このブログの書き手は、藤井風に対して非常に詳細かつ多角的な評価をしています。全体としては、藤井風への変わらない好意と、その才能や人間性への深い尊敬がある一方で、その活動や取り巻く状況に対して時に批判的、あるいは懸念を抱くという、複雑で繊細な視点を持っています。
以下に、書き手の藤井風に対する評価を詳しく述べます。
音楽性・作品に対する評価
- ファーストアルバム『HELP EVER HURT NEVER』:
◦ 「ぶったまげるようなすごい曲」が多数収録されていると高く評価しており、宇多田ヒカルや椎名林檎のファーストアルバムに匹敵する衝撃があったと述べています。
◦ 具体的には、「何なんw」「死ぬのがいいわ」「特にない」「もうええわ」「キリがないから」「優しさ」「風」「帰ろう」などを「天才にしか書けない曲」と称しています。
- セカンドアルバム『LOVE ALL SERVE ALL』:
◦ 「期待を上回る出来ではなかった」としながらも、「普通にいいアルバム」であり、これでファンになった人も多いだろうと評価しています。
◦ 「へでもねーよ」「まつり」は「ぶったまげる曲」のレベルに近いと評価しています。
- シングル曲:
◦ 「Workin' Hard」は「ぶったまげるようなすごい曲」だったと驚きをもって評価しています。低音重視の重いグルーヴは新しい境地だと感じています。
◦ 「花」「満ちてゆく」「真っ白」は「普通にいい曲」であり、「今のJ-POPの水準から見てもとんでもなく高レベル」だと認めつつも、「ぶったまげるような曲」ではなかったとしています。
◦ ヨーロッパツアーで披露された新曲「Love Like This」は80年代っぽさを感じさせるメロディーだと評しています。
- サードアルバム『Prema』:
◦ 完成を心待ちにしています。
◦ 収録曲「Hachiko」については、初めて聴いた時は「ぶったまげる曲」ではなかったとしつつも、「十二分に満足のいく素晴らしい曲」であり、藤井風ファンにとっては十分満足できるものだと述べています。
◦ 音楽的には、マイケル・ジャクソンのアルバムより優れている可能性があるとさえ考えており、協力ミュージシャンのレベルもマイケル・ジャクソンのアルバム並みだと評価しています。
- 音楽的なルーツと方向性:
◦ 日本のシティ・ポップの影響が感じられ、その80年代的な感覚が世界でどう受け入れられるか興味を持っています。
◦ 80年代のプリンス、ジャム&ルイス、ニュー・ジャック・スウィングといった音楽への共通の好みがプロデューサー250との相性を良くしたと見ています。
◦ インタビューで80年代の音楽を意識していると繰り返し述べており、当時の輝きを取り戻したいという思いがあるようです。
◦ 歌詞のテーマとして、「執着からの解放」や「足るを知る」といった仏教的な教えのようなものが込められていると指摘し、これからの世代に響くメッセージだと考えています。
◦ 目指すスタイルは「脱力」であり、肩肘張らず穏やかな心で物事に対処する生き方を表現していると評価しています。これは「がんばれ私!」といった従来の応援歌とは異なる、世界的に重要なスタンスだと感じています。
- カバー曲の選曲:
◦ YouTubeの「solakaze」アカウントで130曲もの昭和歌謡をカバーしていることに驚き、同世代では珍しいほど「昭和歌謡を身体に染み込ませたミュージシャン」だと評価しています。これは父親の影響や、高齢者向けの演奏会のレパートリー練習も兼ねていた可能性を推測しています。
◦ メインアカウントでは椎名林檎のカバーが多いことに注目し、コード進行が彼のフィーリングに合っているのだろうと見ています。
◦ 「アダルトちびまる子さん」や矢島美容室の「ネバダカラキマシタ」など、「イロモノっぽいが音楽的にはイケてるもの」を見出すセンスに優れていると評価しています。
人間性・キャリアに対する評価
- 価値観・優先順位:
◦ 「さらによいアーチストになること」よりも「よりよい人間になること」に優先順位を置いている点に驚きと感銘を受けています。これは「普通のミュージシャン、というより表現者にはない発想」だと指摘しています。
◦ 「売れたい」「ビッグになりたい」という欲求が希薄であることや、「ミュージシャンやアーチストであること自体にも執着がない」という点は「相当に特異なこと」だと感じています。
◦ 商業至上主義でも芸術至上主義でもなく、「シンプルに一人の人間として、よい生き方をすること」に価値を置いていると分析しています。
- ステージでの姿勢:
◦ コンサートで「これは私のコンサートではなく、あなたのコンサートです」と語りかける言葉は、「ステージに立つ人間が特別なのではなく、すべての人がそれぞれに特別な存在なのだ」という考え方を体現していると評価しています。
◦ この言動がデビュー時から常に一貫しており、ポーズではない本心だと感じ、観客が素直に感動できる理由だと述べています。
- カリスマ性と健全性:
◦ 藤井風は「カリスマ性が凄い」ため、ともすれば「教祖みたいになってしまう」可能性もあるが、あくまでも「ポップなエンターテイナーであろうとする自覚を持っているのが頼もしい」と評価しています。
◦ 自身の代表曲「帰ろう」に対して「大きすぎて普段はあまり聞かない」「この曲の大きさに潰されそうになる」と語る姿勢に、「健全な感覚を覚え、信頼できる人だなと思える」と述べています。
- 幼少期・キャリア形成:
◦ 3歳からピアノ漬けの生活を送り、音楽だけでなく生活のあらゆる面で父親の強い影響を受けて育ったことを指摘しています。
◦ 中学でバスケ部に入るなど、自分でバランスを取ろうとする姿勢があったこと、そして高校で「普通でいる必要はないんだ」という解放感に目覚め、クリエイティブな分野で才能を発揮していった過程を評価しています。
◦ 「人を楽しませる人気者、エンターテイナーになる」ことを意識していたと述べ、YouTubeでの動画投稿もその一環であったと見ています。
◦ 東京への上京は、地元で満足せず「環境を変えて、もっと広い場所に行かないといけない」という彼の強い意志の表れだと捉えています。
- 葛藤と挑戦:
◦ 2022年秋の「カオス」や「手探りの日々」を経験し、一時は引退も考えたという彼の葛藤に驚きと共感を示しています。
◦ 英語だけのオリジナルアルバムを完成させるという挑戦は、「本当に自分が死ぬ前に挑戦してみたいことに挑戦」するものであり、「後戻りできない」という並々ならぬ覚悟を感じています。
◦ 歌詞セッションやアレンジセッションにおいて、シャイ・カーターら一流のプロデューサーやソングライターと共同作業を進める様子を詳細に追っています。特に、シャイ・カーターとは年齢や人種の壁を越えて友人になれたことに感銘を受けています。
◦ LAでの大規模な山火事によってレコーディング予定が狂ったことに同情しつつ、アルバムより先にライブで「言い訳が通用しない」状況を迎えたことを「まずは順調」と見ています。
◦ 韓国のプロデューサー250とのコラボレーションは、藤井風が以前から持っていた「アジアのカルチャー、ミュージシャンをリプリゼントしたい」という気持ちと自然に合致したと評価しています。
◦ アジアツアーを通じて「自分はアジア人なんだっていう意識の広がり」を体験したことを重要な経験だと捉えています。
◦ 「音楽の力だけで有無を言わせない」くらいに「いい音楽」を作り続けて欲しいと期待しています。
取り巻く状況・世間の評価に対する見解
- サイババ騒動への見解:
◦ 藤井風のアルバムタイトルがサイババの言葉であること、彼がサイババの信奉者であることを知らずにショックを受けたファンが多いことに驚きを示しています。
◦ 藤井風自身に「隠したり偽ったりする気持ち」はなかっただろうと擁護し、運営を含めて「無邪気すぎた」と見ています。
◦ 「IIYYプロジェクト」による抗議活動は「悪意に満ちたもの」であり、「藤井風が怒るのも無理はない」と断じています。
◦ 藤井風がサイババの言葉を使うのは「特定の宗教や教義の宣伝」ではなく、「普遍的なメッセージを伝えたいから」だと強く主張しています。
◦ サイババを誹謗中傷するBBCのドキュメンタリーや映画だけを「信頼性のある資料」として提示する抗議者を批判し、彼らが「知識不足」であると指摘しています。
◦ ファンに対しては、「自分の感性を信じたほうがいい」とし、「<藤井風=サイババ=宗教=統一教会=カルト>で思考停止するのは勿体ないし、そういうものに関わってしまったなどといって自分を責めたりするのは馬鹿らしい」と諭しています。
◦ 藤井風が今後もスピリチュアル色を貫く可能性が高いと見ており、それでもファン層は形成されていくと予想しています。
- 国際的なブレイクの可能性:
◦ モントルー・ジャズ・フェスティバル出演やヨーロッパ・全米ツアーを応援しており、特にフェスでは現地の聴衆が楽しんでいることを評価しています。
◦ 日本からの「追っかけ」ファンが多すぎると懸念し、海外公演は「現地の人々相手に藤井風の魅力と才能を披露する場になってほしい」と願っています。
◦ YMOのような「世界の最先端」を行く音楽とは異なり、今の藤井風の音楽に「そのような先端性があるかというと疑問だ」とし、正直なところ「そんなに世界的ブレイクの期待はしていない」と率直に述べています。
◦ しかし、世界的ブレイクがなくても、宇多田ヒカルや椎名林檎のように「彼の世代のカリスマ的ミュージシャンとして活躍を続けるに違いない」と確信しています。
- メディアとの関係性への懸念:
◦ 東京2020オリンピック映画の音楽を担当したことについて、盲目的な大歓迎の声がある一方で、「藤井風という才能が『利用されている』ような妙なものを感じる」と「一抹の懸念」を表明しています。
◦ 過去に贔屓にしてきたタレントがメディアに消費され苦しい時期を過ごした経験から、「藤井風にもそういう時期が訪れるのかもしれない」と心配しています。
◦ メディア(特にテレビ)が、論議を呼びそうなミュージシャンとして藤井風を敬遠する可能性もあると指摘しています。
- ファンの多様性:
◦ 「無条件に藤井風のやることなすこと全てを全肯定し、もはや信者のレベルに達しているコアなファン(中高年女性多し)」と、金髪にしてから「ダサくなった」などと酷評する息子のような元ファン、そしてそのどちらの気持ちも分かる自分という、「微妙な立ち位置」にいることを自認しています。
総じて、書き手は藤井風の音楽的才能とユニークな人間性を深く認め、その活動を好意的に見守っています。一方で、彼のスピリチュアルな側面や急速な世界的展開の中で生じる摩擦、そして才能が消費されることへの懸念も率直に語っており、彼を多角的に分析し理解しようとする「こじらせファン」の姿勢が見て取れます。