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意識って何だっけ

AIの進化が著しいと言われていて、そのうち人間の知的労働のほとんどを代替するのではないかとの声も聴く。試しにAI(NotebookLM無料版)を使って二つくらい記事を作ってみたが、なかなかによい仕事をするなあと思った。

しかし人工知能とか脳科学とか心理学の分野には全く素人の自分がいつも素朴に思う疑問は、「でも、AIはこちら(人間)がインプットした情報しか利用できないんでしょ?」ということだ。

だから膨大な知識の順列組み合わせによる「(一見)斬新な」アイディアを生み出すことはあるかもしれないが、真に新しいアイディアを生むことはないのではないか?

この場合、何をもって「真に新しい」と言うのかという問題がある。

意識がLLM(大規模言語モデル)と同じ仕組みであると考えれば、すべては順列組み合わせの問題ということになるのだろう。意識=言語という考えもある。

そうすると、「自我」の問題はどうなるのだろうか。

われわれが普段「わたし」と言う時の「自我」というのは、過去の記憶、知識などによって構成された「思考のカタマリ」であり、そういう自我ならAIも持ちうるのかもしれない。しかし人間の自我は感情の混じった心理的記憶、心理的知識によって成り立っている一種の幻想であるから、感情の問題はどうなるのかというところはある。

しかし、「私が〈私〉であるという感覚」はどうなるのだろうか。つまりAIが個としてのアイデンティティを持ちうるのかということだ。

もちろん「個としてのアイデンティティ」などというものも幻想であるという考え方もある。だが、池田晶子がいうところの「存在しちゃってる〈わたし〉」という感覚がアイデンティティであるとすれば、その感覚は膨大な知識の順列組み合わせの〈結果として〉生み出されるとはどうしても思えず、そうした知識に〈先立つもの〉としか思えない。AIを突き詰めていくと、自分はどうしてもそういうところが気になる。




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