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1986年3月14日渋谷陽一サウンドストリート最終回

この回はぼくも録音した。渋谷陽一がDJとして最もヘヴィーな気持ちで放送した番組ではないかと思っている。

動画サイトに上げてくれている人がいるので、全体を文字起こししてみた。

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こんばんは渋谷陽一です。

 

1. Stairway To Heaven(Led Zeppelin IV)

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この歌の主人公である1人の女の子というのがおりまして、この子は天国への階段、まさにステアウェイトゥヘブンは存在してそれを買うことができると固く信じている、そういう女の子なんですね。

で、彼女はステアウェイトゥヘブンはどこで売ってますかとお店を尋ね歩いて、でもまあ「天国への階段大安売り!」などと書いてあるわけありませんから、どこの店でも売られていない。当然お店の看板にステイウェイトヘブンとかそういうことが書いてるわけはないし、全ての店は閉じられている。

しかし彼女は絶対ステアウェイトゥヘブンがこの世にあると信じて疑わないわけですね。

で、一生懸命そのステアウェイトゥヘブンを求めていろんなところを求め歩くと。

なんで彼女がそのようなステアウェイトゥヘブンを自分自身が買えると思い込んだかというと、それはどうもよくわからないと。

例えばその、風の彼方に聞こえる音からなんとなくそういう確信を得たのかもしれないし、そうでないのかもしれない。その辺はよくわからないけれども、とにかく彼女はそのステアウェイトゥヘブンを絶対自分のものにすることができると固く信じている。

そしてそのステアウェイトゥヘブンを手にした時には全て輝くものは黄金に変わり、えーまあなんていうか世界は変わってしまうとそのように思っているわけですね。

で、みんなはまあ当然それは非常に愚かしいことだと、我々の考えてる理性においてはそのステアウェイトゥヘブンというのはないはずだと。

けれども最終的に僕たちはひょっとすると彼女が聞いたその確信の音を僕たち自身もいつの日か聞くことがあるかもしれないと、それは僕たちが誰よりもみんなが強くその音を聞きたいと願った時にその音は僕たちの耳に到達するし、その音を僕たち自身が全員が耳にした時に全てのものは1つとなり、1つのものは全てとなるのだと。

その時に僕らは「To Be a Rock and Not To Roll」つまりもはや揺らぐことはなく1つのロック足り得るのだという。

そういうこのステアウェイトゥヘブンのメッセージ、もうかなり昔の曲ですけれども、ここで歌われているメッセージというのは僕にとって全く風化しないものというか、むしろ時が経てばたつほど僕にとってすごく重要なメッセージになっているわけですね。

で、レッド・ツェッペリンがこのステアウェイトゥヘブンを歌ってそして「To Be a Rock and Not To Roll」と自分たちで1つの宣言をした後、彼らはまさにそのロックへ向かってひたすら突き進んでいって、実際にそういう音を獲得していきました。

で、この過程というのは、僕自身のロック体験の中においてもう何にも替えがたいスリリングな体験であったし、ある意味で、そういう変化の中にこそ僕にとってのロックというものの全てとは言いませんけれども、かなりのものがあったと、今なっても断言することができます。


2. The Song Remains The Same(Houses Of The Holy)

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ステアウェイトゥヘブンの中に、「It makes me wonder」、要するに私はなんというかワンダーであるというフレーズが非常に何度も何度も登場するわけですね。

で、僕たちというのは常にそのワンダーである、なんだかよくわからないなという本来人間そのものが持っている不安感みたいなのを毎日毎日押し隠しながら生きているのではないだろうかという気が僕はすごく普段からしているんですよね。

僕たちがもうすでに明らかなこととして分かっていること、例えば今僕がなぜここにいるのかという、なぜ私たちがここで生まれそしてなぜ死んでいくのかというような、そういう僕たち自身が本当に知らなければいけないこと、まあ知らなければいけないことだけではないんですけれども、ほとんどのことを僕らは何にも分からずに生まれてきて、そして何にも分からずに死んでいかなければいけないという、そういう不条理という言葉で清算してしまうにはあまりにも重い、そういう現実の中で毎日の生活をしてるわけですね。

で、まあそういうことはいちいち考えずに、今日もご飯美味しかったとか、今日も仕事は大変だったとか、ほとんど僕たちはそういう日常的な色々なことを考えつつえ基本的なワンダーを忘れつつ生きているわけなんですけれども、ある日ふと、ところで何なんだろうと。僕たち自身が本来僕たちここにいることに対する基本的な疑問を自分に投げかけた時に、本当に帰ってくるべき答えというのを僕らは持ってないんではないだろうかと。

で、この持ってないという状態をその人間は人間として存在してから延々続けているのではないだろうかと。これというのはなんていうかやっぱりあんまりなことではないだろうかというのが僕が昔から持っている疑問というか、不安というか、そういう感じがするんですよね。

例えば僕らはなぜ死という不条理を無条件に受け入れなければいけないのだろうかと。そういう不常理に対して僕らはなんら切り返す言葉も切り返す現実も切り返す方法論も何にもなしに生きていかなければいけない。そしてなんだかよくわからないで、ワンダーワンダーと言ってる間にその不条理な死を迎えなければいけないという。

これを例えば、これまで人類っていうのは何億人だか何十億だかよくわかんないですけど、数限りない人間がいたでしょうけれども、そういう人たちはそのワンダーの中にいながら、そういう不安にさらされながら、結局なんらその不安、ワンダーに対して復讐することなしに生を終えていったという、そういう現実があると思うんですよね。

で、そういうことに対して僕らは本当に切り返す手段がないのだろうかと、そういう風に考える時に、やはりまた僕はこのステアウェイトゥヘブンに戻るんですよね。

本当に、例えば、天国への階段が絶対あると信じている少女、例えば僕たちの間にそういう女の子がいたとしますよね。で、そういう女の子に対して「何考えてんの、そういうものがあるわけないでしょう」と僕らがすごく論理とか理性とかそういうもので悟すと、まあ普通しますわね。

だけど果たしてその僕らの持っている論理とか知性とか、あるいはそのなんて言うのかな、そういうものというのが、その基本的な疑問に対しての答えなのかって言うと、どうもそうじゃないと。僕らはその理性とか知性がある風を装って本当は何も分かってないことをごかしてるだけなんじゃないだろうかという気がしてならないんですよね。

で、僕らは本当にこのまま何も分からないまま、そういうワンダーに対して切り返すことなく生を終えなければいけないのだろうかというのは、僕はすごくなんていうか腹立しいし、不条理だし、なんかおかしいぞという気がしてならないんですよね。


3. The Wanton Song(Physical Graffiti )

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だから天国への階段を求める1人の女の子を前にして、僕はむしろ彼女にもっともらしいことを言うよりも、僕自身がその天国への階段を買い求める少女—っていうと美しいですけど、私の場合は天国や階段を買い求めるおじさんと―なんか一気に現実味が増してしまいますけれども―ま、その天国への階段を買い求める1人の人間、輝くものは全て黄金に変わり、その全ての黄金をもってすれば天国への階段を買えるのだという思い込みに身を委ねた1人の、なんていうか理性の側から言わせれば愚かしい人間でありたいという気がするんですね。

で、こういう発想をある意味できっちり整理させてくれたのが僕にとってはステアウェイトゥヘブンという曲だったわけです。

ステアウェイトゥヘブンというのはやはり再度言うわけですね、本当にそういう時
というのは、僕ら全員が1つの音を求めた時にきっとその音は聞こえるはずなんだよと。
で、その音さえ聞こえれば、もうほとんどむちゃくちゃな思い込みと言われれば思い込みですけれども、全てのものは黄金に変わり、1つのものは全てに、全てのものは1つになるんだというわけです。

でその思い込みをただひたすら強く、腕を振り上げて云々するよりも、やっぱり僕自身が共感するのは、僕ら自身の持っている論理とか知性というものがひょっとすると、なんていうかもっともっと僕ら自身は不安を感じなければいけないのではないだろうかという、そういう一種の発想のフィードバックというか、そういうものが僕にとっての音楽なんですね。

で、僕ら自身がその圧倒的な不条理の前になすべもなくただ途方に暮れて「It makes me wonder」である時に、僕ら自身がひょっとすると切り返すことのできる手段というのは音楽ではないだろうかと、いつからかもうほとんど思い込みのように、思い込みのようにっていうかまあ思い込みと断言してもいいですね、思うようになってきたんですよね。

であるならば、確かに非常にステアウェイトゥヘブンは情緒的な曲ですし、今聞くとすごく古い感じもします。あまりにもウエットだし、というところはあるんですけれども、そこからレッド・ツェッペリンっていうのは出発しまして、でなんとかそのチューンを鳴らすべく彼らは努力したと思います。

その努力というのはそれ以降のアルバムやなんかにそれなりに結実していったと思うんですよね。で、ミュージシャンっていうのは全員が僕はロックをやる以上天国への階段を買い求める少女でなければいけないと思うわけです。

でそのためには今ある僕たちはその音楽的な方法論を常に超え常にアバンギャルドな地平へ進み、そしてそのアバンギャルドな方法論をより、なんていうか論理という言葉はあんまり使いたくないですけどやっぱり論理なんでしょうね、で築き上げ、そして僕ら自身の不条理を切り開く武器を作っていく、そういう作業をやるべきだし、やらなければいけないし。

で、僕ら音楽を聞き批評する側というのはそれをしっかりと言葉に定着し僕ら全員が共有できるものへ組織化していかなければいけないと思うんですよね。

で、そういう延々終わることのない―終わることのないって言ってはいけないですね、いつかは全て黄金に変わると思いますから―その時を目指して一生懸命努力していかなければいけないと思います。

音楽というのは唯一僕にとってそういうスリリングな感覚を味わせてくれる表現だし、その中で最も僕にとってはロックというのはそういう表現なんですよね。

で非常に優れた音楽を聞く時の僕自身の中に起こる解放感というのは、「It makes me wonder」を超えた何がしからの確信みたいなものを僕に与えてくれるわけです。

天国の階段を買い求める少女が聞いた風の音とかなんとかっていうのは僕にとってはそういうものなのかもしれませんけれども、僕自身はそのなんというか僕自身の思い込みというか、そこに聞いたチューンというか、そうしたものを信じたいなという気がします。

 

4. That's The Way(Led Zeppelin III)

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さて、いよいよ次の曲で最後の曲になってしまうんですけれども、本当にたくさんの終わらないでくれという投書ありがとうございました。

とにかくいっぱい来るだろうと思っていたし、とてもありがたいと思うんですけれども、とにかくみんな「私にとってのサウンドスリート云々」ということをたくさん書いてきてくれてるんですね。

でこういうのが来たら僕は「いやあなたたちにとってのサウンドストリートが終わるということよりも僕自身がサウンドストリートが終わるということの方がなかなか辛いものだし寂しいものなのです」とそのように反論しようと思ってたんですけども、正直言ってこの山と、まだほとんどは読んでないんですけれども、そういう手紙を読むと、そういう風に断言する自信がなくなってきました。

で、これはなんて言うのかな、本当にDJ冥利につきるというかそういう感じがします。

お花もいただきましたから。電報まで頂いてしまいましてね。このようなものに囲まれてると、こういう形で番組を終われるというのは本当に幸福だという気がします。

でも、私のDJが終わるわけでありませんし、いくつかの番組を持ってるわけなんですけれども、それでもやっぱりこのサウンドストリートというのは特別なものであったというのはすごくよくわかります。

そしてこの番組を特別なものにしてしまったっていうのは僕自身の責任でもあるなという気がします。例えば変な表現ですけど、ビートたけしがどっかの番組を終わるという時には、決してこれで終わりますという大団円のものはやらないし、ファンたちもそういうものは期待しないと思うんですよね。やっぱそれだけあっちこっちに露出してビートたけしっていう存在があり続ける限り彼ら自身は安心していられると思うんです。

で僕自身はきっとそうじゃないんだろうという反省があります。やはりサウンドストリートという中でしか機能できなかった渋谷陽一というのがきっとあったんだと思うし、それはある意味で幸福なことだったし、ある意味で言えば不幸だったことだという気がします。

だからこれから色々僕は番組をやったりする機会あると思いますけれども、その時の最終回のたびにレッドツェッペリンをかけなければいけないという、そういう事態にだけはしないというか、そういう事態は避けて、僕自身の番組というのが、その1つ1つの番組が終わっても、まあ渋谷がやってるんだからという、そういう支持の獲得の仕方でやっていきたいなという気がしますね。

そうした意味で、こういう辛いヘビーな番組はこれを最後にしたいぜという、そういう気持ちが非常にあります。

4月からのこのサウンドストリートと金曜日はディスクジョッキーは平山雄一君が担当することになっています。是非頑張ってもらいたいと思います。

さて、とにかく僕は音楽っていうのは現実の反映というか、現実をなぞり返すというか、そうしたものでは絶対いけないと思うんですね。

1番最初に言いましたように、やっぱり僕らは僕ら自身が置かれているこの状況に対して、こういう不条理な状況に対して何がしかの復讐をしなければ、死んでも死にきれないという気がします。

でこれは僕個人の考えではなくて、きっと人間が人間であれば絶対持つ考えだと思うんですよね。これも分からないあれも分からない、そういったわけの分からない中で死んでくというのは非常に辛いことだし、そうした中で日常を送ってくというのは非常に辛いことだと思うんですね。

だから僕は何かというとライオネル・リッチーを忌み嫌いますけれども、まさにあれは音楽が持っている本当の僕たち自身の不常理に対する復讐という機能を自ら放棄してしまった音楽という気がしてならないんです。

で僕自身やたら最近プリンスを支持するっていうのは、彼にはものすごいその復讐の意志というか、絶対死んでく前に1つぐらいは我々の不条理に対して刀の一刺しでもしていこうという、そういう意志がはっきりと感じられる。

でそういう方法論の中の数少ない1つである音楽に関わっていく以上、それは絶対やっていかなければいけないことだとそういう気がします。

僕自身もそういう音楽に関わってるわけですから、そういう人たちなりなんなり、ディスクジョッキーなり原稿なり音楽雑誌活動なりそうしたもので絶対発揮していかなければ何のためにやってたのかよくわからんなという、そういう気がします。

ステアウェイトゥヘブンを歌う前にロバート・プラントは「これは希望の歌だ」と言って歌います。僕にとってこのナンバーは希望のナンバーであるという風にして、サウンドストリート最終回を終えたいと思います。

本当に皆さん長い間ありがとうございました。これからもいろんなところで是非お会いしたいと思います。

 

5. Achilles Last Stand(Presence)  

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