過去にこのブログで記事にした山田順三(山田ルイ54世)、吉田豪、小田原満(小田原ドラゴン)、鈴木いづみ、関直美(ナンシー関)、佐久間宣行、東浩紀、安倍昭恵、池田晶子の年譜をAIに統合してもらった。

1949年(昭和24年)
• 鈴木いづみ: 7月10日、静岡県伊東市湯川に生まれる。本名は鈴木いずみ。彼女の父親である英次は読売新聞記者で、戦争中はビルマで特派員として爆撃機に同乗し、戦地を取材していました。著書に『ああサムライの翼』があり、後に小説家を志して退社しています。
1957年(昭和32年)
• 鈴木いづみ: 小学校三年生の時に50枚の童話を書きました。
1960年(昭和35年)
• 池田晶子: 8月21日午後9時5分、東京都港区に生まれる。父親は朝日新聞論説委員だったとされています。
1962年(昭和37年)
• 安倍昭恵: 6月10日、東京都で生まれる。父親は森永製菓社長を務めた松崎昭雄、母親は森永恵美子。3歳下の弟(松崎勲)がいます。
• 関直美: 7月7日、青森市で生まれる。父親は英市、母親は節で、長女です。実家は「関ガラス店」を経営していました。後に2歳下の妹と7歳下の弟が生まれています。父親は青森商業高校ボクシング部OBで、ボクシングのレパード玉熊の後援会長を務めていました。
1965年(昭和40年)
• 関直美: 3歳で聖マリア幼稚園に通常より1年早く入園し、特別四年保育を受けました。
• 鈴木いづみ: 15~16歳で県立伊東高校に入学し、文芸部に所属しました。1年生の時に詩集「海」に「森は暗い」、「暁」、「少年のいたところ」、「しのび寄る時間」の詩作品を発表。また、「海」26号に小説「分裂」を発表しました。
1967年(昭和42年)
• 関直美: 5歳の時、祖父が「アカシアの雨がやむとき」を聞きながら天寿を全うしました。家族旅行の旅先で映画「ドリフターズですよ! 前進前進また前進」を観ています。
1968年(昭和43年)
• 鈴木いづみ: 高校卒業後、伊東市役所にキーパンチャーとして勤務(後に戸籍係)。地元の同人誌「伊豆文学」の同人となり、江間想の名前で「夜の終わりに」などの小説を発表しました。
• 関直美: 16歳で私立青森明の星高校に入学し、進学組に所属。同級生や先生にあだ名をつけたり、クラスの雰囲気を明るくする存在でした。サブカルチャーに熱中し、ムーンライダーズとYMOが好きで、体育の創作ダンスの音楽に「千のナイフ」を使うよう主張しました。
1969年(昭和44年)
• 関直美: 7歳で青森市立堤小学校に入学。小学校には棟方志功記念館が隣接していました。
• 鈴木いづみ: 19~20歳で8月に市役所を退職し、まもなく上京。モデル、ホステスをしながらピンク映画界に入り、火石プロに4か月所属して芸名「浅香なおみ」を使用しました。小説「ボニーのブルース」が第12回「小説現代」新人賞候補作品8篇の一つに選ばれました。9月、「週刊朝日」公募の「八月十五日の日記」に「だめになっちゃう」が入選しました。
1970年(昭和45年)
• 吉田豪: 9月3日、東京都練馬区江古田で生まれる。2歳上の姉がいました。両親は印刷会社に勤めており、麻雀仲間はほとんど出版関係者で、雑誌が刷り上がると漫画や音楽誌を発売前に贈ってくれていました。
• 関直美: 8歳で自宅改装のため一時転居しました。
• 鈴木いづみ: 20~21歳で浅香なおみ名義で「処女の戯れ」(ミリオン・フィルム)に出演。1月には若松孝二監督「性犯罪絶叫篇・理由なき暴行」に出演し公開されました。他にもいくつかの映画に主演・出演し、鈴木いづみ名義でも和田嘉訓監督「銭ゲバ」に出演。東京12チャンネル「ドキュメント青春」(田原総一朗ディレクター)に主役として出演しました。小説「声のない日々」が第30回「文學界」新人賞候補となり、以後作家に転じます。「天井桟敷」の「人力飛行機ソロモン」に出演。浅香なおみとしてテレビ番組「11PM」などでヌードになり「イレブン学賞」を受賞しました。
1971年(昭和46年)
• 東浩紀: 5月9日、東京都三鷹市にて生まれる。妹を含めて4人家族で、父親はサラリーマン、母親は専業主婦でした。母方の祖父は赤坂で内装業の会社を経営していました。
• 鈴木いづみ: 21~22歳で1月3日~13日、「天井桟敷」にて「鈴木いづみ前衛劇週間」が開催され、鈴木いづみ作の戯曲「ある種の予感」、「マリィは待っている」が上演されました。寺山修司監督「書を捨てよ町へ出よう」に鈴木いずみ名義で出演。ナンシー国際演劇祭に参加する「天井桟敷」に同行し、パリ、アムステルダムなどに滞在しました。中原まゆみのシングル「テイク・テン/もうなにもかも」を作詞しました。
1972年(昭和47年)
• 関直美: 10歳で10月に東奥児童美術展の図画の部で入選しました。
• 池田晶子: 12歳で港区立御田小学校を卒業。6年2組の時に卒業記念制作で童話「空を飛べたら」を発表(『私とは何か』に収録)しました。
• 吉田豪: 中学の時に、友達の言い間違いなどをすべて生徒手帳にメモし、1年、2年経っても言い続けるような人物でした。
• 鈴木いづみ: 22~23歳で「小説クラブ」、「現代の眼」、「週刊小説」などに短編小説を精力的に発表する傍ら、「東京スポーツ」や「映画芸術」、「漫画アクション」などに多彩なエッセイを発表しました。
1973年(昭和48年)
• 安倍昭恵: 11歳で1ヶ月間カナダに短期留学。おっとりした話し方でしたが、この海外体験で徐々に積極性が生まれたとされています。
• 関直美: 11歳で11月にRABこども音楽コンクール青森地区大会に出場し、「星の世界」を独唱しました。
• 鈴木いづみ: 23~24歳でジャズミュージシャン・阿部薫と出会い、婚約。演劇評の連載を「太陽」で開始しました。初めての単行本「あたしは天使じゃない」(ブロンズ社)を刊行。エッセイ集「愛するあなた」(現代評論社)も刊行しました。
1974年(昭和49年)
• 関直美: 12歳で修学旅行で北海道に行きました。
• 鈴木いづみ: 24~25歳で2月9日早朝、同居中の阿部薫と口論になり、左足小指を切断。ハプニングとして報じられました。
1975年(昭和50年)
• 山田順三: 4月10日、兵庫県で生まれる。出身は同県三木市緑が丘町で、三人兄弟の二男でした。父親は地方公務員で神戸税関に勤務しており、厳格な躾の下で育ちました。
• 佐久間宣行: 11月23日、福島県いわき市に生まれる。幼稚園の頃から気に入った本を小さいバッグに入れて常に持ち歩き、おもちゃ屋さんで好きなおもちゃを3〜4時間見ていられました。一方で、おしゃべりで落ち着きのない子で、母親に心配されたり、レストランで料理が来る前に歩き回って食べ物をもらってお腹いっぱいになり、自分の料理を食べられずに怒られたりもしました。
• 関直美: 13歳で小学校卒業の寄せ書きに「イラスト・レーターになってきれいな絵を書きたい」と記しました。青森市立浦町中学校に入学。祖母が死去しました。
• 池田晶子: 15歳で港区立港中学校を卒業。作家の佐藤哲也(2023年没、作家佐藤亜紀の夫)とは同窓でした。夏休みの読書感想文を三島由紀夫の『豊穣の海』で書きました。
• 鈴木いづみ: 25~26歳で初のSF小説「魔女見習い」を「SFマガジン」11月号に発表。以後、同誌で25篇のSF小説を発表することになります。長編小説「残酷メルヘン」を単行本として刊行しました。
1976年(昭和51年)
• 鈴木いづみ: 26~27歳で4月1日、長女あづさを出産しました。
1977年(昭和52年)
• 関直美: 15歳で英語検定3級に合格しました。
• 鈴木いづみ: 27~28歳で阿部薫と離婚しますが、その後も同居を続けました。「面白半分」、「奇想天外」、「ポエム」などに執筆しました。
1978年(昭和53年)
• 吉田豪: 8歳で小学二年生の時、江古田から同じ練馬区内に引っ越し、転校しました。多動的傾向があり、一人だけ教卓の横に机をつけられていました。部屋の片付けが病的にできなかったが、両親は放任主義で叱ることはありませんでした。小学校時代はアニメオタクで、父親のマイクロカセットにアニメ主題歌を吹き込んだり、友達の悪口を吹き込んで本人に聴かせるなどの悪ふざけもしていました。
• 関直美: 16歳で私立青森明の星高校に入学し、進学組に入りました。ムーンライダーズとYMOが好きで、体育の創作ダンスの音楽に「千のナイフ」を使うよう主張し、さだまさしを憎んでいました。
• 池田晶子: 18歳で慶應義塾女子高等学校を卒業。高校時代は登山に熱中しました。慶應義塾大学文学部に入学しました。
• 鈴木いづみ: 28~29歳で9月9日、元夫の阿部薫がブロバリン98錠を過量服用して中毒死しました。「ウイークエンド・スーパー」に「いづみの映画私史」の連載を開始。初のSF短編集「女と女の世の中」(ハヤカワ文庫)を出版。生前に刊行された最後のエッセイ集となる「いつだってティータイム」(白夜書房)も出版しました。
1979年(昭和54年)
• 関直美: 17歳で初めて消しゴムで作品を彫り、ゴダイゴとツイストのロゴマーク、そして昭和天皇やジャイアント馬場を作るようになりました。クラスメートと「芸能新聞」をつくり、「所ジョージのオールナイトニッポン」に投稿しました。この年、計13本の連載を抱えていました。
• 鈴木いづみ: 29~30歳で「カイエ」1月号に「阿部薫のこと・・・」を発表しました。あがた森魚による阿部薫追悼LP「アカシアの雨がやむとき 亡きAに捧げるタンゴ・アカシアーノ」にライナーノーツを執筆。10月3日、青山定司監督「家獣」(製作: シネマギルド花魁譚)が公開されました(鈴木いずみ名義)。
1980年(昭和55年)
• 山田順三: 5歳頃、幼稚園で級長に選ばれました。夏休みに、自分の朝顔の成長が止まったことを不満に思い、幼稚園に忍び込んでよく育っている鉢と自分の鉢を入れ替えました。そのことを先生に咎められ、級長バッチを剥奪されています。
• 関直美: 8歳で自宅改装のため一時転居しました。
• 鈴木いづみ: 30~31歳で「ウイークエンド・スーパー」に「鈴木いづみの無差別インタビュー」の連載を開始。ビートたけし、坂本龍一、大瀧詠一、近田春夫、所ジョージ、岸田秀、亀和田武、エディ藩、ザ・ジャガーズなどにインタビューを行いました。長編小説「感触(タッチ)」(廣済堂出版)も刊行しました。
1981年(昭和56年)
• 佐久間宣行: 6歳で映画『のび太の宇宙開拓史』を観て、世の中にこんなに面白いものがあるんだと衝撃を受けました。
• 東浩紀: 10歳で近所のハンバーグ屋に置いてあった森村誠一『悪魔の飽食』を読み衝撃を受けました。
• 関直美: 19歳で1月1日に始まった「ビートたけしのオールナイトニッポン」のヘビーリスナーになりました。高校を卒業し上京、石神井公園にある女性限定賄付き下宿から高田馬場の早稲田予備校に通いました。
1982年(昭和57年)
• 山田順三: 7歳で小学校二年生の時、国語の宿題で書いた「ぼくのランドセル」という詩が地元新聞に掲載されました。
• 吉田豪: 12歳で小学校の卒業旅行(ディズニーランド)には参加しませんでした。
• 関直美: 20歳で法政大学第二文学部日本文学科に入学し、西巣鴨のアパートに引っ越しました。11月には「広告批評」のマドラ出版がやっていたコピーライター養成講座「広告学校」に入学しました。
• 池田晶子: 22歳で大学時代は中央大学教授だった哲学者木田元に師事し、在学中に一人暮らしを始めました。
• 鈴木いづみ: 32~33歳でSF短編集「恋のサイケデリック!」(ハヤカワ文庫)を出版しました。
1983年(昭和58年)
• 東浩紀: 12歳で筑波大学付属駒場中学校に入学しました。
• 安倍昭恵: 21歳で聖心女子専門学校英語科を卒業。株式会社電通に入社し、新聞雑誌局で勤務しました。
• 関直美: 21歳で青森の商業高校を卒業した妹(真理)が調理師専門学校に入るために上京し、同居しました。
• 池田晶子: 23歳で3月、慶應義塾大学文学部哲学科(倫理学専攻)を卒業。「考える時間を持つため」にモデル事務所を辞め、出版社で校正の仕事を始めました。
• 鈴木いづみ: 33~34歳で長編小説「ハートに火をつけて! だれが消す」(三一書房)を刊行しました。
1984年(昭和59年)
• 吉田豪: 14歳で中学二年生の頃から、周りがどんどんヤンキーになっていき、舐められないためにバイク雑誌などを読んで不良的な知識を勉強するようになりました。当時不良文化だったアイドルの研究も行うようになります。
• 関直美: 22歳で法政大学中退。赤塚新町のマンションに引っ越しました。
• 池田晶子: 24歳で『群像』1984年10月号に掲載された埴谷雄高『死霊』第7章を読み、**「あれっ、おんなじことを考えている」**と感じました。
• 鈴木いづみ: 34~35歳で体調が悪化し、生活保護を受けるようになりました。
1985年(昭和60年)
• 東浩紀: 14歳で『うる星やつら』の私設ファンクラブの創立メンバーとなり、放映再開の署名活動とデモ(20名くらいのラジカセのサウンドデモ)を行いました。
• 小田原満: 15歳で明石商業高校に入学しました。
• 吉田豪: 15歳でおニャン子クラブ中島美春(なかじ)卒業公演で初めて武道館に行きました。おニャン子クラブでは高井麻巳子が好きでした。
• 安倍昭恵: 23歳で職場の上司を通じて安倍晋三を紹介されました。
• 関直美: 23歳で1月、広告学校の友人だった白木理恵(のち榎戸理恵)から紹介されてえのきどいちろうに会いました。ライター事務所「シュワッチ」に籍を置き、「ホットドッグ・プレス」で仕事を始め、いとうせいこうから**「ナンシー関」という名前をつけられました**。〈ナンシー関〉として同誌で消しゴム版画デビューし、「ナンシーの漢字一発」で原稿デビュー。「ビックリハウス」に売り込みに行き、8月号から丁稚ものパロディ「通天閣はもう唄わない」を連載するも、11月号で休刊のため途切れました。
1986年(昭和61年)
• 吉田豪: 16歳で入試で30点取れれば入れる大学付属の私立高(城西大学附属城西高校)に単願推薦で入学しました。4月8日、岡田有希子の自殺のニュースに衝撃を受けました。
• 安倍昭恵: 24歳で10月、晋三と婚約しました。
• 関直美: 24歳で「ミュージック・マガジン」連載コラム「音楽あかさたな」でイラストを担当し、初めて〈消しゴム版画家〉を名乗りました。
• 池田晶子: 26歳で初夏の夜、高木有に伴われ、吉祥寺の埴谷雄高の自宅を訪ねました。夜更けまで酒を酌み交わしながら哲学や宇宙や存在の話で意気投合し、埴谷から「君は面白い、期待している」と励まされました。埴谷雄高論を『文藝』1986年秋号に「最後からひとりめの読者による埴谷雄高論」として掲載されました。
• 鈴木いづみ: 36歳で2月17日、自宅の二段ベッドでパンティストッキングを使って縊死しました。享年36歳。
1987年(昭和62年)
• 山田順三: 12歳で小学校六年生の時、成績優秀でサッカー部ではずっとレギュラーでした。児童会長にも選ばれ、人生の頂点と述べています。中学受験を志し、兵庫県の有名な進学校、私立六甲学院中学に合格しました。
• 東浩紀: 16歳で福井県の高井麻巳子の実家まで行きました。
• 安倍昭恵: 25歳で6月、晋三と結婚しました。
• 関直美: 25歳で「スタジオ・ボイス」3月号から**「テレビの泉」**連載開始。局アナの楽しみ方や「歌丸の法則」などを披露しました。
• 池田晶子: 27歳で『文學界』1987年新年特別号に埴谷との対談「存在と非在のための文学--76歳と25歳の『無限大種属人』の精神のリレー」が掲載されました。「存在の律動〔論理〕」(『文藝』1987年春号)を執筆しました。1月30日付で獄中の永山則夫から池田のヘーゲル論を批判する手紙が届きましたが、返信しませんでした。「註解『不合理ゆえに吾信ず』」(『文學界』1987年7月号)を執筆。8月、単行本処女作**『最後からひとりめの読者による「埴谷雄高」論』**(河出書房新社)を刊行。「清冽なる詐術〔詩〕」(『文藝』1987年秋号)を執筆しました。
1988年(昭和63年)
• 山田順三: 13歳で中学一年生の時、サッカー部に入部しレギュラーとなりますが、自分より上手い選手がいることに衝撃を受けました。成績は良く、三者面談で担任から「このまま頑張れば東大に行ける」と言われました。
• 佐久間宣行: 13歳で中学1年で転校し、学年で3位の成績をとり、学校では**“勉強できるキャラ”になりました。ラジオと出会い、中1で自分の部屋をもらい、夜更かしができるようになってニッポン放送の『三宅裕司のヤングパラダイス』**を聴き始めました。
• 小田原満: 18歳で明石商業高校を卒業し、大学には進学しませんでした。昼から夜はバイトで、夜中に一人で録音しておいた深夜ラジオを聞きながらドライブすることが楽しみでした。
• 関直美: 26歳で「ミュージック・マガジン」の表紙イラストを担当(~90年12月号)。「月刊カドカワ」6月号から「テレビ目抜き通り」連載開始。3月、香港・広州経由で上海旅行。5月、青山246クラブにて初個展「けしごむ歳時記」を開催。BGコピーバンド「シュワッチャーズ」を結成し、ベースとサイドコーラスを担当しました。
• 池田晶子: 28歳で「哲学への開放」(『中央公論』1988年11月号)を執筆。西部邁がこの文章を取り上げ、「私はこれらの言葉に衷心より同意するので、余計なコメントは加えない」と書いています。この頃、犬を飼いたい一心で古いアパートを探し、コリー犬「ダンディー」と一緒に暮らし始めました。
1989年(平成元年)
• 山田順三: 14歳で中学二年生の時、暑い夏の日、学校に向かう途中で便意に襲われ、漏らしてしまいました。そのまま夏休みまでは普通に学校に通いますが、夏休み明けの朝、宿題ができていないことを理由に学校を休み、以来6年間に及ぶ引きこもり生活が始まります。
• 吉田豪: 18歳で人生初インタビュー。「修羅」というアングラ系音楽ミニコミで「にら子供」というコミカルハードコアパンクバンドを取材しました。
• 東浩紀: 18歳で高三の文化祭で演劇班に入りました。模試の長文問題に出た柄谷行人の『内省と遡行』を買い、読みました。
• 関直美: 27歳で「シュワッチ」から独立し、フリーランスとなりました。一部マネージメントをいとうせいこうも属していたエムパイヤ・スネーク・ビルディングが行いました。4月、友人(白木理恵)を訪ねてニューヨークへ一人旅。6月24日、「いかすバンド天国」ゲスト審査員としてテレビに初出演。7月、シュワッチの社員旅行で3泊4日の台湾旅行。「月刊プレイボーイ」内藤陳の読まずに死ねるか、のイラストを担当しました。この年、計13本の連載を抱えていました。
• 池田晶子: 29歳で「未知への帰還〔科学〕」(『群像』1989年7月号)を執筆。「非―女権思想論」(『中央公論』1989年9月号)も執筆しました。
1990年(平成2年)
• 吉田豪: 19歳で無試験で入れると友人に誘われて東京デザイナー学院に入学。在学中に両親が離婚し、姉が結婚して実家の部屋が空き、物で埋め尽くされました。
• 東浩紀: 19歳で筑波大学付属駒場高等学校を卒業し、東京大学文科Ⅰ類に入学。教養課程では佐藤誠三郎のゼミに所属しました。
• 小田原満: 20歳でバイト先の飲み会の後で、みんなでテレクラに行くようになり、以後テレクラにハマりました。
• 関直美: 28歳で「噂の真相」5月号から**「ナンシー関のチャンネルオフ」**の連載を開始しました(後に「迷宮の花園」、「顔面至上主義」にタイトル変更)。
• 池田晶子: 30歳で「禅についての禅的考察」(季刊『仏教』1990年1月)を執筆。「変幻と貫くもの〔心理〕」(『群像』1990年4月号)も執筆しました。
1991年(平成3年)
• 佐久間宣行: 15歳で福島県立磐城高等学校に入学しました。当時は男子校で嫌でしたが、大学受験を考えている生徒が多かったため、自身の進路について自然と考えることができ、結果的にこの選択はよかったと述べています。女子の目を気にせずに過ごせたことや、オタク趣味を伏せる必要がなかった男子校の環境も良かったと感じています。高校時代は部活に入らずマンガやSFばかり読んでいました。
• 山田順三: 16歳で苦し紛れに高知県の名門私立を受験するも、何も勉強していなかったため不合格となりました。留年して六甲学院に籍は置いて中学三年生を二回やった後で退学し、中卒となります。コンビニのバイトを始めますが、地元の知り合いがやってきて好奇の目に晒されるため、実家から少し離れた隣町でアパートを借り、一人暮らしをしながら近所のコンビニで働くようになります。
• 東浩紀: 20歳で6月、大学2年生の時に演劇の脚本・演出を手掛け、公演を打ちますが、これが大失敗に終わり、自分は何もできないと真剣に思ったと述べています。7月、法学部を辞めるために教養学部に転部届を提出。10月、早稲田大学の柄谷行人の講演会に行き、質問をしたことで柄谷と連絡先を交換しました。
• 関直美: 29歳で5月31日、「タモリ倶楽部」「ナンシー関の顔面手帖」(シンコーミュージック)を書き下ろしで刊行。「バッカス」7月号から「反核の人」(押切伸一との対談)を開始。「紙のプロレス」10月号から「ナンシー関の消しゴム爆破デスマッチ」の連載を開始しました。11月11日、NHK「婦人百科」に消しゴム版画の年賀状講師として出演しました。
• 池田晶子: 31歳で「発現する消失点〔神〕」(『群像』1991年3月号)を執筆。7月、単行本第2作**『事象そのものへ!』**(法藏館)を刊行。「小林秀雄への手紙(第一信)」(『群像』1991年8月号)。「愛憎のハニヤユタカ」(『鳩よ!』1991年9月号)も執筆しました。
1992年(平成4年)
• 山田順三: 17歳で父親の転勤に伴い、瀬戸内海の小島で父の社宅のアパートに暮らしました。
• 小田原満: 22歳でテレクラで会った女性と車の中でペッティングのようなことをしました。この体験があまりにも良かったため、再びその女性に会えないかと待ち合わせ場所をうろついていたら偶然再会しましたが、完全に無視されました。
• 吉田豪: 22歳で卒業制作として当時の学校の校長や教員の暴露本を制作しました。この時行った清掃のおばちゃんらへの聞き込みが、その後のインタビュー活動の原点になったと述べています。専門学校在学中(9月)に反原発漫画情報誌『コミックボックス』に内定。4月末に知り合いが辞めた編集プロダクション(アートサプライ)に入社し、『宝島』『ビデオボーイ』『マガジンWooooo!』などの記事を書き、アイドルの取材などを行いました。
• 関直美: 30歳で8月、三軒茶屋に転居しました。12月、「何様のつもり」(世界文化社)を出版。これは発表済みコラムを集めたもので、「何~」シリーズの最初の本となりました。この本は文庫化されて総計100万部以上を売り上げました。
• 池田晶子: 32歳で4月、『メタフィジカ!』(法藏館)を刊行。伊藤實と結婚しますが、子供は絶対に産まないという条件でした。
1993年(平成5年)
• 東浩紀: 22歳で4月、教養学科第三科学史科学哲学専攻に所属。『批評空間』第1期第9号(1993年4月)に「ソルジェニーツィン試論:確率の手触り」を掲載し、評論家としてデビューしました。
• 小田原満: 23歳で初体験。バイトしていた引っ越し屋で知り合った女性と付き合うようになり、ごく自然にそうなったと語っています。
• 吉田豪: 23歳で入社2年後に**『紙のプロレス』**に引き抜かれました。インタビュー記事を執筆するようになり、次第にライフワークとなっていきました。『中州通信』というミニコミで著名人のお墓参りや自殺現場に足を運ぶ連載を書きました。
• 安倍昭恵: 31歳で6月、衆院選で晋三が旧山口1区から立候補し初当選しました。
• 関直美: 31歳で1月、「週刊朝日」(1月8日号)で**「小耳にはさもう」の連載を開始。1月、「週刊アサヒ芸能」(1月21日号)で「浅草キッドの週刊アサヒ芸能人」のイラスト担当を開始。2月3日、毎日新聞に書いた「母子像の自己陶酔はイヤらしい」という文章に抗議が殺到しました。4月、高田文夫著「寄せ鍋人物図鑑」(講談社)に版画を提供。5月10日、NHK「ナイトジャーナル」に出演。10月、「週刊文春」(10月21日号)で「ナンシー関のテレビ消灯時間」**の連載を開始。12月、「何をいまさら」(世界文化社)を出版しました。
1994年(平成6年)
• 佐久間宣行: 19歳で早稲田大学商学部に入学。東京に行きたい気持ちが強く、当初は筑波大学を志望していましたが、東京での文化活動(三谷幸喜の舞台、岩井俊二監督の映画、ミニシアターの映画など)が筑波からでは難しいと考え、早稲田大学に志望校を変更しました。奨学金をもらいながら最初は家賃の安い寮に住むので、東京の私立大学に行かせてほしいと両親に頼みました。
• 山田順三: 19歳でテレビで成人式のニュースを見て、急激に焦りを覚え、大検を受けるため実家に帰り、センター試験に向けて猛勉強を始めました。
• 東浩紀: 23歳で3月、東京大学教養学部教養学科科学史・科学哲学分科を卒業。4月、東京大学大学院総合文化研究科表象文化論専攻修士課程に進学し、指導教官は高橋哲哉でした。5月、「写生文的認識と恋愛」(『漱石研究』第二号)を執筆。10月より5年間にわたって、柄谷行人・浅田彰が編集委員を務めた**「批評空間」で「デリダ試論」を連載**しました。
• 関直美: 32歳で4月、デーブ・スペクターと週刊誌上で論争しました。「CREA」5月号で松本人志と対談。5月、18年間思い続けてきたムーンライダーズの鈴木慶一氏とカラオケに行きました。「ナンシー関の顔面手帖<94夏>」(シンコーミュージック)、「信仰の現場」(角川書店)、「小耳にはさもう」(朝日新聞社)、「ナンシー関の百面相」(リブロポート)を立て続けに発刊しました。
• 池田晶子: 34歳で9月、『考える人 口伝西洋哲学史』(中央公論社)を刊行。10月、『帰ってきたソクラテス』(新潮社)を刊行しました。
1995年(平成7年)
• 山田順三: 20歳で大学一年生の時、センター試験を受けた数日後に阪神淡路大震災が起こりました。センター試験の点数だけで行けるところを選び、愛媛大学法学部夜間主コースに入学。人には会いたくなかったので入学式には出ず、登校初日に合わせて引っ越しました。金丸という一つ上の学年の学生と仲良くなり、二人で同じバイトをするようになります。金丸の誘いで、金丸の彼女が通う短大の文化祭で、二人で漫才をしたところ予想に反して大ウケ。調子に乗って、二人で大阪の吉本興業の劇場で行われていたゴングショーに参加し、合格。お笑い芸人になる決意をしました。
• 吉田豪: 25歳で4月19日、久しぶりにハマったアイドルグループ「みるく」の堀口綾子が自死。精神的に壊れそうなアイドルへのインタビューを通して力になりたいとの思いを強くしました。大谷Showが「紙プロ」に連載していた書評があまりにつまらないので代わりに書くことを申し出て、結局連載を奪取する形になりました。ゴーストライターを務めた**ダーク広和『催眠術師になりたい』**が出版され、後に東大和田市一夫多妻男事件(2006年)のタネ本として有名になりました。
• 関直美: 33歳で2月、「何の因果で」(世界文化社)を出版。7月、個人事務所**「ボン研究所」を設立**。妹の真理が結婚。祐天寺に3LDKのマンションを購入し転居しました。11月、「聞いて極楽」(朝日新聞社)を出版。12月、「週刊朝日」で林真理子と対談しました。
• 池田晶子: 35歳で7月、『オン! 埴谷雄高との形而上対話』(講談社)を刊行しました。
1996年(平成8年)
• 山田順三: 21歳で大学二年生の時、吉本が開催した全国的なお笑いイベントに参加。四国予選で、相方の金丸が緊張してセリフがすべて飛んでしまいます。帰り道、金丸が就職して小説家を目指すと話しているのを聞き、東京のNSC(お笑い養成所)に入る決意をしました。東京の不動産屋に電話して、電話だけで住む家を決め、NSCの面接に合格し、松山の下宿を解約。上京し、部屋に入居できる日までの一週間を野宿してしのぎ、大塚の家賃1万5千円、四畳半一間のボロアパートに入りました。
• 東浩紀: 25歳でコロンビア大学の大学院入試に失敗。「私たちはいま、80年代を清算しつつある」(「図書新聞」4月20日号)を執筆。8月、「庵野秀明はいかにして80年代日本アニメを終わらせたか」(『ユリイカ』)を執筆。10月、「アニメ的なもの、アニメ的でないもの」(『InterCommunication』第18号)を執筆。11月、「面白くなさ、あるいは意匠化された『政治』への抵抗」(週刊読書人)を執筆しました。
• 小田原満: 26歳で『ヤングマガジン増刊赤BUTA』(講談社)にて、「僕はスノーボードに行きたいのか?」でデビューしました。漫画を描くきっかけは、親から「就職しろ」と強く言われたためで、1年間だけ漫画を描いてみて芽が出なかったら就職するという約束でした。ペン入れ2作目「おやすみ、幸せな夢が見られるように。」が「ヤンマガ月間新人漫画賞」奨励賞を受賞し、ペンを握って300日で**『週刊ヤングマガジン』本誌連載を獲得**しました。
• 吉田豪: 26歳で『紙のプロレス』の分裂に伴い、紙プロ編集部を事務所として間借りしながらフリーランスになり、『BUBKA』(コアマガジン→白夜書房)『ダカーポ』(マガジンハウス)など、30本前後の連載を抱える人気ライターとなりました。12月、植地毅、宇田川岳夫らとの共著**『マンガ地獄変』**(水声社)を刊行しました。
• 関直美: 34歳で全国で個展を開催しました。「地獄で仏」(大月隆寛との共著、文藝春秋)、「何もそこまで」(世界文化社)を出版しました。
• 池田晶子: 36歳で4月、『悪妻に訊け 帰ってきたソクラテス』(新潮社)を刊行。11月、『メタフィジカル・パンチ 形而上より愛を込めて』(文藝春秋)を刊行しました。
1997年(平成9年)
• 山田順三: 22歳で東京NSC3期生として、赤坂見附TBSの近くの養成所まで北大塚から二時間かけて歩いて通いました。当時の芸名は**「ピュアぞー」で、NSC時代の相方は「はいじぃ」(本名:蓜島朋岳)でした。卒業公演を前に養成所をやめました。養成所で同期だった市井昌秀(のち映画監督)と、市井の知り合いの樋口がアパートを訪ねてきて、三人でトリオ「髭男爵」**を組むことを誘われます。消費者金融での借金が嵩み、利子が毎月二桁になったところで弁護士事務所に行って債務整理しました。家賃を下げるため、近所の安アパートを探し、家賃八千円の「勝浦荘」に引っ越し。この部屋に十年近く住むことになり、最終的には二年分の家賃を滞納しました。
• 東浩紀: 26歳で『新潮』1~4月号にて文芸時評を担当しました。「エヴァにはまるのはなぜ?」(「文藝」1997年春号)を執筆。「柄谷行人について」(「ユリイカ」1997年3月臨時増刊号)を執筆。『早稲田文学〔第8次〕』4月号と5月号に「座談会 思考の地盤沈下―なだれおちる90年代批評をめぐって」と題した、池田雄一、伊東貴之との鼎談が掲載されました。8月16日、TBSラジオ**「スピークスピリッツ」**に出演し、元東京少年の笹野みちるが司会を務め、竹熊健太郎と対談しました。『Voice』10月号で連載企画「世紀末の対話」の第4回に登場し、「文芸批評の呪い」と題して福田和也と対談。10月、「オタクから遠く離れて」(『クイックジャパン』第16号)を執筆しました。
• 吉田豪: 27歳で2月、**「悶絶! プロレス秘宝館」**を発売しました。
• 関直美: 35歳で「ヴィンテージ・ギャグの世界」(高橋洋二との共著、徳間書店)、「聞く猿」(朝日新聞社)、「テレビ消灯時間」(文藝春秋)、「何が何だか」(世界文化社)を出版しました。公式HP**「ボン研」を立ち上げ**、ホームページ宛に芸能人の名前を挙げて「こいつをどうにかして下さい」といったメールが一日平均10通届きました。
• 池田晶子: 35歳で1月、『睥睨するヘーゲル』(講談社)を刊行。12月、『さよならソクラテス』(新潮社)を刊行しました。
1998年(平成10年)
• 東浩紀: 27歳で2月、同棲していたほしおさなえと共に長野オリンピックを観に長野へ行きましたが、チケットを持っておらず競技の観戦は叶いませんでした。同年、ほしおさなえと学生結婚。4月21日、共同討議「トランスクリティークと(しての)脱構築」に参加しました。10月、『批評空間』での連載を**『存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて』**として新潮社から上梓。帯に浅田彰による自著『構造と力』が過去のものとなったことを自認した言葉が載り、発売から3週間で1万3千部と人文書としては異例の売れ行きを見せました。10月21日、田中純との対談「交通空間から郵便空間へ」(「10+1」15号)。10月25日、王寺賢太との対談(「週刊読書人」11月13日号)。11月13日、宮台真司との対談(「リトルモア」7号)。12月14日、青山ブックセンターで発刊記念講演「郵便的不安たち」を行いました。
• 小田原満: 28歳で『週刊ヤングマガジン』に**「おやすみなさい。」**の連載を開始しました(~2002年、全8巻)。『週刊ヤングマガジン』との専属契約を解除しました。
• 安倍昭恵: 36歳で晋三の地元、下関市のコミュニティ放送『COME ON! FM』で、愛称でもある**「アッキー」の名前でラジオパーソナリティ**を務めました(~2002年)。
• 関直美: 36歳で4月、自動車免許の教習に通い始めました。「隣家全焼」(文藝春秋社、町山広美との共著)、「テレビ消灯時間2」(文藝春秋)を出版しました。
• 池田晶子: 38歳で3月、『残酷人生論 あるいは新世紀オラクル』(情報センター出版局)を刊行。4月8日、睦田真志からの手紙が『新潮45』編集部からFAXで転送されてきました。4月23日、睦田に返信の手紙を書き、文通が始まる。6月8日、池田と編集部が東京拘置所で睦田と面会。6月9日、睦田から、池田から面会の際に「あなたの考えには重大な誤りがある」と言われよく考えた結果、控訴取り下げはしないと書きました。12月、『考える日々』(毎日新聞社)を刊行しました。
1999年(平成11年)
• 山田順三: 24歳で市井と樋口とのトリオで約一年活動しますが、結果を出せず、市井が脱退。改めて樋口と二人でコンビとしてやって行くことにしました。
• 佐久間宣行: 24歳で4月、テレビ東京に入社しました。軽い気持ちで受けたフジテレビの入社試験で役員面接まで通過し、当時『踊る大捜査線』のプロデューサーであった亀山千広に**「君はテレビ現場に向いている」**と言われたことがきっかけでモノづくりに興味を持ちます。本腰を入れて就職活動を始めましたが、エントリー期限に間に合ったのがテレビ東京だけで、同社に願書を提出し、採用されました。入社1年目の1999年に、電気グルーヴの石野卓球が主催する「WIRE」というテクノイベントの第1回が開催され、それに行くために葬式だと嘘をつきました。
• 東浩紀: 28歳で1月、「柄谷行人についてⅡ」(「ヒューモアとしての唯物論」文庫版)を執筆。3月、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻博士課程を修了し、博士(学術)の学位を取得しました。日本学術振興会特別研究員となります(2002年3月まで)。3月に発売された『批評空間』第2期第21号に東が参加した共同討議「いま批評の場所はどこにあるのか」が掲載されました。4月、『棲み分ける批評』(『Voice』4月号)を執筆。7月、複数の雑誌に掲載された論考等を集めた評論集**『郵便的不安たち』を朝日新聞社から刊行し、『エヴァンゲリオン論』など所収。『AERA』10月4日号の表紙となりました。秋にはフランスに1か月半の語学留学をしましたが、結局話せずノイローゼで終わりました。『存在論的、郵便的』により1999年のサントリー学芸賞を受賞**し、第12回三島由紀夫賞候補にも選出されましたが受賞は逃しました。
• 関直美: 37歳で「耳部長」(朝日新聞社)、「何がどうして」(世界文化社)、「夜間通用口 テレビ消灯時間3」(文藝春秋)を出版しました。
• 池田晶子: 39歳で2月、『死と生きる 獄中哲学対話』(共著/新潮社)を刊行。4月、『魂を考える』(法藏館)を刊行。12月、『考える日々II』(毎日新聞社)を刊行しました。
2000年(平成12年)
• 佐久間宣行: 25歳で入社二年目で**「TVチャンピオン」のAD**になり、企画書を出し続けました。「3分料理選手権」という企画で初めて採用されました。
• 東浩紀: 29歳で1月、ウェブマガジン**『TINAMIX』を創刊し、責任編集を務めました(3月に辞任)。公式サイト「hirokiazuma.com」を開設**。5月、村上隆が企画して渋谷パルコで開催された「SUPER FLAT展」のコンセプトブック『スーパーフラット』に村上隆論を寄稿。7月11日、批評プロジェクト**「網状言論」を立ち上げました**。『大航海』(新書館)8月号の1990年代特集で宮台真司と対談。11月、CD-ROM「『不過視なものの世界』appendix no.1」、「『不過視なものの世界』appendix no.2」、「不過視なものの世界」販売記念バッジを販売。11月、「ポストモダン再考―棲み分ける批評Ⅱ」(『アステイオン』54号)を執筆。『小説トリッパー』に「誤状況論」と題する時評を連載しました(~2001年)。『広告』(博報堂)11・12月号に「存在論的、広告的」スペシャルとして「東浩紀のすごいデカい話」が掲載され、山形浩生、村上隆と対談しました。
• 吉田豪: 30歳で7月10日(月)、月刊誌「TVチョップ」(エンターブレイン)の打ち合わせでいきなり月30本以上コラムを書くよう依頼され固辞するもそのまま拉致され、キャバクラに連行されて引き受けさせられました。これが翌年**「男気卍固め」**として単行本化され、吉田豪の初期の代表作となりました。
• 関直美: 38歳で「ナンシー関のスケッチアカデミー」、「堤防決壊」(町山広美との共著、文藝春秋)、「冷暗所保管 テレビ消灯時間4」(文藝春秋)を出版しました。9月、「CREA」でリリー・フランキーとの対談「小さなスナック」の連載を開始。10月、「クィア・ジャパン」で当時無名のマツコ・デラックスと対談しました。
• 池田晶子: 40歳で12月、『考える日々Ⅲ』(毎日新聞社)を刊行しました。
2001年(平成13年)
• 佐久間宣行: 26歳で10月、「ナミダメ」でプロデューサーとしてデビュー。1月には終了が決定しますが、「ナミダメ・バトルロワイヤル」という企画がATP賞で評価されました。
• 山田順三: 26歳で**〈ピュアぞー〉として『進ぬ!電波少年』**の「電波少年的アンコールワットへの道の舗装」の企画に出演。カンボジアでの重労働により気を失って病院に搬送されました。
• 東浩紀: 30歳で9月16日、池袋のメトロポリタンプラザにてイベント「網状言論F」を開催しました。11月、**『動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会』**を発表しました。
• 吉田豪: 31歳で1月、橋本真也「Missing Person」という本を巡り「紙のプロレスRADICAL」で佐々木徹を批判したところ謝罪広告を出すよう抗議が来ますが、誌上に適当な謝罪を出しただけで終わらせました。
• 小田原満: 31歳で**『コギャル寿司』**で文藝春秋漫画賞を受賞しました。「妄想トラッカー8823」(『イブニング』2001年9月号 - 2003年13号)を連載しました。
• 関直美: 39歳で4月、自動車運転免許を取得しました。「秘宝耳」(朝日新聞社)、「ナンシー関のシールブック」(アスペクト)、「雨天順延 テレビ消灯時間5」(文藝春秋)、「何だかんだと」(世界文化社)を出版しました。
• 池田晶子: 41歳で2月、『REMARK』(双葉社)を刊行。3月、『2001年哲学の旅』(新潮社)を刊行しました。
2002年(平成14年)
• 佐久間宣行: 27歳でテレビ東京の同僚女性と結婚。結婚してすぐマンションを購入しましたが、子育てが忙しくなり売却しました。
• 東浩紀: 31歳で2月5日、笠井潔との往復書簡第一回で柄谷行人批判を行いました。4月、慶應義塾大学文学部非常勤講師に就任(2004年3月まで)。春から夏にかけて私的研究会「網状研究会」を数回開催。4月18日、柄谷行人が「子犬たちへの応答」をネット上に発表し、東、鎌田哲哉、大杉重男、千葉一幹ら、「批評空間や群像新人賞から出てきた」書き手たちを批判しました。4月23日、笠井潔との往復書簡第五信で時代認識の根本的な差異を表明。5月25日、向ヶ丘遊園から杉並区西荻窪に転居。6月1日、大塚英志と対談(『新現実』収録)。9月1日、商業文芸誌**『新現実』を角川書店より創刊し、責任編集を務めました。9月25日、大塚英志・斎藤環・前田真宏・大地丙太郎・藤島康介・由水桂との共著『「ほしのこえ」を聴け』**(アニメージュ叢書)を刊行しました。12月29日、ゲンロンカフェ辻田真佐憲×西田亮介×東浩紀「「21世紀」は2022年から始まった!」を開催。
• 関直美: 6月12日午前0時47分、虚血性心不全のため東京都内の病院で死去しました。享年39歳。11日夜、友人と飲食店で食事後、一人でタクシーに乗って帰宅途中、意識を失い搬送されました。6月16日、青森の実家に近い常光寺で通夜と告別式が行われ、遺骨は菩提寺である浅虫温泉の夢宅寺の墓に納められました。7月、広尾の有栖川スタジオにてスタンプ葬が営まれました。8月、青森市にて同級生によるメモリアル展が開催されました。
2003年(平成15年)
• 佐久間宣行: 28歳で**「大人のコンソメ」(2003年10月1日~2004年3月24日)で初めて総合演出**を務めました。小さい深夜番組でも自分に裁量権があり、ハラスメントもなく、好きなことをやれる独立国家を作ったことで、めちゃめちゃ忙しいながらも行きたいライブには自分の判断で行けるようになり、一気に呼吸ができるようになったと感じました。
• 東浩紀: 32歳で4月、国際大学グローバル・コミュニケーションセンター(GLOCOM)主任研究員・助教授およびRIETI(独立行政法人経済産業研究所)リサーチアシスタントに就任。「デジタル情報と財産権」に関する研究会に加わりました。4月、『動物化する世界の中で ―全共闘以後の日本、ポストモダン以降の批評』(集英社新書)を刊行しました。5月、スタンフォード日本センターリサーチフェローに就任(2006年まで)。8月29日~30日、『ハイパーネットワーク2003別府湾会議』にGLOCOM所属として参加。12月、メールマガジン**「波状言論」を発行・配信**しました(~2005年1月)。
• 池田晶子: 43歳で3月、『14歳からの哲学-考えるための教科書』(トランスビュー)を刊行。3月、『あたりまえなことばかり』(トランスビュー)を刊行。愛犬のコリー「ダンディー」が死去しました(14歳8か月)。
2004年(平成16年)
• 山田順三: 29歳で上田晋也(くりぃむしちゅー)から「髭でも男爵でもないじゃない」とツッコまれたことを機に、夏頃から山田が貴族風の衣装をまとい、髭を生やしてネタをするようになりました。
• 東浩紀: 33歳で3月、経済産業研究所リサーチアシスタントを退職。4月、東京大学大学院情報学環・学際情報学府客員助教授に就任。9月、国際大学グローバル・コミュニケーションセンター主幹研究員に就任。GLOCOMの東浩紀研究室にて**「ised」を立ち上げ**、情報社会に関する研究に取り組みました。GLOCOMの機関誌『智場』の発信編集局長を務め、WinnyなどのP2P、SNS、Web2.0について特集し、金子勇の講演レポートや梅田望夫と公文俊平の対談(司会鈴木健)を掲載するなど、新しいタイプの情報社会系批評誌を模索しました。11月、国際大学グローバル・コミュニケーションセンター教授に就任。批評同人誌**『美少女ゲームの臨界点』シリーズを刊行**しました。
• 吉田豪: 34歳で1月、「紙プロ」に書いた高田延彦の妻・向井亜紀の**『会いたかったー代理母出産という選択』の書評に高田が激怒**。山口日昇に連れられて高田の所に行き、謝罪させられました。4月、TBSラジオ**『ストリーム』のレギュラーコメンテーターになりました。10月9日、山口日昇の妻から「事務所を移転するから私物を全部持って帰るように」との連絡があり、新しい事務所には居場所がないことを告げられました。ダブルクロスから荷物を運び出すのをTBSラジオの橋本吉史ADに手伝ってもらいました。「紙プロ」での書評を中断し、『ゴング格闘技』に移籍して連載を続ける**こととなりました。
• 安倍昭恵: 42歳で10月、日本財団のアフリカ視察旅行に特別に自費で参加。南アフリカとマダガスカルの病院や学校、孤児院、エイズの施設などを視察して回りました。
• 池田晶子: 44歳で2月、『新・考えるヒント』(講談社)を刊行しました。再びコリー犬を飼い、「ダンディー」と名付けました。
2005年(平成17年)
• 佐久間宣行: 30歳で2月、**『ゴッドタン 〜The God Tongue 神の舌〜』**が単発放送され、好評のため10月から12月までレギュラー番組として放送されることになりました(第1期)。「これまでのテレビ業界のルールが通用しなくなるぞ」というムードが明確になってきたと感じ始めました。
• 山田順三: 30歳で二人とも貴族(男爵と執事)のスタイルになりました。サンミュージック預かりとなり、深夜テレビなどへの露出が始まります。
• 東浩紀: 34歳で3月、東京大学大学院情報学環・学際情報学府客員助教授を退職。5月12日、ライトノベル作家の滝本竜彦とロフトプラスワンにてトークイベント「降りる自由と僕たちの未来」を開催。6月6日、午後1時半ごろ娘が生まれ、名前は『CLANNAD』のキャラクター「汐」と胎児用聴診器「心音ちゃん」から汐音(しおね)と名付けられました。
• 吉田豪: 35歳でライターの照山紅葉(秦野邦彦)とポッドキャスト番組**『豪さんのポッド』を開始**しました。
• 小田原満: 35歳で『週刊ヤングマガジン』に**「チェリーナイツ」**の連載を開始しました(~2011年、全10巻)。8月26日、多摩市にある自宅マンションに無断で侵入したとして、27歳のファンの女が警視庁に逮捕されました。
• 池田晶子: 45歳で8月、『勝っても負けても 41歳からの哲学』(新潮社)を刊行しました。
2006年(平成18年)
• 佐久間宣行: 31歳で娘が誕生しました。このときは人生の中で一番仕事が忙しい時期でもありました。出産直前も9日間連続で会社に泊まり、特番ロケで大分にいたときに妻から破水の連絡を受け、なんとか出産に立ち会うことができました。仕事量が多い中で、当時はまだ現役バリバリのディレクターが「子どもがいるから」という理由で休みを取ることができない時代だったため、仕事と子育ての両立にかなり苦しみました。このままの働き方では子育ては難しいと気づいてからは、妻の両親と同じマンションに引っ越しをしました。
• 山田順三: 31歳でM-1グランプリで準決勝に進出し、敗者復活戦にて強烈な印象を残しました。
• 東浩紀: 35歳で4月から6月まで、国際大学グローバル・コミュニケーションセンター副所長を務めました。7月末、国際大学グローバル・コミュニケーションセンター教授・主幹研究員を退職。ライトノベル作家の桜坂洋、GLOCOM研究員の鈴木健との共同プロジェクトとして**「GEET STATE」を開始**。10月、東京工業大学世界文明センター人文学院 特任教授に就任しました。
• 安倍昭恵: 44歳で9月、晋三の内閣総理大臣就任によりファーストレディとなりました。彼女の活動を補助する「内閣総理大臣公邸連絡調整官」なるポストが設けられ、宮家邦彦が就任。11月、自身の公式ブログ**「安倍昭恵のスマイルトーク」を開設**しました(2011年11月12日まで更新)。12月21日、片岡鶴太郎の墨彩画教室に毎月参加していることをブログに投稿しました。
• 池田晶子: 46歳で6月、『人生のほんとう』(トランスビュー)を刊行。夏、腎臓がんの手術を受けました。10月、『知ることより考えること』(新潮社)を刊行。12月、『14歳の君へ どう考えどう生きるか』(毎日新聞社)を刊行。12月14日、週刊新潮の連載に「先月、父親が亡くなった」と書きました。
2007年(平成19年)
• 佐久間宣行: 32歳で4月、「ゴッドタン」第2期が始まりました(~2011年9月)。
• 山田順三: 32歳で年末の**『爆笑レッドカーペット』の出演をきっかけにブレイク**を果たしました。
• 東浩紀: 36歳で1月、北田暁大との共著**『東京から考える 格差・郊外・ナショナリズム』(NHKブックス)を刊行。大田区池上に転居。3月、『ゲーム的リアリズムの誕生動物化するポストモダン2』(講談社現代新書)を刊行。これまでのエッセイや論考をまとめ、『文学環境論集 東浩紀コレクションL』、『情報環境論集―東浩紀コレクションS』、『批評の精神分析東浩紀コレクションD』**の3つの論文集を講談社「講談社BOX」から刊行しました。4月、特任教授と東京工業大学世界文明センター人文学院ディレクターを兼務。6月5日、朝日カルチャ―センターで伊藤剛と対談し、『テヅカ・イズ・デッド』について話しました。「新潮」10月号に桜坂洋との共作「キャラクターズ」を発表。11月29日、大塚英志との対談「おたくオタクは公共的になれるか」が『新現実vol.5』に掲載されました。
• 吉田豪: 37歳でMONDO21(CSチャンネル)「松本伊代のキラキラ80’s」にレギュラー出演しました。
• 安倍昭恵: 45歳で1月27日、ブログに韓国語で「당신을 잊지 못할 거야(あなたを忘れないだろう)」という映画の感想を投稿しました。4月19日、日本財団のブログを見て興味を持ち、山谷にあるホスピス「きぼうのいえ」を訪問。4月26日~5月3日、アメリカ外遊。ホワイトハウスを訪問し、ブッシュ大統領夫妻に会いました。5月14日、福岡の不登校児や引きこもりの為の全寮制私塾「知心学舎」を訪問。5月26日、大阪西成区釜ヶ崎の「こどもの里」を訪問しました。9月12日、晋三が内閣総理大臣を辞任。辞任会見を開くことは事前に知らされておらず、友人からの携帯電話の電子メールで初めて知ったと述べています。
• 池田晶子: 2月23日午後9時30分、腎臓がんのため逝去しました。享年46歳。「週刊新潮」連載の「人間自身」最終回「墓碑銘」は死後掲載となりました。3月、大峯顕との共著**『君自身に還れ-知と信を巡る対話』(本願寺出版社)を刊行。4月、『人間自身 考えることに終わりなく』(新潮社)を刊行。6月、『暮らしの哲学』**(毎日新聞社)を刊行しました。
2008年(平成20年)
• 山田順三: 33歳で9月、髭男爵名義で**『ひげぼん』(グラフ社)を出版。9月30日、「髭男爵山田ルイ53世のルネッサンスラジオ」**(文化放送)の放送を開始しました。12月31日、第59回NHK紅白歌合戦(NHK総合)に出演しました。
• 東浩紀: 37歳で2月9日、東京都文京区の千石空房にて宇野常寛と**「決断主義トークラジオ Alive2 ビューティフル・ドリーマー」の公開収録を行いました。「東浩紀のゼロアカ道場」を講談社BOXにて開催。4月、NHK出版から北田暁大と共編で『思想地図』を刊行。7月1日、大塚英志との対談「秋葉原事件のあとで」。8月、大塚英志との対談書「リアルのゆくえ──おたく/オタクはどう生きるか」**(講談社現代新書)を刊行。8月9日、柄谷行人、浅田彰らと熊野大学シンポジウムに参加。12月に発売されたムック本『アニメージュオリジナル vol.2』にて山本寛と対談しました。
• 吉田豪: 38歳でマレーシア人と結婚した姉が家族(子供4人)で実家に戻り、新宿二丁目に引っ越しました。電柱に貼ってあったチラシを見ただけで中古マンションを衝動買いし、実家から運び込む荷物だけで段ボール300個になり、大量の段ボールに囲まれながら原稿を書いたり寝たりする毎日を送りました。
• 池田晶子: 6月17日、睦田真志の死刑が執行されました。死刑に際して最後の言葉は、**「池田晶子さんのところに行けるのはこの上もない幸せです」**だったとされています。
• 安倍昭恵: 46歳で1月、第169回国会会期中、晋三と私的なスキー旅行に出かけ、メディアから批判されました。3月、中国の南京、泰山、大連に行き、南京記念館を訪ねました。4月10日、日本政府が中国への配慮から接触しないと公表していたダライ・ラマ14世と面会しました。4月22日、3回目のインド訪問。6月12日、増上寺内の講堂で開催された「ミャンマーシンポジウム」に参加。6月24日、曽野綾子とカンボジアの「日本地雷処理を支援する会(JMAS)」の活動を見学。6月25日、タイのメーホンソンにある「第二次世界大戦博物館」を訪問。8月、2年ぶり4回目のミャンマー旅行で、マンダレーの寺子屋などを回りました。8月21日、水波動研究家・江本勝の事務所を訪問。8月23日、阿蘇の幣立神宮「五色神祭」に参加。8月24日、東中野「ポレポレ」で「受難と祈りー、チベットを知るための夏」というイベントに行きました。11月、ミャンマー旅行。12月2日、江本勝夫妻、谷村新司と会食しました。
2009年(平成21年)
• 佐久間宣行: 34歳で4月、子供向けバラエティ番組**「ピラメキーノ」(PIRAMEKINO)を開始**。当時の子ども向け番組が子ども達を子ども扱いし過ぎていると感じ、ちょっといじわるで、恋愛の要素もあって、悪意と笑いを組み合わせた番組を作れば、今の子ども達に受けるという仮説を立てました。この仮説を実証するため、子ども達の間で流行る「ギャグ」と「歌」を番組で作ること、そして、イベントに子ども達を大動員することをKPIとして会社と握り、結果的にすべて達成。テレビ東京としては初の成功体験となり、視聴率を取るよりも社内的なインパクトが大きかったと述べています。
• 東浩紀: 38歳で1月28日、東京工業大学世界文明センターで開かれた公開シンポジウム「アーキテクチャと思考の場所」にて司会を務めました。3月下旬から4月上旬にかけて宮台真司とアメリカ各地でシンポジウム・講演・ワークショップを行いました。春、新批評研究会を立ち上げました。7月23日、自身のブログ『東浩紀の渦状言論 はてな避難版』に「『ニッポンの思想』と『ストリートの思想』」というエントリを投稿。7月25日、ブログ**「hirokiazuma.com」の廃止を宣言しました。10月24日、「朝まで生テレビ!」に出演し、ベーシックインカムなどについて論じてバズりました。11月13日、「大竹まこと ゴールデンラジオ!」(文化放送)に出演。12月、『クォンタム・ファミリーズ』**(新潮社)を刊行しました。
• 小田原満: 39歳で4月11日、イベント「ワイルドチェリーナイツ 〜徹底討論! 朝まで生童貞!〜(PM10時には終わります)」に出演。8月29日、トークイベント「小田原ドラゴンVS古泉智浩 ワイルドチェリーナイツ名古屋編 〜徹底討論!朝まで生童貞!〜 *PM10時までに終わります。」に出演。10月11日、ライブイベント「漫画家バンド大戦'09」のライブの合間に行われる紙芝居に特別ゲストとして出演しました。
• 安倍昭恵: 47歳で2月11日、林真理子と蒲田にあるお好み焼き屋「福竹」に行きました。2月21日、谷村新司宅でお味噌作りを行いました。4月、中国を訪問しました(上海、杭州、朱家角、北京、大連)。4月10日、林真理子、和田秀樹と神泉の寿司屋に行きました。
2010年(平成22年)
• 東浩紀: 39歳で『文學界』1月号に堀江貴文との特別対談「日本をすっきりさせるために」を掲載。3月、東京工業大学世界文明センター主催の国際シンポジウム「クール・ジャパノロジーの可能性」に出席。4月、早稲田大学文学学術院講師(任期付き)に就任。4月6日、合同会社コンテクチュアズを設立登記。5月、『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社)で第23回三島由紀夫賞を受賞し、6月に行われた授賞式における文壇の閉鎖的な体質に抗議しました。6月、「東浩紀とニコニコ生編集!~思想地図bis編集会議×新批評研究会~」を主宰し、ここから「友の会」が生まれます。『新潮』7月号に千葉雅也、國分功一郎との鼎談が掲載。7月、宮台真司との共著**『父として考える』(生活人新書)を刊行。8月、会報誌『しそちず!』を創刊しました(~2011年12月)。8月28日、インターネットラジオ番組「八木たかおの荒野のコナイパー」第16回にゲスト出演。9月、四谷にシェアオフィスを借りました。12月、『思想地図β vol.1』**(特集:ショッピング/パターン)を刊行し、3万部近く売れました。
• 小田原満: 40歳で1月6日、「小田原ドラゴンのドキドキ生ラジオ」を開催しました。3月22日、紙芝居をテーマに競うイベント「紙-1グランプリ 2010」に参加。7月22日、Ustream『チェリーナイツ』の作画中継(ヤングマガジン30周年特集)を行いました。10月10日、BSフジにて**『チェリーナイツ』が連続ドラマとして放映開始**しました。12月24日、「小田原ドラゴンのドキドキ生ラジオ」を開催しました。
• 安倍昭恵: 48歳で6月6日、北海道浦河にある精神障害者施設「べてるの家」で向谷地宣明、小林絵理子の話を聞きました。12月1日、山谷地区の在宅ホスピスケア施設「きぼうのいえ」でミサに参加。12月3日、五井平和財団主催の講演会「BELLA GAIA」に行きました。
2011年(平成23年)
• 佐久間宣行: 36歳で6月まで編成局企画推進部主任を兼務。10月、「ゴッドタン」第3期が始まりました(~2013年12月)。10月、「ウレロ☆未確認少女」も始まりました(~12月)。
• 山田順三: 36歳で8月8日、一般女性(当時31歳、化粧品販売員)と結婚。8月8日が「髭の日」だったことから、妻の提案で同日に婚姻届を提出しました。
• 東浩紀: 40歳で1月、代表による使い込みが発覚し、合同会社コンテクチュアズの代表に就任。2月10日~11日、東京大学大学院総合文化研究科広域システム科学系で特別授業「広域システム科学特別講義III」を行いました。2月26日、第1回友の会総会(1362名)を開催し、『AZM48』というパロディ映画が波紋を呼びました。3月11日、東北地方太平洋沖地震が発生し、東は同僚とともに東京都心部の四谷にある古い雑居ビルの六階にいました。4月、本社を五反田に移転し拡大。5月、ドワンゴで**「ニコ生思想地図」が始まりました(~2012年9月まで13回)。7月1日、友の会第2期が開始。9月、『思想地図β vol.2』**を刊行しましたが、利益ではなく売上の3分の1を被災地に寄付したため、利益がほぼゼロになり、資金繰りが怪しくなっていきました。
• 小田原満: 41歳で7月17日、新宿ロフトプラスワンのイベント「こわれ者の祭典」にゲスト出演しました。
• 安倍昭恵: 49歳で2月、ミャンマー旅行。3月、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科修士課程を修了し、修士号(比較組織ネットワーク学)を取得。修士論文は、「ミャンマーの寺子屋教育と社会生活—NGOの寺子屋教育支援—」でした。3月26日、下関出身の堤晋一が被災者のためにチャリティーライブをするということで、下北沢にある「またたび」へ。3月27日、「森のぞうさん'S」のメンバー3人と一緒に児童養護施設「福田会」を訪問。3月30日、『水からの伝言』の著者江本勝から「愛と感謝の祈りを福島原発の水たちに送ってください!!」というメッセージが届いたとブログに投稿しました。7月8日、瀬織津姫物語の著者・山水治夫の紹介で「瀬織津姫」シリーズ読者と淡路島の神社巡りをしました。9月、ミャンマーで竹内モハルが建てた寺子屋の開校式に出席しました。
2012年(平成24年)
• 山田順三: 37歳で7月4日、第一子(長女)が誕生しました。
• 東浩紀: 41歳で1月、『震災から語る』(ニコ生対談本1)を刊行。1月28日、第2期友の会総会を開催しました(会員数1866名)。2月、ブランド名として**「ゲンロン」を設定し、会報誌を『ゲンロンエトセトラ』としてリニューアルしました。2月、創設時メンバーの浅子佳英が退社し、東のみが残りました。2月24日、津田大介と共に第98回紀伊國屋サザンセミナー「政治をアップデートする―ツイッター、一般意志、未来社会」を開催。3月、『メディアを語る』(ニコ生対談本2)を刊行。3月、『日本2.0』のグラビア撮影のためにサイパンロケを敢行し、事業の借入れを開始しました。4月、東が代表取締役社長兼編集長を務め、合同会社コンテクチュアズを株式会社ゲンロン(友の会は「ゲンロン友の会」)として改称改組しました。4月、「ゲンロンファクトリー」を開始**。5月、メルマガ**「ゲンロンサマリーズ」を開始しました(~2013年6月)。7月、『日本2.0 思想地図β vol.3』を刊行。初版2万部で印刷費は1014万6347円でしたが、売上のわりに利益が出ませんでした。7月1日、友の会第3期が開始しました(2168名)。7月29日、Chim↑Pomとのトークイベントにて「福島第一原発観光地化計画」を提案**し、9月には同プロジェクトを立ち上げました。8月、ゲンロンのロゴを作成しました。10月、南相馬市で福島第一原発観光地化計画ワークショップを開催。10月、「福島第一原発観光地化計画とゲンロンカフェをめぐる現状報告」(クイックジャパン vol.104)で清水亮との対談。11月、合同会社ゲンロンカフェを設立し、オフィスの近くに店舗物件を借りました。
• 吉田豪: 42歳で「kamipuro」元編集長・山口日昇と雑誌対談を行いました。高田延彦に呼び出されて怒られた事件以来8年ぶりに会話しました。12月30日24:00からTBS系列局のドキュメンタリー番組**『情熱大陸』に出演**しました。
• 小田原満: 42歳で7月15日、科学技術館で開催された、漫画家にその場で似顔絵を描いてもらえるTシャツ直売イベントに参加しました。
• 安倍昭恵: 50歳で国産・無農薬・無添加の食材にこだわった**「居酒屋UZU」を東京都千代田区に開店**しました。12月16日、第46回衆議院議員総選挙で自由民主党が民主党から政権を奪還し、総裁であった晋三が同年12月26日に内閣総理大臣に再就任したことで、再びファーストレディとなりました。
2013年(平成25年)
• 佐久間宣行: 38歳で6月28日、「ゴッドタン キス我慢選手権 THE MOVIE」で映画監督デビューしました。
• 山田順三: 38歳で4月、「はみだし しゃべくりラジオ キックス」(山梨放送)の放送を開始しました。
• 東浩紀: 42歳で1月31日、「自分がかつて批評家然として妙に偉そうだったことについては、ほんといろいろと反省しており、そしてその失敗については一生かけて責任とってくしかないなあとか思う」とツイート。2月、対談集**『震災ニッポンはどこへいく』を刊行。2月1日、ゲンロン本社近くに飲食可能なイベントスペースとして「ゲンロンカフェ」をオープンしました。3月末、早稲田大学文学学術院教授を退職。4月8日~15日、開沼博、津田大介、新津保建秀、小嶋裕一、助田徹臣と共にウクライナへ行き、旧チェルノブイリ原子力発電所を視察。取材費をクラウドファンディングで集めました(支援総額609万5001円)。7月、『弱いつながり 検索ワードを探す旅』(幻冬舎)を刊行。7月、『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド 思想地図β vol.4-1』を刊行。7月1日、友の会第4期が開始しました(2452名)。9月、ゲンロンカフェのイベントをニコ生で配信・販売開始。10月、ゲンロンスクール「子供教室」が発足**。11月、第1回チェルノブイリツアーを実施し、ゲンロン完全中継チャンネルの月額会員が開始。11月、『福島第一原発観光地化計画 思想地図β vol.4-2』『セカイからもっと近くに 現実から切り離された文学の諸問題』(東京創元社)を刊行。12月、福島第一、第二原発を取材。12月7日、日本映画大学の講義「ジャーナリズム論」において大澤信亮と対談するも、翌日になり東は掲載取りやめを打診するメールを大澤に送付しました。12月14日、國分功一郎とゲンロンカフェで対談「来るべき民主主義──デリダ、ドゥルーズ、柄谷行人」を行いました。12月24日ー28日、「『フクシマ』へ門を開くー福島第一原発観光地化計画2013」を開催しました。
• 小田原満: 43歳で1月14日、難波Meleにて「童貞たちの成人式」というイベントを開催しました。3月24日、阿佐ヶ谷ロフトAのイベント「漫画家同士のガチバトル!無限2コマ地獄!」に参加。8月26日、「天堂きりんとゆかいな仲間たち〜夏忘れ☆盆々ライブペイント〜」にゲスト出演しました。
• 安倍昭恵: 51歳で12月、中日新聞社の東京新聞の取材に対し、再生可能エネルギーへの転換、原子力発電所輸出への異論を述べました。
2014年(平成26年)
• 佐久間宣行: 39歳で1月、「ゴッドタン」第4期が始まりました(~2022年3月)。10月、『できないことはやりません ~テレ東的開き直り仕事術~』(講談社)を発売しました。
• 山田順三: 39歳で夏より女性アイドルグループ**「まどもあ54世」のプロデュース**を手がけました。
• 東浩紀: 43歳で2月1日、第3回(第4期)友の会総会を開催しました(1793名)。5月、黒瀬洋平を主任講師に迎え**「ポストスーパーフラット・アートスクール」を開設**。7月1日、友の会第5期が開始しました(1884名)。7月5日~8月9日、「南相馬に日本一の塔があった」展を開催。11月、第2回チェルノブイリツアー開催に同行しました。12月20日、第4回(第5期)友の会総会を開催しました(1743名)。
• 吉田豪: 44歳でミスiDの審査員になりました。「ルックス重視のミスコンとは異なり、ルックスやジャンルに捉われず、新しい時代をサバイブしていく多様な女の子のロールモデルを発掘するオーディション」と謳うミスiDに、2022年現在も毎年継続して参加しています。
• 小田原満: 44歳で5月3日、科学技術館で開催された、漫画家にその場で似顔絵を描いてもらえるTシャツ直売イベントに参加しました。
2015年(平成27年)
• 佐久間宣行: 40歳で8月29日、**『佐久間宣行のオールナイトニッポンR』**という番組名で、『オールナイトニッポンR』(ニッポン放送)の週替わりパーソナリティを担当しました。
• 山田順三: 40歳で8月、『ヒキコモリ漂流記』(マガジンハウス)を出版。8月、『第1回 一発屋オールスターズ選抜総選挙 2015』で最多得票を集め、髭男爵が初代王者に選定されました。
• 東浩紀: 44歳で1月、実務担当が退職し、東・上田・徳久の3人で領収書を打ち込むようになりました。1月、『ショッピングモールから考える』を電子書籍で刊行。3月2日、批評家の佐々木敦と共に**「ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾」を始動**。3月25日、小林よしのり、宮台真司をゲストに迎えてゲンロンカフェにて「日本を変えるにはテロしかないのか?」と題したトークイベントを行いました。4月、「カオス*ラウンジ 新芸術校」が開講しました。5月31日、ゲンロンカフェにて笠井潔+藤田直哉+東浩紀「右傾エンタメは日本を亡ぼすのか?——『文化亡国論』をめぐって」を開催。6月、「ゲンロン 佐々木敦 批評再生塾」が開講しました(~2019年4月)。7月1日、友の会第6期が開始しました(1791名)。8月から10月にかけて社会学者の開沼博との往復書簡「脱福島論」を毎日新聞上で連載しましたが、意見が衝突したまま折り合いがつかず5回で終了しました。9月、カオスラウンジとの共同運営で**「五反田アトリエ」を開設**。10月、小林よしのり、宮台真司との鼎談をまとめた**『戦争する国の道徳 安保・沖縄・福島』(幻冬舎)を出版。10月、第3回チェルノブイリ・ツアーを開催。11月5日、ゲンロンカフェにて『戦争する国の道徳』刊行記念トークイベントを共著者である小林、宮台を迎えて行いました。11月11日、「民主主義ってどれだ?」と題したニコニコ生放送に出演。12月、批評誌「ゲンロン」を創刊し、『ゲンロン1』**を刊行。12月26日、第5回友の会総会を開催しました(1751名)。第5回紀伊國屋じんぶん大賞2015で「大賞」を受賞しました(『弱いつながり』)。
• 小田原満: 45歳で『週刊ヤングマガジン』に**「ロボニートみつお」**の連載を開始しました(~2017年、全3巻)。8月26日、多摩市にある自宅マンションに無断で侵入したとして、27歳のファンの女が警視庁に逮捕されました。
2016年(平成28年)
• 東浩紀: 45歳で1月、大山顕との共著**『ショッピングモールから考える ユートピア・バックヤード・未来都市』(幻冬舎新書)を刊行。4月、「ゲンロン 大森望 SF創作講座」が開講**。4月、『ゲンロン2』を刊行し、韓国取材を行いました。4月25日、五反田で佐々木敦と「批評再生塾」第一期と企画の意義をめぐる対談。5月26日-27日、那覇で「ゲンロンカフェ出張版」を開催。6月、ゲンロンこども教室BBQパーティを城南島海浜公園で開催。『小説トリッパー』夏号で「批評再生塾」特集が組まれました。7月、『ゲンロン3』を刊行。8月、『クリュセの魚』(河出文庫)を刊行。8月1日、友の会第7期が開始しました(1993名)。9月、「ゲンロン 利賀セミナー2016」を開催。10月、第4回チェルノブイリツアー。11月、『ゲンロン4』を刊行し、好評で増刷されました。12月17日、第6回友の会総会を開催し(1995名)、3会場制となりました。12月26日、J-WAVEの番組「JAM THE WORLD」に出演し、2016年の5大事件を挙げました。
• 小田原満: 46歳で2月、第5回死刑映画週間「殺されていく命」が東京渋谷ユーロスペースで行われ、「九人の死刑囚」上映後に登壇しトークしました。
• 安倍昭恵: 54歳で1月7日、長崎の超能力喫茶「あんでるせん」を訪ねました。同行者は33名でした。7月5日、「アベ政治を許さない」と書かれた紙を掲げる男性らと満面の笑みを浮かべる写真をインスタグラムに投稿しました。11月、小池百合子との対談(週刊現代 2016年11月12日号)で**「今、大麻に興味がある。ひとつは医療用、もうひとつは『祈祷用』」**などと発言しました。
2017年(平成29年)
• 佐久間宣行: 42歳で9月、「ゴッドタン」がギャラクシー賞・2017年8月度月間賞を受賞しました。
• 山田順三: 42歳で1月-12月**『新潮45』に「一発屋芸人列伝」を連載**しました。
• 東浩紀: 46歳で3月25日、「浅田彰先生の還暦を祝う会」をゲンロンオフィスで開催。4月、『ゲンロン0 観光客の哲学』『再起動する批評』『SFの書き方』『ゲンロン6』を刊行。10月1日、友の会第8期が開始しました(2471名)。11月、『ゲンロン0―観光客の哲学』で第71回毎日出版文化賞を受賞。12月、『ゲンロンカフェ7』を刊行。12月10日、「ゲンロンカフェ @ VOLVO STUDIO AOYAMA」第2回として國分功一郎と「いま哲学の場所はどこにあるのか」と題した対談。12月18日、J-WAVEの番組「JAM THE WORLD」に出演し、2017年の5大事件を挙げました。12月23日、第7回友の会総会を開催しました(2172名)。
• 吉田豪: 47歳でテレビ朝日の番組**『ラストアイドル』に審査員として出演**しました。10月22日放送の第11回で、かねてよりファンの間で評価も高く人気もあった長月翠が蒲原令奈に敗れた際、ジャッジに指名された吉田豪が蒲原を選んだことでネット炎上。結果的に吉田と番組の双方の知名度を上げました。
• 安倍昭恵: 55歳で2月23日、4月に就任予定だった森友学園の名誉校長を辞任しました。3月14日、内閣総理大臣夫人としての立場について、「公人」でなく「私人」であると閣議決定されました。
2018年(平成30年)
• 山田順三: 43歳で5月**『一発屋芸人列伝』(新潮社)を出版。「一発屋芸人列伝」で「第24回 編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞**。8月**『ヒキコモリ漂流記 完全版』(新潮文庫)を出版。12月『中年男ルネッサンス』**(イースト・プレス、社会学者・田中俊之との共著)を出版しました。
• 東浩紀: 47歳で3月、代表室(サテライトオフィス)を開設し、東と上田は代表室に移動しました。これがこの年の年末にかけての会社の危機を招くことになります。5月、『ゲンロン8』を刊行しましたが、ゲーム特集が炎上しました。6月、第5回チェルノブイリツアー。9月、「ゲンロン叢書」を創刊し、小松理虔『新復興論』を刊行しました(第18回大佛次郎論壇賞)。10月1日、友の会第9期が開始しました(2754名)。10月、『ゲンロン9』を刊行。11月、ロシア取材中に社員から退社希望メールが届き集中できませんでした。11月、『マンガ家になる!』を刊行。12月18日、精神状態が悪化し、ゲンロン解散をTwitterで宣言しました。12月21日、代表取締役を上田洋子に交代し、株式会社ゲンロンの代表を退きました。12月23日、第8回友の会総会を開催しました(2486名)。
• 小田原満: 48歳で『やわらかスピリッツ』に**「ぼくと三本足のちょんぴー」**の連載を開始しました。
• 安倍昭恵: 56歳で2月14日、朝日新聞に、内閣総理大臣夫人としての振る舞いについて、無所属の会の江田憲司の指摘が掲載されました。
2019年(平成31年、令和元年)
• 佐久間宣行: 44歳で3月13日、『オールナイトニッポン・オールナイトニッポン0(ZERO)パーソナリティ発表会見』において、4月4日から毎週木曜 3:00 - 4:30(水曜 27:00 - 28:30)の時間帯で**『佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)』を担当することが発表されました。でした。10月、「あちこちオードリー」を開始**。10月8日、本多劇場で『佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO) リスナー感謝祭2019〜sailing day〜』を開催しました。
• 山田順三: 44歳で1月**『一発屋芸人の不本意な日常』**(朝日新聞出版)を出版。6月11日、第二子(二女)が誕生しました。
• 東浩紀: 48歳で1月、自宅に引きこもっている間に上田体制下で社内再編が行われました。3月、満州取材を行い、これが**『ゲンロン10』掲載の「悪の愚かさについて」の柱となりました。3月、石田英敬との共著『新記号論: 脳とメディアが出会うとき』(ゲンロン叢書)を刊行。6月、合同会社シラスを設立し、代表取締役に就任しました。6月、『テーマパーク化する地球』(ゲンロン叢書)を刊行。8月、あいちトリエンナーレ2019の企画アドバイザーを辞任しました。9月、『ゲンロン10』を刊行**し、大幅リニューアルされました。10月1日、友の会第10期が開始しました(3069名)。10月、チェルノブイリ、リトアニアを取材しました。12月21日、第9回友の会総会を開催しました(2720名)。
2020年(令和2年)
• 山田順三: 45歳で10月**『パパが貴族 僕ともーちゃんのヒミツの日々』**(双葉社)を出版。
• 佐久間宣行: 45歳で10月14日、自身のラジオ番組で翌年1月11日に東京国際フォーラムにて2度目の単独イベント『佐久間宣行のオールナイトニッポン0 リスナー大感謝祭2021〜fanfare〜』の開催を発表しましたが、新型コロナウィルスの感染拡大、緊急事態宣言のため中止。その後、イベント開催日と同日に有料配信イベント『佐久間宣行のオールナイトニッポン0 リスナー小感謝祭2021〜Believe〜』を開催しました。
• 東浩紀: 49歳で2月、プラープダー・ユン**『新しい目の旅立ち』(ゲンロン叢書)を刊行。2月、新型コロナウイルスの流行を受け、2月25日を最後にすべてのゲンロンカフェイベントを無観客での映像配信に転換し、スクールも授業をしばらく休止しました。3月、大山顕『新写真論』(ゲンロン叢書)を刊行しました(23年6月 日本写真協会賞受賞)。4月、webサイト「ゲンロンα」を公開しました(後に「webゲンロン」に改称)。4月、『新対話篇』『哲学の誤配』を同時刊行。6月2日、外山恒一からの申し入れにより新型コロナウイルス騒動の自粛ムードへの違和感をめぐるゲンロンカフェ対談を開催し、オンライン参加した津田大介と激しい口論となり、最終的に絶縁状態となりました。7月23日、株式会社ゲンロンが合同会社カオスラ(黒瀬陽平)との共同事業の契約解消を発表。8月、ゲンロンカフェの内装を大幅リニューアル。9月、『ゲンロン11』を刊行**。9月、五反田アトリエがゲンロン単独運営となりました。10月1日、友の会第11期が開始し(3749名)、ロゴをリニューアルしました。10月19日、動画配信プラットフォーム**「シラス」がオープンしました。11月、株式会社ゲンロンが第36回梓会出版文化賞 特別賞を受賞。12月、石戸諭による聞書き『ゲンロン戦記「知の観客」をつくる』**(中公新書ラクレ)を刊行しました。
• 小田原満: 50歳で『ヤンマガWeb』に**「今夜は車内でおやすみなさい。」**の連載を開始。当初は完全にエッセイにするつもりでネームを描いていましたが、週刊連載で毎週面白いネタを思い浮かばせるのは困難であること、毎週車中泊するのも大変であることから、自分をモデルにした「シャーク小笠原」というキャラを作り、フィクションも混ぜつつ描いていくことになりました。
• 安倍昭恵: 58歳で3月15日、新型コロナウイルス感染拡大中、大分に旅行し、約50人の団体とともに大分県宇佐市の宇佐神宮を参拝したと週刊文春が報道しました。9月16日、第4次安倍第2次改造内閣総辞職及び菅義偉内閣成立に伴い、7年8ヶ月務めたファーストレディを菅真理子に引き継ぎました。
2021年(令和3年)
• 山田順三: 46歳で4月、「やまなし調ベラーズ ててて!TV」(YBSテレビ)の放送を開始。5月、「週刊SPA!」で私小説作家・西村賢太と対談しました。
• 佐久間宣行: 46歳で3月26日、テレビ東京社員として最後のオールナイトニッポン0に出演。先輩の伊藤隆行クリエイティブビジネスチーム部長、後輩の三宅優樹ディレクターが出演しました。3月31日、テレビ東京を円満退社。以後も社との契約で『ゴッドタン』『あちこちオードリー』『考えすぎちゃん』は継続しプロデューサー、演出を行うことになりました。会社を辞めたのは、部長的なポジションになるタイミングが目前に迫っていて、管理職になってからでは会社にも部下にも迷惑をかけるので、その前に辞めようということでした。6月、ラジオ本**『普通のサラリーマン、ラジオパーソナリティになる〜佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)2019-2021〜』**(扶桑社)を発売。7月4日、YouTubeチャンネル『佐久間宣行のNOBROCK TV』を開設し、配信開始1週間で登録者数5万人を突破、開設1か月弱(7月29日)で登録者数10万人、1か月半(約45日)で登録者数15万人を突破しました。
• 東浩紀: 50歳で1月2日、吉田豪によるインタビュー**「TwitterやYouTubeで『知の観客』をつくることはできない」(プレジデントオンライン)が掲載。2月23日、楠木建との対談「何でも無料のインターネットは、「商業道徳」を無視しすぎている」(プレジデントオンライン)が掲載。6月、『ゆるく考える』**(河出文庫)を刊行。11月24日、有料動画プラットフォーム「シラス」が炎上しない理由についての記事(プレジデントオンライン)が掲載されました。
• 小田原満: 51歳で3月28日、高津マコトとYoutubeでトークイベントの生配信を行いました。
• 安倍昭恵: 59歳で2月23日、長年可愛がってきた愛犬「ロイ」が19年6ヶ月の生涯を終え、天寿を全うしたとインスタグラムで報告しました。6月27日、熊本県のブリーダー崩壊により保護されたミニチュアダックスフンドの「ロン」(推定5歳)を「家族」として迎えたことをインスタグラムで報告しました。
2022年(令和4年)
• 山田順三: 47歳で4月、長女(小学校四年)に父親の正体が**「髭男爵」**であることを明かしました。それまでは「フレキシブルな勤務形態のサラリーマン」という設定で胡麻化していましたが、長女はすでに5、6歳の頃から父親の職業について勘づいており、ネットで「山田順三」で検索をかけ、山田が「髭男爵」であることをほとんど確信していました。5月、Youtube【街録ch】に出演。11月、緑が丘小学校創立50周年記念式典に卒業生として招かれ、「本当の意味で卒業したのは緑が丘小だけなんです」と母校への思いを語りました。
• 佐久間宣行: 47歳で4月、ビジネス書**『佐久間宣行のずるい仕事術 僕はこうして会社で消耗せずにやりたいことをやってきた』を発売**。6月、YouTubeサブチャンネル**『NOBROCKドキュメント』を開設**。7月、サブチャンネルにて新たなアイドルをプロデュースすることを発表し、吉田豪や竹中夏海にアドバイスを求めながらオーディションを実施しました。7月15日、「佐久間宣行のオールナイトニッポン0」が『2022年日本民間放送連盟賞』ラジオ番組部門(東京地区審査)で1位に選ばれました。11月、ラジオ本第二弾**『普通のサラリーマン、ラジオパーソナリティになる〜佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)2021-2022〜』(扶桑社)を発売。12月、9人組アイドルグループ「ラフ×ラフ(Rough×Laugh)」を立ち上げ**ました。
• 東浩紀: 51歳で3月、本社を移転しました。7月、星野博美**『世界は五反田から始まった』(ゲンロン叢書)を刊行しました(第49回大佛次郎賞)。7月13日、「東浩紀が統一教会を擁護しているというデマにつきまして」をnoteに投稿しました。7月14日、なぜ多くの知識人は「新しい生活様式」に飛びついたのか…東浩紀が「ChatGPT騒動も同じ」と断じるワケ(プレジデント・オンライン)が掲載。10月19日、『ゲンロン13』刊行に際しnoteに投稿**しました。
• 吉田豪: 52歳でテレビプロデューサー・佐久間宣行が総合プロデュースを手がける新アイドルグループのオーディション「佐久間Pアイドルプロデュースプロジェクト」に審査員として加わりました。11月、集英社オンラインの企画でウエストランド・河本と対談し、その破天荒で危険すぎる一面を世に広めましたが、12月にM-1グランプリでウエストランドが優勝した後、「黒歴史」として当人らから無視・黙殺されました。
• 小田原満: 52歳で10月21日、自身のツイッターで、自身の銀行口座から2千万円以上が差し押さえられ、身に覚えがない旨を報告。同日中に銀行に連絡をとった結果、年金未納による差し押さえであることが判明しました。11月1日、北海道のコミュニティFMラジオカロスサッポロ「Mix Morning」に出演し、年金未納騒動について語りました。12月24日、車中泊旅行のさなか、クリスマス・イブの夜に行ったTwitterのスペースにて、来年早々に新作を描く構想を明らかにしました。
• 安倍昭恵: 60歳で6月18日、愛犬「ロン」が近所の公園でドッグランデビューしたことをインスタグラムに投稿。6月22日、和歌山県みなべ町の梅農家で手伝いをしたことをフェイスブックに投稿しました。7月8日、夫の晋三が奈良市の近鉄大和西大寺駅前で参院選の応援演説中、改造銃で背後から2発撃たれ同日死亡しました。昭恵は病院に到着後、人工呼吸器をつけてベッドに横たわる晋三の手を握り「晋ちゃん、晋ちゃん」と何度も名前を呼び続けましたが、医師が輸血を大量に行うなど蘇生措置を実施したことおよび容態を告げ、最終的に「蘇生は難しい」と判断しました。同日、晋三が関係する6つの政治団体のうち、資金管理団体「晋和会」と「自由民主党山口県第四選挙区支部」の2つの団体を継承し、代表に就任。晋和会については後に資金管理団体の指定を解除しました。7月21日、自民党本部で開かれた清和政策研究会(安倍派)の総会に出席し、晋三の死去に伴う山口4区の補選について「立候補する考えはない」と話しました。10月31日、「居酒屋UZU」を閉店しました。
2023年(令和5年)
• 佐久間宣行: 48歳で2月18日、ニッポン放送**「秋元康と佐久間宣行のオールナイトニッポン」で秋元が復活する「オールナイトフジ」のメインパーソナリティーが佐久間宣行であることを情報解禁前に暴露**しました。3月9日、9人組アイドルグループ「ラフ×ラフ(Rough×Laugh)」のデビュー曲「100億点」(作詞を佐久間が担当)の配信が開始され、同日に池袋の噴水広場でデビューイベントも行われました。
• 吉田豪: 53歳で2月、ヤフーニュースのコメンテーターに就任しました。松本零士逝去(2月20日)に対しコメント。タモリ倶楽部終了(2月22日)に対しコメント。ジャニー喜多川BBCドキュメンタリー放映(3月9日)に対しコメント。ムツゴロウ(畑正憲)死去(4月6日)に対しコメント。6月20日、毎週火曜日配信の「猫舌SHOWROOM」のゲストに前田日明が登場しました。7月9日、ヤフーニュース「山下達郎、松尾潔氏の契約解除問題に言及「私が契約を終了するよう促したわけではない」」にコメント。9月7日、ヤフーニュース「ジャニーズ新社長・東山紀之 問われる手腕」にコメントしました。
• 安倍昭恵: 61歳で4月、衆院選補欠選挙山口4区で吉田真次を応援し、当選を果たしました。4月27日、来日中のバングラデシュ、ハシナ首相と妹のレハナ女史と面会。4月28日、弘法寺の新米尼である小田海光と出版記念を兼ねて二人でトークショー。5月9日、「台湾フィルハーモニック2023日本公演」で台湾の李登輝元総統の次女、アニーさんと一緒に。5月15日、茨城県下妻市にある宗任神社の合祀祭に参列。安倍家のご先祖と言われている安倍宗任を祀っている神社でした。5月26日、議員会館で麻の活用に関する勉強会に参加。6月17日、有明アリーナでユーミンのコンサートを観覧。7月1日、橿原神宮に正式参拝。7月、台湾を訪問しました。7月22日、納骨を前に骨とともに萩の松陰神社に正式参拝。7月30日、下関市赤間神宮に参拝。