藤井風は何かにつけてマイケル(・ジャクソン)のことに言及する。
洋楽に目覚めた頃にマイケルの魅力にとりつかれたとか、マイケルのようなエンターテイナーが理想だとか、ニュースステーションに出演した時も「マイコーのようになりたい」と語っていたし、今回の『プレマ』制作にあたってもマイケルを意識したとか。
1997年生まれの風にとってマイケルは明らかにリアルタイムのスーパースターではなかったはずだが、父親や兄姉たちの影響なのか、マイケルの凄さを実感しているようだ。
僕の洋楽の目覚めはビートルズだったから、それと似たようなものかもしれない。
その頃リアルタイムではマイケルがグラミー賞を独占していて、『スリラー』が世界を席巻していた。テレビのニュース番組で映し出されるマイケルの姿はとても眩しかった。

しかし、父親のステレオでマイケルの『スリラー』をFM番組でエアチェックし、初めて聞いたときにはガッカリしたのを覚えている。
当時魅力にとりつかれていたビートルズの音楽(「抱きしめたい」「プリーズ・プリーズ・ミー」「ツイスト・アンド・シャウト」)と同じような革新的な曲を期待していたのだが、流れてきた「スリラー」という曲は、なんだか期待していたものとは全然違って、ディスコ・ミュージックをエンタメ風にしたような普通の音楽に聞こえた。

今となっては『スリラー』はとても洗練された極上のポップ・アルバムであり大傑作であることに何ら異論はないが、当時音楽的には正直それほど凄いとは思わなかったのだ。音楽的にはむしろ『オフ・ザ・ウォール』の方が好きだった。
それと対照的だったのが『スリラー』の翌年に出たプリンスの『パープル・レイン』で、こちらは音楽的に度肝を抜かれた。単純にミュージシャンとして見れば、プリンスはマイケルとは比べ物にならない圧倒的な天才だと思った。

しかしマイケルは、そのステージでのパフォーマンス、MVでのダンス、スターとしての存在感などを含めて、音楽だけではないトータルな意味でのスーパースターだった。
そのへんのことは昔ブログに書いたことがある。
藤井風がマイケルの作品に見劣りしないようなアルバムを目指す、とインタビューで語るのを聞くと、とんでもない大言壮語じゃないかと一瞬思えるが、実際、音楽的にだけ見ればそれは無理な目標ではないと思うし、今回の『プレマ』全体を聞けば、マイケルのアルバムより優れていると言える可能性は十分あると思う(協力ミュージシャンのレベルはマイケルのアルバム並みであると言って過言ではないと思う)。
ただ、藤井風がマイケルのようなインパクトを残せるかどうかは別問題で、風が言っているのはむしろそこだろう。
ミュージシャンとしての才能、つまり音楽自体のクオリティが最大の武器であるという点では風はマイケルよりむしろプリンスに近い。今回のMUSICAのインタビューで風の口から(80年代の音楽が好きという文脈で)プリンスという言葉が出ていたのを嬉しく思った。
風がマイケルについて言及するときに最も意味しているのは彼の「カリスマ」を自分のものにしたいということだと思っている。
つづく