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菊地成孔『刑事コロンボ研究 上』感想(2)

Amazonレビューを見て、「意味が分からない」といって低評価しているものや、コロンボ本としてはイミフだが菊地成孔の本として読めば面白いといった観点で高評価しているものがあり、気になった。

この本は「コロンボ本」としてこそ評価されるべきであり、それ以外の読まれ方はあり得ない。

もし菊地成孔の外連味のある文体がこの書が提示している画期的な視点と発見の数々を見えにくくさせているのだとすれば不幸なことだと思い、以下に「一般的な(わかりやすい)」文体での解題を試みる(とはいっても、後述するとおり自分にも読み切れない箇所があるのでその部分は割愛する)。

それはあたかも北斎の富士の画を風呂屋の書割に描き換えるような行為であり、SNSですっかりバカになった我々の退行と幼児化への迎合であるようにも思われるが、一つの愚行権の行使として大目に見てもらいたく候。

youtu.be

前書き1「〈倒叙〉とは何だったのか?」について

ここでは、「刑事コロンボ」における通説(神話)としての「〈倒叙〉形式と主人公の造形はドストエフスキー罪と罰』が元ネタ説」への反駁が行われる。

この反駁が非常に徹底した緻密なやり方で行われるため、読者は早くも本を投げ出したくなる衝動に駆られるかもしれない。が、その骨子はきわめてシンプルである。

まずその風説の依って立つ第三者の発言(江川卓手塚治虫など)が信用するに足りないことが示され、原作者のウィリアム・リンクの発言も「『本人が言ってるんだから正しい』というのはウソ」(=自白法則:自白が有罪の唯一の証拠である場合には、有罪とすることができない)という正当な論拠により退けられる。

こうして従来の風説であるコロンボ=ロシア産(または米ロブレンド)説を完全に否定し去った後に、刑事コロンボの「真の元ネタ」が明らかにされる。そこには「人間は、本当に影響を受けている対象は忘却せざるを得ず、自分が影響を受け、参照した、と、自分が思い込みたい対象から順に口にする生き物である」というフロイト仕込みの洞察が裏付けとしてある。

では真の元ネタとは何か?

それはズバリ、ヒッチコック、とりわけ『!!成!』である!

というのが著者の見立てである。ここでも綿密な比較対象による検証作業が行われる。

 

筆者自身は上記作品は未見であるため、この説の妥当性を評価することができない。だが、コロンボが『罪と罰』を参考にしているという説には従来から懐疑的だったので、著者の考察には頷けるところが大きい。日本人(特に昭和世代の文化人)はドストエフスキーが好きで仕方がないため(かく言う筆者もその一人であるが)、自分の好きなコロンボと自分の好きなドストエフスキーを結び付けたいという無意識の欲望が働いていたことを見事に喝破した著者の発見は画期的なものであると同時に、従来のいわゆるコロンボ・マニア(昭和世代の文化人への共感性が高い)にとっては、自らの欲望を見透かされたような居心地の悪さを感じさせられる指摘だということも容易に想像できる。この考察が冒頭に提示されることが、所謂コロンボ・マニアに忌避反応を起こさせる一助となっていることも同様に容易に推察されるのだが、これが著者による意図的な配置であることもまた、ほぼほぼ確かなことであろう。

 

筆者に興味があるのは、果たして日本人以外のナショナリティーの持ち主、とりわけ米国人がこの説に接したときにいかなる反応を示すのかである。コロンボを愛する米国人でヒッチコックを知らぬ人はまずいないはずで、この指摘を「まあそうだよね」と受け入れるのか、何らかの理由から激しい抵抗を示すのか、興味がある。

この書は英語版の出版も予定されていると聞く。その実現を首を長くして待ちたい。

 

※ちなみに最初の「前口上」は別の回のだった気がする




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