昨日書いたことの続きになるが、能年玲奈(のん)にとっての「あまちゃん」以後の10年間については、肯定的な見方と否定的な見方に分かれているのが正直なところだと思う。
肯定論は、今回の伊丹十三賞の受賞に代表されるように「困難に負けず自由な表現活動を貫いてきた」ことを評価し、彼女が(周囲のサポートは受けつつも)因習的で閉鎖的な芸能界に孤軍奮闘で立ち向かい、「業界からフェイドアウトする」ことなくネット・ドラマや映画への出演をこなし、音楽や美術などさまざまな分野でユニークな活動を続けてきたことを称賛するものである。
否定論(といってもさまざまなグラデーションはあるが)は、この10年間、地上波テレビドラマはもちろん、いわゆる大ヒット作となるような商業映画には出演できなかったという事実を重く受け止め、第一線のスターとなるべき女優を燻ぶらせたまま終わったことへの不満がある。
彼女のファンの大半は、前者の見方だと思う。私自身もそうだ。
だがシビアに見れば、そのような「ファン」の絶対数はこの10年間でほぼ横ばい、あるいは減少傾向にあるということも事実だろう。「あまちゃん」以降の活動で彼女の新たなファンになった、という人は決して多くないと思う(映画「この世界の片隅に」の声優役はほぼ唯一の例外かもしれない)。
外因的な事情によって(女優としての仕事とは本来関係ない理由で)本来天下を取るべき人がその地位を得られなかったという事実は、日本の芸能界全体にとっても大きな損失であったということは否めない。
だが仮に、彼女がもう少しまともな事務所に所属していて、他の人気女優のようにコンスタントにドラマや映画に出演し続けることができていたとしたら、宮本信子が「守ってあげないといけない」と決意した「あの輝き」をこの10年間保ち続けることができていただろうか? という疑問もある。
能年玲奈のパワーをもってすればそんな心配は杞憂に過ぎないということも出来よう。この10年間に生み出されたドラマや映画を見渡すと、彼女が出演することによってさらに魅力を増し、後世に残るような傑作になったであろう作品が間違いなくいくつかあったようにも思われる。だがそれは死んだ子の年を数えるようなもので、気休めにもならない。
昨日の授賞式の映像を見てから、そんなことをいろいろと考えてみたが、最終的にはやはり「これでよかったのだ」と思った。彼女がこの10年で体現してきた道は、「ただの映画(TV)スター」であることよりも、ひとりの芸能人として、はるかに自由と可能性を感じさせるものだった。
思い出されるのは、あの日本銀幕史上最高の女優の一人、高峰秀子の言葉である。彼女は「女優が嫌で嫌で仕方なかった」といい、「スターは映画会社という置屋に縛られた芸妓みたいなもので、専属料という金で飼われている以上、俳優はいつもヘナヘナと弱く、会社はいつもガンガンと強かった。とにかく、私の場合は30歳になればサラリーマンならもう定年、そこらへんのところで打ち止めの札をかかげて自分自身に戻り、脚本のセリフではなく、私自身のセリフを喋って生きたい、と願っていた」と述べている。
能年玲奈は、自分自身の名前を変える代償を払って、彼女自身のセリフを喋って生きていく人生を選んだ。日本映画史に残る傑作をいくつも残すよりも、会社に飼われるのではなく、自分がやりたいことを貫く創造的な生き様を選び、それを実践してきた。
今の自分は、どちらの生き方に対しても尊敬と感謝の念を抱くのみである。