SUNOとUdioに対して、RIAA以外のインディーズ事業者たちが集団訴訟を起こしたという。
RIAAとの訴訟は、メジャーレーベルがSUNOらとライセンス契約を締結することで和解する方向で協議を進めているという。つまりSunoとUdioが膨大な楽曲コレクションを使って学習できるようにする見返りとして、大手音楽会社は手数料を徴収し、新興企業の株式を取得することになるという方向らしい。
おそらくインディーレーベルとの訴訟も遅かれ早かれそうした形で決着するのではないだろうか。
菊地成孔の言う通り、「ディール成立」ということだろう。
そうなれば、生成AI業者が負担すべき手数料は音楽AIソフト利用者に転嫁されることになるのだろうが、違法性の問題は一応クリアできることになる。
(ガチで判決まで行った場合は、前の記事でAIが教えてくれたように違法となる可能性が高いらしい。)
法的な問題はそうなるとして、自分がいちリスナーとして思うのは、生成AIの音楽ばっかりになったらそれを聴いて楽しめるのか?という問題である。
その問題にまさに取り組んでいるのが<新音楽制作工房>なのであろう。
結論から言えば、AIが作ったものはBGM以上のものにはならない気がする。
AI=既存の内部=エンタメ
芸術=魂=未知の領域(外部)の探究、新しいもの(他者)の表現
という構図から、AIにはエンタメ商品は作れても芸術は創造できないと思う。
AI音楽の中に聴くに値するものがあるとすれば、そこに「作家性」が刻印されているものに限るだろう。そういうものは既に「AIが作った作品」とはいえない。
とはいえ、AIが出力する「過去の音源の組み合わせ」(たとえそこに無数のヴァリエーションがあるとしても)を「選択する」過程に真のクリエイティビティ―を宿らせることには余程のストイックな姿勢と鋭敏な美的自覚が必要であり、概ねの人間は低きに流れて圧倒的に悪貨が良貨を駆逐する事態になるのは目に見えている。
要するに音楽産業は全体として急速に衰退するか、ほぼすべてのリスナーが「BGMで十分」という耳を持つ人々だけで構成されるディストピアが現出することになろう(どっちみち既にそのフェーズに入っている気はするが)。
生成AI音楽の時代にビートルズやマイルス・デイヴィスのような天才が現れる可能性はほぼないと思っている。むしろ真の天才はその反動から生まれるに違いない。
その暗い見通しが裏切られることを願いつつ、とりあえず6月21日にリリースされる<第二期スパンクハッピー>リメイク・アルバムを聴くのを待っている。