昨日の私見からもうちょっと抽象的なところまで考えると、「エンタメとアートの違いって何だろう」という話になる。
今、坪内祐三の『文学を探せ』が講談社文芸文庫になったのを読んでいるのだが、

こういう本がちゃんと文庫として復刊されるのは嬉しい。
坪内祐三は、年表(年譜)やら日本語ネイティブではない詩人の文章やらに「文学」を嗅ぎ取って、今の時代に表現のリアルはどこにあるのかを探しているのだが、彼が「文学」を探していた時代からもう四半世紀が過ぎようとしている。
当然のことながら、僕は「AIには〈文学〉は書けない」と言おうとしている。
生成AIがどんなに巧みな小説を書いても、それは「文学」ではありえない、と坪内祐三が生きていればきっと言ってくれると思う。
生成AIが書いた小説を、それを秘して読ませて、「これは〈文学〉だ」と坪内祐三のような人が言えば、それはもはや〈文学〉という概念そのものが崩れ去るときだろう。
逆に、人間が書いたもので、「これはAIが書いたものだ」という作品はけっこうありそうで怖い。
音楽でも、生成AIがつくったのとまったく区別がつかない「実は人間がつくったもの」もすでにけっこうあるのではないだろうか。
9月に藤井風の新譜(サードアルバム)が出るという。全曲英語歌詞で、先行シングルとして「Hachiko」がリリースされた。7月からはドイツ、イギリス、アメリカのツアーも予定されている。
アジアに続いて欧米にも打って出ようという野心的な試みがどこまで吉と出るか、楽しみである。藤井風については別記事で改めてゆっくりと書く。
6月18日にリリースされた清水翔太の新譜の評判が(僕の中で)いい。
冒頭から「Bad Karma(悪いカルマ:悪行)」ときて、2曲目の DON’T FORGET MY NAMEも「これが俺のカルマ ここに書き示す」「Why is my life so tough(俺の人生なんでこんなにキツんだよ)」となかなか苦悩に満ちた歌詞である。
いい意味でAIっぽくない。
