼんやりした不安というか諦念みたいなものはある。
しかしこの状況を何とかしなくちゃいけないという焦りのようなものもない。
どうせなるようにしかならないんだし、どうにもならなくなってもどうにかはなるだろうし、ならなければならないで仕方ないし、という心境である。
東浩紀が「無だね無。」と配信でよく言っているのもそういう心境のことだろうか。
この世代になると更年期障害みたいなもので誰もがそんな虚無的な心境になるものだろうか。ちなみに東浩紀は一つ下で、同い年は吉田豪、小田原ドラゴン、宮藤官九郎、外山恒一など。
このブログでは西村賢太私論を電子書籍とペーパーバックという形にしたものができたし、私論シリーズもいくつかまとめた。
あといくつかのテーマで私論をまとめるかもしれない。
「ゲンロン」で毎週やっている「人文ウォッチ」に出演している山内萌という研究者がやっている雑談配信を見てなかなか面白かった。
ここ最近でわずかでも面白いと心が動いたのはそれくらいかな。
ああ、あと「ジャルジャルアイランド」というチャンネルを見て、見始めたら止まらなくなって、夜にひとりで声を出して笑っていた。
コンビの片割れの福徳という人が異様に斎藤元彦に似ている。
今月の初めから妻が義母の介護のため実家に泊まり込んでいて、たまにしか戻ってこない。もっぱら夕食は都内のIT関係の実態のよくわからない会社に勤めている息子が帰宅してから作ってもらうのに頼っているが、この頃は残業が多く帰ってくるのが遅いので近所のセブンに頼っている。昔はコンビニ弁当なんて刑務所の食事と大差ないもんだと勝手に思っていて食べる気がまったく起こらなかったものだが、近年はすごくクオリティが上がっていて、デパートの総菜なんかと遜色ない味になっている。それでも毎日だと飽きるので、週に何日かはご飯を炊いて卵かけご飯をつくったり、冷奴に醤油をかけて食べたりとバリエーションをもたせるようにしている。食についてはもともと欲望が薄いのでそんなので充分なのである。
大学生の娘が1年休学して小説や脚本などの創作活動に没頭したいと言ってきた。妻は基本望ましくはないが娘の特性を考えると仕方がないというスタンスで、自分はむしろ好きなようにやってみればいいと賛成のスタンス。たとえモノにならなくても、若いうちにやらなかったことを後悔するよりはいいだろうと思っている。しかし大学生なんて時間が有り余ってるんだから好きなことするのに休学なんて必要ないだろうというのは昔の考えなのだろうか。娘に物分かりが良すぎるといって妻は癪に障るようだ。自分も親からは好きなことをさせてもらったのでそのへんのボーダーラインは緩いのかもしれない。
ちなみにこのブログを書くこともないのに書き始めたのは、妻が実家から使わないからと持ってきた義母のノートパソコンを使ってもよいことになり、昨日息子にセットアップしてもらったので試しに使ってみようと思ったためである。ちなみに義母は身体のほうは不自由ないがコロナ後にアルツハイマーの症状が出始め、遂に独居が不可能となったため来月グループホームに入所予定である。