前書き3「弱度の推奨」について

この「第三の前書き(前書きの終章)」はやや難物である。従来の(オーソドックスな)コロンボ・ファンは、何とかここまで読み進めることができたとしても、遂にここで力尽きるのではないだろうか。
だが、ここを突破すれば、「第1章 各論」からは格段に読みやすくなるはずだ(少なくとも具体的なエピソードについての記述になるので)。
ここで著者が使用するあまり一般的ではない用語に違和感を持ってしまうと論旨を掴むことが厄介になる。
その最たるものが「ポテンツ」ではないか。著者は他の本でもこの用語を多用しているが、「インポテンツ」の反意語として捉えればイメージしやすい。
日本語で言えば「男根主義」とでも訳すべきか。著者自身は「トキシック・マスキュリニティ(有害な男らしさ)」と言い換えているが、この「前書き」での文脈で言えば、知識量や「英語力」で優位性を示そうとする傾向、よく使われる表現なら「マウントを取る」というやつだ。
著者は冒頭「ポテンツ」について軽く触れた後で、話をファンの間でよく論争の種になる「コロンボ肩書問題(警部か警部補か)」へと展開させる。
なぜこの問題を論じるのに「ポテンツ」を持ち出す必要があるのか。そこには以下の事実がある。
「原作ではコロンボの肩書は警部補(ルーテナント)なのに作品中は警部としか呼ばれていない」という事態についてWikipediaで物凄い論争が行われているのだ。
これが著者の目には「英語力を武器化したマウント合戦」に映ったのである。
だが、この問題を解決する(または問題自体が不毛であることを見抜く)カギは英語ではなく、「刑事」という普通名詞(?)を肩書とすることが許容されるという日本語特有の曖昧さにあることを著者は指摘する。
著者はこの日本語特有の曖昧さを、〈武器化された英語〉という「強度」に対置させて「弱度」という話につなげていく。
ここで名言。
現代のサブカル研究の急所は「先にネットとかで読んじゃった=目に入っちゃった」という情報フライングと、「既にネットで語り尽くされている筈」という諦観から、「作品と初めて相対した瞬間のイマジネーションを好きなだけ広げる翼」がもぎ取られることにある。これを封鎖するには自縛しかない。
つまりこの「前書き3」で著者が言いたいのは、「以下の各論で私は先行研究を無視して自由奔放に論じますが、サブカル研究ではそれが許されるどころか、むしろそれが正しいんじゃないですか。何か文句ある?」ということである。
そしてこの態度は、「前書き1」における「昭和の文化人が好みそうなコロンボ=ドストエフスキーがモデル説の完全否定」と、「前書き2」における「コロンボの物語構造の中にフロイトの精神分析(=転移)を看取するというミステリーオタクには欠如した視点の提示」と並んで、「従来のコロンボ・マニア」に対する(完全に意図的な)挑発であることは間違いない。
「著者のこの態度がマウンティングそのものじゃないの?」という疑問は、笑いながら相手を追い詰めるという著者お得意のスタイルの是非とも結びついていて、著者は先手を打つかのようにこの著書全体の頭辞に以下の言葉を掲げているのである。
「君の名推理を聞いているとイライラしてくるんだよ」
「はい。みなさんそうおっしゃいます」
なおこの「聞いたことがあるようなやりとり」は原典『刑事コロンボ』シリーズには一度も登場しない(著者のChat GPTでの調査による)。
(指摘されてびくりしたんだけど笑)これあの、一回あげてからすぐ下げてあげなおしたんですけど、単純にサイジングの問題であって、<コメント敬遠(そんな言葉あるのね!!笑)では全くないですよ!!笑。最初にあげてくださった何名かの方には申し訳なく思っています笑。以後どうかご遠慮なく〜。 https://t.co/Yh7V19ciRS
— 菊地成孔(「新音楽制作工房」代表) (@SHIN_ON_GAK) 2025年5月12日