以下の内容はhttps://wellwellwell.hatenablog.com/entry/2024/08/13/152632より取得しました。


太陽が眩しかったので

お盆で暑すぎて暇なので個人用メモ

 

宇野常寛の小説『AZM48』をめぐる議論

千葉雅也 Masaya Chiba@masayachiba

2010-09-03 0:59:21

『しそちず!』掲載の宇野さんの小説「AZM48 the after story」について率直な感想を言ってもいいですかね?

宇野さんに個人的に話せばいいのかなとも思ったんだけどねえ。言っちゃうかねえ。

まあ、冗談は冗談としてそれなりに分かりますよ。しかし事実として、半分、僕は冗談が分からない人間でもあるんですね。

宇野さんの小説ですが、男性批評家(ライダー)同士がケツをレイプし合って闘うという話は、宇野さんの武器であるヘテロ・レイプファンタジー批判を自ら茶化しているんでしょう。が、率直に言って、男性間アナルセックスは、たぶん宇野さんにとって、現実的に、冗談でしかないんだろうなと思う。

ホモソーシャルな男性同士が、ホモセクシュアルな関係に(魅惑されながら)恐れを抱く、ってのは典型的なヘテロ男性のシステム。宇野さんは、それを殊更に戯画化しているわけです。が、正直、戯画化しているにしても、「普通に」典型的なヘテロ男性のホモソーシャルホモフォビアがあるんじゃないの?

男女間のレイプでは、レイプされた方は洒落にならない。それは戯画化がきわめて難しい。しかし男性間のレイプは、なぜこれほど、簡単に戯画化されるのか。それは、ケツを犯る/犯られることになんの本気の感情もないからだ。

ケツをほじくられるがままになることが、「決定的に墜ちつつある」ことだという記述。男性間の性技が、せいぜいのところ名誉を賭けた闘い程度のことへと矮小化されること。名誉を賭けた闘い?その程度のことでしかセクシュアリティを戯画化できないのか。

ケツ犯るのが闘いのメタファー?バカ言ってんじゃないよ、ケツは〈もっともっと激しい快楽の場所〉であり、「かつ」(ここに傍点!)〈もっともっと酷な闘いの場所〉なんですよ。

こうして男性同性愛までネタにすることで(異性愛レイプファンタジー批判も宇野さんにとっては論客商売のネタなんでしょうかね)、セクシュアリティの問題をすべてネタ化するというメタ視線に立つということそれ自体が、どうしようもなくヘテロ男根主義的な思い上がりであると思いますね。

そうすると逆に問われてくるのは、宇野さんにとって、そもそもの異性愛レイプファンタジー批判が、どれほどリアルな、シリアスな問題であるのかどうか、ということだと思います。

というあたりで一応の結論でしょうか。この間、あの小説で「色々と考えさせられる」とボカした発言をしましたが、これがその内実。まあ、メタな戯画化を「徹底している」のだから、ホモソーシャルホモフォビア批判もすべて想定内である、と対応されかねないことも「想定内」です。

とまあ、率直に言いましたが、宇野さんは友人であるということがもちろん大前提のことです。

 

宇野常寛@wakusei2nd

千葉雅也さんのツイートを読みました。
長くなりますが、いろいろ考えさせられたのでここで応答します。

千葉さんは僕の友人の哲学研究者です。彼は僕が「コンテクチュアズ友の会」会報で連載を始めた小説『AZM48』で男性同士のセックスを「ギャグ」として描いていることを批判しています。

千葉さんの「率直な感想」は受け止めました。千葉さんが僕の小説を楽しめなかった理由も理解しました。

千葉さんの言うとおり、僕らの、そして日本社会の無意識にはある程度「典型的なヘテロ男性のホモソーシャルホモフォビアがある」んでしょう。男性中心主義とベタに結びつくかはさておき。少なくともだから男女間のレイプはギャグに出来るけれど男性間のそれは可能となる。

しかしその社会において支配的な現実を用いてギャグを書く行為まで「狩る」ことが有意義だとは僕には思えない。エンターテインメントはひとまず自分の欲望と想定読者の欲望が重なる部分を取り込んでそれを描く。そして取り込んだものをどう扱うかは、取り込む欲望の良し悪しとは別の問題でしょう。

千葉さんはそうやって読者の欲望を取り込む行為自体の暴力性を糾弾しているのだけどそれはほとんど市場に応える表現を批判しているのと同じだと思う。それは端的に貧しさにしかつながらないんじゃないだろうか。(これは以前千葉さんと「文學界」の新人小説月評についてお話したときにも感じたこと。)

だから僕は一連のレイプ・ファンタジー批判で欲望それ自体ではなく、「反省の身振り」によるイデオロギーの再強化という態度こそを批判した。欲望それ自体を批判しても仕方がない。欲望への態度こそが問題のはず。(よく誤解されていると思うが、僕はレイプファンタジーをPCの問題にはしていない。)

僕らが無意識に身にまとっている男性中心主義は、そりゃあ克服したほうがいいし、それを正当化するためにフィクションを用いる態度(レイプ・ファンタジー)はイデオロギーの強化につながり、僕はこれを批判している。

だから僕は『AZM48』を僕らの(「ゼロ年代の批評の」)自画像として(自己言及として)書いているが、それをイイワケに千葉さんのいう僕らの「無意識のホモフォビア性」を正当化しようとは思わない。

しかし、男性中心主義的な側面を持つ回路を用いた表現がまったく別の側面で優れたものに結実することまで否定できないはず。

僕はたしかに(千葉さんから見れば)当事者性を欠いているからこそ可能なファンタジーとしての男性間のセックスを描いた。しかしだからこそ獲得できる表現があるはずで、僕はそれが無価値だとは思わない。

以上が反論です。とりあえず千葉さんが僕のセクシュアリティへの態度が不徹底に思っていることはよくわかりました。しかし、いささか問題を単純化しすぎじゃないでしょうか。


で、以下は補足というか余談。

たとえば、東さんと僕との対立は「ゼロ年代の想像力」を読めば明白なように、究極的にはヘテロセクシャルに支えられた家族的共同体とホモソーシャルなサークル的共同体の対立でもある。「ゼロ年代の批評」読者向けにネットジャーゴンを使えば、これはセカイ系VS空気系の対立と言い換えてもいい。

(オタク系表現においては)前者はエロゲー、後者は萌え四コマを中心に台頭してきたわけだが、このセックスへの距離感の差は両者を決定的に隔てている。僕からすると思想としては前者しか信じてないはずの東さんが後者を必要としているという事実それ自体が興味深い。(個人的に嬉しくて仕方がない。)

そして空気系はその非物語性が批判されているわけだが、BL的想像力は言ってみれば空気系に物語(ファンタジーとしてのセックスとして導入される)を持ち込む手段としても機能している(例『銀魂』の消費)。それが当事者性のないファンタジーだからこそ、それは機能する。

ある程度は間違いなくホモソーシャル+ヘテロセクシャル+ホモフォビアである私たちが、なぜキャラクターという自画像であると同時に他者の顔でもある装置を経由すると強力にいびつにファンタジー化されたホモセクシャルという表現に接続されてしまうのか。

『AZM48』はただの内輪受けのギャグ小説だが、僕はこの小説を書くことで、結果的にこんなことを考えている。別にだからポリティカルにインコレクトな表現が正当化されるというわけではなく、単に別個の問題として存在するということ。

正直、僕はこの回路(BL的想像力を導入することで、ゼロ年代の批評が帯びているホモソーシャリティの問題を捉えなおす回路=「空気系」は物語を語りえるかを問う回路)が面白くて仕方がない。千葉さんは不満に思うかもしれないけれど、僕なりにユニークなアプローチ方法を見つけたとは思っている。

それがどう結実するかは、作者としては完結まで待ってもらいたいところです。僕なりに千葉さんの問題意識は理解しているつもりで、あの小説で、とは限りませんが僕なりの解答が示せたらと思います。

千葉さん、ウザいレスだったかもしれませんけれど、少なくとも僕は千葉さんの「マジ」を嬉しく思っています。なので、こちらも引っかかった部分を含め、率直に。 

連投失礼しました。まあ、普通に考えてAZMは宇田が吾妻とのセックスを拒否することが事件の発端になっているので、最終的にはそれまで決してセックス=バトルに参加しなかった語り手=宇田の態度を問うことになる。これ以上は致命的なネタバレになるのでご勘弁をw
2010-09-03 10:28:00

 

千葉雅也 Masaya Chiba@masayachiba

では、宇野常寛(@wakusei2nd)さんのご返答を受けて、少々コメントをしましょう。批評とセクシュアリティの関係をめぐる宇野さんとの考えの違いを示し、また、疑問点として残ることを指摘しておきます。

昨日夜から、コンテクチュアズ友の会会報『しそちず!』に掲載された宇野常寛さんの小説第一回についての議論がなされています。焦点は、そこでの男性同性愛の扱いです。

まず、宇野さんからのリプライが、大枠として、僕の批判を「PC」(ポリティカル・コレクトネス、政治的正しさ)的と見なしていることについて。僕の批判は、半分はPC的に見えてもそれはそれで構わないのですが、もう半分のホンネは、PCよりも過激なものです。どういうことか。

半分はPC的でよい。僕は、現行のリベラルな社会における多様性の擁護ということの価値を、リベラルな市民として積極的に支持します。分配的正義の観点によるマイノリティの平等な尊重です(日本でPCと言うとすぐ想起される「言葉狩り」は皮相的なことにすぎない、僕はPCの「本旨」は支持する)。

しかし僕の関心は、「現行の」社会(の再生産)における分配的PCには収まっていません。異性愛とその他の性愛の比率がドラスティックに変わり、結婚・パートナーシップ・家族制度が変わること、さらに言えば、クローンや再生医療技術等による人工生殖が自然生殖と拮抗するような事態に関心がある。

だから、ヘテロ規範性を(おそらく)温存したままの同性愛の戯画化には、(i)リベラルに言ってポリティカル・インコレクトであり、かつ、(ii)ポリティカル・コレクトネスなどという穏健な正義を超えた革命性もない、という二段階の問題がある。

ホントに冗談が通じないヤツだ、というところでしょうが、まあ冗談は冗談として分かる。笑えなくもない。が、同時に笑えない。

僕が芸術「および」エンターテイメントに求めるのは、現行の社会を変態させる刺激剤です。そうした刺激剤の清々しいスパイシーさ。「PC的な作品」といった穏健に開明的なものではない。ドゥルージアンらしく言うなら、求められるべきは「革命的なものへの生成変化」への賭場口です。

「とりあえず」のギャグはいい。が、同時に/その先で、創造的な実践は、「その社会において支配的な現実」(の抑圧構造)を〈変態〉させる契機であるべきである。

「エンタメ」が「その社会において支配的な現実」と共犯関係にあって当然、というのは、〈楽しいとはどういうことか〉についての思考停止でしょう。社会を変えようとするものは「純」な芸術、エンタメは多少なり保守的という分割は、納得できない。僕は、芸術「と」エンタメ共々の変態性を考えたい。

僕は「市場に応える表現」を様々な論点において(全面的にではなく)批判します。
「市場に応える表現」への批判が「貧しさにしかつながらない」というのは性急でしょう。もちろん市場のなかにも表現の豊かさはあるからそれは評価したいし(その点で宇野さんの、たとえばテレビドラマ分析などの仕事はとても参考になる)、かつ、市場から逸れるものにも豊かさがある。

ホモソーシャルヘテロセクシャルまではいいが、「+ホモフォビアである私たち」って、いかにもそれなりの一般論みたいに言うのって、端的にダメなんじゃない? 

微温的に保守リベラルな日本でなら見逃されるのかもしれないが、もっと文化多様性への問題意識が高い社会で、知識人が「ある程度は」であれ「ホモフォビアである私たち」などと言ったらアウトだと思うんだけど。ま、これは「さしあたりの」リベラルとしての意見ですが。

だいたい以上ですね。宇野さんの小説の展開を楽しみにしております。今回、僕自身、あらためて性の問題について考えを整理することができ、そのきっかけを頂けたことに感謝しています。

あ、もう一言。
宇野さんは「BL的想像力」ってものを「当事者性のないファンタジー」と見なしているけれど、BL的想像力はヘテロ男根主義社会において抑圧されてきた女性の当事者性と不可分ですから、ヘテロ男性同士のホモネタをBLと同列に並べるわけにはいかないだろう、と一応言っておきます。

 

宇野常寛@wakusei2nd

朝からなんですが、千葉雅也さんに応答します。すごく長いですが、お付き合いください。

この議論は、僕が「コンテクチュアズ友の会」会報に連載を始めた小説『AZM48 the After Story』を千葉さんが批判したことからはじまりました。

千葉さんは「ヘテロ規範性を(おそらく)温存したままの同性愛の戯画化には、(i)リベラルに言ってポリティカル・インコレクトであり、かつ、(ii)ポリティカル・コレクトネスなどという穏健な正義を超えた革命性もない、という二段階の問題がある。」と僕に反論している。

(おそらく)と断っているにもかかわらず、その後延々と僕の小説が「ヘテロ規範性を温存したままの同性愛の戯画化」であるという前提で(完結もしていないのに)批判が続いてゆくのですが(!)こひとまずこれは置いておきます。

さて、千葉さんの指摘ですが(ⅰ)はまあ、そうでしょう。だけどPC的に表現を「狩る」行為の貧しさは前回指摘したとおり。そして(ii)は本当にそうか。僕はここに疑問がある。まあ、僕の小説にだって(技量的に可能性はそりゃあ極小なんでしょうけど)革命性は「結果的に」宿るかもしれない。

しかし千葉さんはそれはないと断定して「狩る」。僕は前回のツイートで、たとえば僕の小説はこんな問題系に接続できる。たとえ「ホモフォビア」な表現でも(いや、だからこそ)、別のところで獲得できる豊かさがあるかもしれない、と結構具体的に説明したのだけど、それらは黙殺して断罪しています。

エンタメは市場に渦巻く人々の欲望を、作家(たち)が何らかの形でまず受け止めるところから作られ始める。それはときに「その社会において支配的な現実」と共犯関係を結ぶこと「も」多い。しかし、それ自体が悪だろうか? 僕はそうは思わない。

現実に存在する他人の欲望を、まずは受け止める。受け止めて、自分の(作り手の)欲望を接続した上で打ち返す。そうして作られた作品がまた受け手たちに消費され、ときにコミュニケーションツールと化し、気がついたら奇形的な変化を遂げている。(例、「ニコニコ動画」におけるMMDの奇形的進化)

ここで重要なのはまず今、ここにある現実の市場に渦巻く欲望(それはマジョリティのものもマイノリティのものも混在する)を、まずは肯定し、取り込むことだ。その迎合こそがもつ力(たとえばコミュニケーションツールとしての効率)があるからこそ、これらの奇形的変化は起こる。

エンターテインメントそれ自体には現状肯定的な表現やモチーフがいくらあっても構わない。それは他人の欲望を読み込むという回路を経由すると自動的に生じ得るものなのだから。逆に作品の中に たとえ作者がどれほど意図的に打ち出したメッセージでもそこには自動的に他人の欲望が幾分かは紛れ込む。

初音ミクという表現が結果的に孕んでいるであろう広義の男性中心主義を否定してしまったら、あのキャラクター自体が存在し得ず、ひいてはたとえば「褒め春香」のような「奇形」的なものも生まれない。

ある種のオタク系文化はその端的な例だが、現在の日本のポップカルチャーのかなりの部分が、まずは明らかにポリティカルにインコレクトな(ものも含む)現実に根ざした欲望を「取り込むこと」で現実をより多様に、豊かに彩っている。こうしてはじめて出現する多様性も、世界には存在するのだ。

千葉さんもこの種の豊かさを少なくとも真っ向からは否定はしないだろう。しかしこの豊かさがいかにして成立しているのか、についてはやや理解が浅くないだろうか。これらの表現が市場に渦巻く(ときにはマジョリティの)欲望に根ざし共犯関係を結ぶ「からこそ」成立している現実を受け入れていない。

鳥は重力に逆らって飛ぶのではない、重力を利用して飛ぶのだ。しかし千葉さんは重力を受けいれる行為すら断罪し、門前払いしてしまう。これこそが〈楽しいとはどういうことか〉についての思考停止だと思う。千葉さんの考える「エンターテインメント」は、とてもとても窮屈だ。

僕には千葉さんの主張は結局、「男性中心主義に対抗する」という大義名分を用いてホモセクシャル・エリートの立場から暴力的に「重力を利用して飛ぶ」(市場に渦巻くマジョリティのものを含む欲望を受け入れるからこその)回路を用いた表現そのものの可能性を摘み取っているように思える。

例えば千葉さんは「BL的想像力はヘテロ男根主義社会において抑圧される女性の当事者性と不可分」と主張し、僕が例示したBL「的」想像力の応用――ヘテロセクシャル男性のホモソーシャルへの批評的(空気系への)アプローチを「BLを当事者性のないファンタジー」と見なす過った行為だと糾弾する。

しかしここに、千葉さんの主張の危うさが集約されている。BL「的」想像力をひとえに「ヘテロ男根主義社会において抑圧されてきた女性の当事者性と不可分」とだけ片付けてしまうのはあまりに安易ではないか。それこそがまさに当事者性を欠いた人間が押し付けるファンタジーだ。

BL「的」想像力――ホモソーシャリティに性愛と友愛の中間のような、いや半歩ずれたものを読み込む想像力とひとまずは表現する――の特色は「ヘテロ男根主義社会における抑圧」から半歩独立したその虚構性にこそあると僕は考える。というか、そちらに注目することでいろいろなことが見えてくる。

BLで培われたエッセンスと形式はBLそれ自体から遊離して様々なジャンルに飛び火している。千葉さんは気づいてないが、だから僕はBL「的」想像力と書いた。キャラクター文化は半歩あるいはそれ以上、社会的条件と人物像を「無関連化」する。独立したフィクションの回路としての「BL的なもの」。

たとえばテレビドラマ『マジすか学園』はどうか。同作は(千葉さんに言わせれば)ヘテロ男性中心主義と明確に結託している(ことになるのかもしれない)側面をもつ女性アイドルグループ(AKB48)が総出演するテレビドラマだ。

しかし本作には明確に「BL的想像力」が導入され(例:サド優)、そしてそのブームの一側面を本作をBL的に消費する男女たち(C78の「マジすか」本クラスタ)が担っている。

女性アイドルたちのBL「的」な擬似同性愛未満の関係性を、消費者たちは次々と読み込み、そして本来の想定消費者である男性たちのみならず多くの女性ファンたちがBL「的」想像力としての本作を愛好している。僕自身も「マジすか」の大ファンだが、この現象も非常に興味深く思っている。

ここで注目すべきはBLを生んだ(とされる)ヘテロ男根主義社会において抑圧されてきた女性の当事者性ではなく、むしろキャラクターという回路を経由することで発生する無関連化のほうだろう。BL「的」想像力は女性の当事者性からある程度遊離して、一人歩きし得るのだ。

それを僕は「当事者性のないファンタジー」だからこそ接続できる「可能性」なのだと肯定的に表現した。それはBLをヘテロ男根主義社会において抑圧されてきた女性の当事者性からしか考えようとしない千葉さんが、結果的に切り捨ててしまっている可能性だ。(同時にそれはBLの矮小化だ)

そしてこのようなユニークな想像力とその消費現象は、まず「AKB48」という社会の現実で支配的なヘテロ男性中心主義の欲望をいったん「肯定」する表現だからこそ成立している。

つけ加えるのなら本作は役者の身体を「キャラクター」として撮ることに注力した堤幸彦以降のテレビドラマの蓄積の上に成立している。アイドルの身体は「キャラクター」として扱われること(おそらくはその「無関連化」作用も大きく寄与して)で、大きくその機能を変化したのだ。

ちなみに『AZM48』はタイトルから明らかだがこの『マジすか学園』の二次創作として書かれている。(無関連化された)BL「的」想像力の輸入で「空気系」的コミュニティーにアプローチする。それもあくまで「エンタメ」として、読者の欲望と結託することで得られる力に期待して。悪くない回路だ。

『AZM48』は特定のコミュニティをターゲットにしたエンタメ小説で、作品自体はその域を出ないかもしれない(出れたらいいけど、そりゃあ)。しかし、仮にそうであっても別に構わない。

僕はこの小説を書くことでいろいろなことを考えることが出来たし、刺激も得た。それは当然読者全員ではないけれど、どこかの何人かの読者には届くだろう。ならそれでいいんじゃないだろうか。

僕は千葉さんの理想には共感する。「エンタメで描かれるでn個の性」「欲望それ自体の変化を促す表現」素晴らしい。しかし、残念だけれど千葉さんの思考法は結果的にそれを実現できるかもしれない回路のひとつを、PCを免罪符にしたホモセクシャル・エリートの立場から事前に検閲し、排除してしまう。

僕は送り手の中で洗練されたアプローチが革命的な作品を生み現実が変革するという回路と同等以上に、送り手の欲望と市場に渦巻く受け手(たち)の欲望が重ねあわされ、接続され、その結果生まれる作品と作品が起こす現象が、現実を受け入れつつ自動的に変化ささせていくことに賭けたい。

僕は、その奇跡を信じているし、マジに「賭けて」もいる。

さて、読者向けに解説すると、千葉さんの僕の作品に対する一連の批判は、表象文化論ポストモダン知識人の典型的、テンプレ的振る舞いに見える。一方で政治的には近代的リベラルの原則を素朴に採用することで政治的な正当性を確保しつつ、美学的にはラディカリズムのポーズを気取るという二重戦略だ。

それはそれで構わない。観念的なお遊びとしては洗練されているし、先制防御としても悪くない。でも僕には決定的に退屈だ。そのせいでこれらの文化論は市場の中の欲望(マジョリティのものも含まれる)と結託することではじめて発生する多様性や奇形的進化を門前払いにしてしまうことになったからだ。

(もちろん、千葉さんはこの弊害がわかっているからこそ、僕らと付き合ってくれている。これは間違いない。念のため。)

その結果、オタク系文化が代表する現代のユニークなポップカルチャーに対する批評活動は、事実上アカデミズムの外で活動する在野の論客たちが担うことになり、それが結果的に僕ら「ゼロ年代の批評」を生んだ。

僕は現実の平面でプレイヤーとして日々かっとうしながら、本当の意味で世界を変える可能性がるのは(現時点では)むしろ後者だと思っている。ここ数年の活動に手ごたえも感じている。

僕と千葉さんの対立は結果的にこのふたつの流れの末端にある。もちろん前者の哲学的思考の概念生産能力みたいなもの、はやっぱり尊重するに足るし、僕は専門外だからこそ敬意を払いたい。僕が千葉さんに期待するのは監視検閲的なディスクールで他人の足の引っ張る作業ではなく、こっちだ。

それだけに、もし可能なら千葉さんがいつの間にか排除してしまっている可能性を追求することについて、寛容であって欲しいと心から思います。

あと、これは付記。

千葉さんは僕が「社会を変えようとするものは「純」な芸術、エンタメは多少なり保守的という分割」をしている、として「「エンタメ」が「その社会において支配的な現実」と共犯関係にあって当然、というのは(中略)思考停止でしょう。」と僕を批判している。しかしこれは千葉さんの間違い。

僕は「「エンタメ」が「その社会において支配的な現実」と共犯関係にあって当然」なんて主張しただろうか。もちろん、そんなことは言ってない。該当する僕の発言はこれだ ⇒「しかしその社会において支配的な現実を用いてギャグを書く行為まで「狩る」ことが有意義だとは僕には思えない。」

この発言から千葉さんのいう「宇野の主張」を導き出すのはさすがに無理があリ過ぎる。何かの勘違いだとは思うのだけど。しかしこの勘違い(?)は千葉さんが排除してしまっている可能性の問題を端的に表しているように思える。

千葉さんは僕をこうも批判する。「宇野さんには申し訳ないけれど、彼が腐女子の視点を持っているとは思えません。ストレートな男性視点の「ホモネタ」だと思います。それは僕の直感です。もちろん、彼がどのくらいバイセクシャル性をマジで持っているのかは分かりませんが。」この発言、どうなんだろ。

「直感的にお前のセクシャリティは~だろう。だから書いた小説もダメに決まっている」というこの論法は、一応留保がついているとはいえ、ささすがにひどくないだろうか。千葉さんはずっと他人のセクシャリティを取り扱う上での繊細さを訴えているのに、自分がこれではちょっと問題かも。

「大枠で自分がヘテロであるにしても、同性愛や異性装などへの欲望の揺れがわずかでもないかどうか、(中略)そういうあたりの感性を、大枠でヘテロであることによって潰さないこと。」を訴え、相手の発言を検閲するのだったらもう少しご自身の発言にも配慮してもらわないと。

男性視点の「ホモネタ」がBL的想像力に接続されることの可能性とか、考えなくていいんのかな。僕は思想地図周辺がこの磁場に包まれているという(自己)批評としての小説を書いた。その辺無視して「お前のセクシャリティはこうに決まっている。よって小説もダメに決まってる」はさすがにないよなあ。

なんでこんなことを千葉さんが言ったのか、推し量ることはできるけれど、推し量ることしかできない。些細なことではあると思う。でも、僕はまあ、このあたりで結構がっかりしてしまったことは確か。ので、この応答も実は結構辛かった。いろいろと。丸一日、どういうトーンで伝えたらいいか悩みました。

以上です。繰り返しますが、僕らが従来の文化論が取りこぼしてきた豊かさを拾うべく、(事実上の)在野の立場から批評活動にコミットしてきたことの意義(と課題)を再確認する機会を与えていただいたことには、素直に感謝しています。 

2010-09-05 9:48:53

 

千葉雅也 Masaya Chiba@masayachiba

「宇野さんには申し訳ないけれど、彼が腐女子の視点を持っているとは思えません。ストレートな男性視点の「ホモネタ」だと思います。それは僕の直感です。もちろん、彼がどのくらいバイセクシャル性をマジで持っているのかは分かりませんが」という発言、とてもご不快に思われたようで、ごめんなさい。

最終的に宇野さんをがっかりさせてしまい、本当にごめんなさい。

これ以上話を複雑にしてご迷惑をおかけするわけにはいきませんから、僕の思いをほんの少しだけ付言することにします。ここで言い尽くせないことについては、こんどお会いしたときにお話しできれば幸いです。

先ほどの腐女子文脈の発言では、「僕の直感です」、「彼がどのくらいバイセクシャル性をマジで持っているのかは分かりませんが」という留保を付けました。この留保を、「一応留保がついているとはいえ」というくらいではなく、最大限に重視していただければと思います。
僕は、宇野さんのセクシュアリティを断定していません。そして、小説の評価についても断定していません。僕が、自分の素朴にリアルな立場から「直感」する、「ストレートな男性視点のホモネタ」への抵抗感を示したまでです。

BL的想像力をめぐる様々な問題(複雑な当事者性の多重決定や、キャラクターを媒介することによる幻想(ファンタスム)と実存の「無関連化」など)、それから「エンタメ」のポテンシャルをめぐる議論などは、今後もお互い考えていきましょうということで、これ以上深めることは控えておきます。

ご返答であらためて提示してくれた宇野さんの批評方針には、様々な多くの点で賛同します。

ところで「千葉さんの僕の作品に対する一連の批判は、表象文化論ポストモダン知識人の典型的、テンプレ的振る舞いに見える。一方で政治的には近代的リベラルの原則を素朴に採用することで政治的な正当性を確保しつつ、美学的にはラディカリズムのポーズを気取るという二重戦略」というのはねぇw

それが「観念的なお遊び」と見えるようですが、そうではありません。「テンプレ」じゃないです。「近代的リベラルの原則」はやはり必要とガチで思っており(それは論客としての自己正当化なんかじゃない)、美学的なラディカリズムも「気取り」じゃなくて実存的にそれを必要としているんです。

「それだけに、もし可能なら千葉さんがいつの間にか排除してしまっている可能性を追求することについて、寛容であって欲しいと心から思います」。僕も宇野さんと同様、「市場の中の欲望(マジョリティのものも含まれる)と結託することではじめて発生する多様性や奇形的進化」を大いに求めます。

僕は、権威的な検閲官として「狩る」ようなことをしているのではありません。「ポストモダン知識人」と見なされる僕の方が強者で、その強みでもって、弱者である市場的なものを「狩っている」というのでしょうか。真逆である、と言いたいです。

狩られているのはマイノリティの精一杯の訴えの方です。少しでも声を上げるために、エリートだと揶揄されようが、「抵抗」的な発言権を得ようとするのは、苦し紛れの努力です。勇んだ抵抗って最近流行らないみたいですが、無言のうちに抵抗「感」でがんじがらめになって生きている人はいるんです。

最後に、発端に戻って一言。僕は、今日の日本においてなお、ホモネタが屈折した笑いのクリシェである現実が、悲しい。悲しみが、怒りになる。難しい話じゃないです。それだけです。
2010-09-05 17:39:26

 

宇野常寛@wakusei2nd

丁寧にお付き合いただきありがとうございます。個人的に非常に考えさせられ、教えられました。そして、お互いの相違と共通点が確認できたかと思います。ご提案どおり、いくつか意見を交換できたらと思うトピックも抽出できたかと思います。今後ともよろしくお願いします。 
2010-09-05 23:10:15

 

『AZM48』にまつわる東浩紀(@hazuma)氏と宇野常寛(@wakusei2nd)氏のやり取り

宇野常寛@wakusei2nd

「AZM48 ビギンズナイト」の舞台は2010年。旧聞社が主催する文学賞「市ヶ谷邦夫賞」を吾妻浩が受賞した直後の物語だな。AZM48の絶頂期と思われたその瞬間、既に崩壊のプレリュードは……

午後3:09 · 2010年10月22日

nico.ms

東浩紀 Hiroki Azuma@hazuma

ぼくは来週月曜、友の会イベントのための友情出演映画撮影のため黒こげの衣装と仮面ライダーそっくりのベルトをつけて宇野常寛の腕に抱かれて冬の海岸で死んだりしなければいけないのだが、その翌日と翌々日には東大駒場で集中講義が待っている。頭の切り替えで気が狂いそうだ。

2011-02-06 2:40:13

東浩紀 Hiroki Azuma@hazuma

宇野くんはAZMとか言ってないで本気でこういうのプロデュースすればいいと思う。RT @takashipom これまた、、、怒られそうだな、、、「ももクロ」に続きまして、GEISAIステージ参戦決定アーティスト  http://ameblo.jp/geisai-net/

本拠地も高田馬場だし、いろいろ被ってんじゃん。でも向こうはガチ。AZMはしょせんは内輪受けパロディ。宇野常寛はここらで飛躍すべきだよ。いやマジで。
2011-03-06 13:26:50

宇野常寛@wakusei2nd

そのつもりです!

AZMはあれはあれで、おかげさまで僕なり色々試したいことやれているわけです。その成果を次に生かしたいですね。 
2011-03-06 13:28:31

東浩紀 Hiroki Azuma@hazuma

つぎは「ガチというネタ」じゃなくガチを期待するぜ!

宇野常寛@wakusei2nd

AZMも入り組んでいるけどガチですよ。だから次は最初からそう思ってもらえるものにします。 

東浩紀 Hiroki Azuma@hazuma

それだったらAZM48は全然90年代的アイロニーじゃん。だから友の会で受けたわけで。

宇野常寛@wakusei2nd

だから「崩壊した」組織の残党がそれを取り戻せない、という話なんですよね。要はあれを書きながらずっと、僕はなぜAKBのほうが面白く感じるのか、考えていたわけで。 

東浩紀 Hiroki Azuma@hazuma

そこで飛躍しないと。

で、飛躍ってのは、要は宇野常寛がいっさいの言い訳(これは東界隈のパロディ云々)なしに「おれは赤褌が好きだからこの映画作りました」って言えるかどうかでしょう。マジで問題はその覚悟だと思うんだよねー。

宇野常寛@wakusei2nd

ふむ。 

東浩紀 Hiroki Azuma@hazuma

自分の欲望の言い訳に他人を使っちゃいけない。というかそのかぎりでプロジェクトは大きくならない。AZM48の弱点はそこ。とはいえ今回で才能の片鱗はわかったから、宇野は今後は、自分個人の責任で、言い訳なしにあのホモネタ満載のカルト世界を爆発させるべきだ。いやいや、本当そう思うよ。

宇野常寛@wakusei2nd

なるほど。それはその通りですね。仮面ライダーとAKBと幕張とホモネタが好きだから書きました、とまでは言えますね、胸を張って。そこにセルフパロディの要素が入ると厳しくなる、と。

ただそれを言うと、僕は自分たちのことが書きたかったんですよ。黒瀬や濱野や坂上のことを。僕は彼らが好きで、そのキャラクターを読者と共有したかった。それは言い訳なく、本当に。

東浩紀 Hiroki Azuma@hazuma

というか、どうせセルフパロディになってないんだよ。宇野の欲望はたぶん本人が気づいている以上にダダ漏れなわけ。でもそれが一部読者に見えただけでも、あのプロジェクトは成功だったんじゃないか。

宇野常寛@wakusei2nd

しかしAZM48も数奇な運命をたどるコンテンツだな。まあ、モノがモノだけに仕方あるまい。どこかでAKBファンの感想とか聞けたらいいな。

東浩紀 Hiroki Azuma@hazuma

だからその愛情がもっとストレートに出るべきだと。そのためにはむしろキャラは虚構のほうがいいかもしれないし。

宇野常寛@wakusei2nd

なるほど……。まあ、これたまに言っているんですけど僕は中学や高校の頃とか、ああやって友人や先生を登場させたギャグ小説みたいなものを書くのが好きでよく仲間内で回し読みしていた。AZM48は完全にその延長なんですよね。もともと半分現実みたいなものが好きなんだとは思うんですが。

東さんにまで「しょせん内輪受け」と蔑まれている「AZM48」ですが僕にとっては大切な、何より「ガチ」な作品です。今回も自分で何度も読み返してケタケタ笑いながらこの最新話を書きました。

しかし考えてみれば何で僕はそもそも団体の宣伝媒体にその団体のパロディ小説を書いているのに「内輪受けだ」と責められ、完結もしていないのに「創作態度がいかん」みたいなことを言われなきゃならんのだw 

まあ、それだけ反響が大きいということで、がんばります。はい。

でも連載媒体からしょせん呼ばわりだからなーw
2011-03-07 3:52:40

東浩紀 Hiroki Azuma@hazuma

うーん…… あのパロディをみんなが許す状況を作るのがいかに大変か、わかって言ってる?  

AZM48は東浩紀の許可を得て、東浩紀が許しているという前提のもとで成立している企画。ぼくが「これ困る」と言い出したら存在できない。だからパロディとしてはそんなに強度はない。その判断は申しわけないが揺るがないので、この評価で不愉快なら自力で続けなよ。

宇野常寛@wakusei2nd

わかっていますよ。だから僕だって少しでも界隈が盛り上がればいいと思って頑張って、真剣に書いています。至らないところも多かったかもしれませんが、書きあげた翌日に掲載誌の編集長から「しょせん」とか言われるとさすがに凹みます。

東浩紀 Hiroki Azuma@hazuma

ただ「パロディとしては」と書いたとおり、小説としてはけっこうおもしろいと思うよ。あの文章で宇野くんの新しい才能に気づいたひとは多いんじゃないか。それだけにもったいない。

どうもずれてるなあ。その好意自体は嬉しいんだけど、君自身、いま「東浩紀の界隈を盛り上げる」なんてことしてていいわけ?

ぼくとしては、AZM48はどうも、宇野くんが「本当にやりたいことに踏み出すための口実」として使われている気がしてならないわけよ。実際いっつも「またまた〜東さんが好きなくせに〜」とかばっか言うじゃん。だからあれはあれでいったんきれいに終わらせて、今度は自分の責任で始めろって。

宇野常寛@wakusei2nd

ちょっと待ってください。東さん、僕はほかの仕事だってたくさんやっていますよ。これにかまけてほかのことができていないならともかく……。ちなみに、僕は友の会に貢献すること「も」必要だと思ってやりました。

東浩紀 Hiroki Azuma@hazuma

いやいや、それはさすがに知ってるって

要は結論だけ言うとさ、「東さんがそういう態度だったら、PLANETSでAZM48続編展開しますよ!」でいいんじゃないか? もともとぼく界隈をパロディ化しているわけだし、友の会会報で掲載そのものがおかしいって言えばおかしいじゃん。

宇野常寛@wakusei2nd

もちろん、アドバイス自体はありがたく受け止めています。以前ご相談させていただいたように法人化も考えていますし、コンテンツを作る側の仕事もしたい。これは東さんに出会わなければここまで明確に抱かなかった決意だと思います。

東浩紀 Hiroki Azuma@hazuma

実際おれとしては、そのほうがドキドキして読むと思うんだよねー。

まあしかし、宇野常寛とはなにものなのか、このひとなにやりたいひとなのか、ここまで深く考えさせられたという点で、AZM48はパロディ小説に止まらない強度があったことは事実。それはきっちり評価してます。

宇野常寛@wakusei2nd

けれどAZM48はあれはあれで、僕なりに読者を笑わせようと真剣に仕事をしているんです。原稿料が発生している仕事ですし。なので昨日みたいに言われるとべっこりと凹んでしまったわけです。「しょせんパロディ」でも、僕は真剣に書いたのですけど。

ともかく、機会があればまた小説も書きます。昔からギャグを書くのは批評と回想とかそういうの抜きに好きですし、そこを生かしたものが書ければいいですね。
2011-03-07 12:47:00

僕としては単に仕事として受けて、その範囲の中で面白いものを書こうとしたし自分でも楽しんで書いた。それが当然のことだと思うし、それだけなんですよね。だから真剣な仕事として尊重してほしかったってことなんですけどね。どうなるかは、ちょっとわかりません。
2011-03-07 13:51:51

東浩紀 Hiroki Azuma@hazuma

諸々了解したが、「これは東氏に転送されるだろう」という想定のもと、第三者に「東さんには失望しました」とかいうメールを送るのは、第三者を無駄に疲弊させるだけなので止めてくれとだけ言っておく。

こちらが飲める条件はすべて提示しているので、これで不愉快だったり失望したりするならば、円満に関係解消ということでよいと思います。

以上、オープンな業務連絡でした。
2011-03-07 21:24:25

宇野常寛@wakusei2nd

僕はコンテクチュアズに依頼されて文章を寄稿しました。ファンクラブの会報ということだったのでそれに合わせたものを書きました。
そして少しでも発足したばかりの友の会が盛り上がればいいと思い、一生懸命書きました。個人的にも楽しんで書きましたがあくまで仕事の範疇です。だからこそ真剣に、ガチに書いた。
しかしその会社代表=東さんから「しょせん内輪受け」「宇野がこの企画を言い訳に使っている」と非難されるのはさすがにひどいと思いました。あの小説も少しはシーンに貢献できたと思うのですが。
ともかく、僕はなんでこうなったのかわからないし、とても凹んでいます。
理不尽なことになったなとは思いますが、今後とも僕なりの、可能な形で「思想地図β」を中心とした運動を応援します。何より僕自身が東さんから学んだことを生かす所存です。。
以上です。誤情報が流れたりした場合はこのツイッターアカウントで訂正します。
ただ残念です。
2011-03-07 21:56:42

東浩紀 Hiroki Azuma@hazuma

宇野くんが一方的に被害者ツイートを流しているようだが、きみのぼくたちに向けた電話攻勢やメールもかなりのものだよ? そのことだけは公的に明らかにしておくよ。ではそういうことなら関係は円満解消で。

だいたい、ぼくが宇野くんを一方的に「切る」メリットなんてなにもないじゃん。そもそもこの企画、例のAZM48映像について、制作費は全部うちで出してるんだからうちの著作物でいいかって確認を求めたら、すごい勢いで宇野くんが態度を硬化させたのが始まりだよね。

いちおうぼくとしては、「共同著作物にしたいなら宇野くんも少しは制作費出してよ」とも連絡したはず。しかしそっちには応答なし。そもそもこの映画、関係者も全部友情出演だし、最初からCM的に無料でネット公開する予定だったんだから、どこが(c)だって大して問題ないわけだよ。それなのに……。

それでもいちおうは、宇野くんが「原作脚本」、我が社が「製作著作」で片付いたわけだよね。それなのにそのあとも宇野くんは「東さんはおれを裏切った」的な感情をエスカレートさせ、会報の連載中止や、挙句には思想地図β論文の引き上げまでちらつかせる始末。それはおかしくないか?

とにかく、こういうこと。(1)AZM48映画が我が社が全部制作費出しました。キャストへの連絡も入江監督のサポートもうちがしました。そもそも最初から「無料公開のお遊び映画なのでみな協力してください」という話でした。だから公開してみんなに楽しんでもらう。これは宇野くんも同意でしょう?

で、あと、(2)AZM48小説については、当然著作権は宇野くんのもの。我が社以外のどの出版社から単行本を出してもいいし、連載を止めるのも自由。むろんうちは引きとめたし、実際第4回の原稿も入稿してもらったわけだけど、そこまでムカついているなら止めたらいいんじゃないか?

さらに、(3)思想地図β論文についても当然著作権は宇野くんのもの。将来論文をどの出版社から出版しようと自由だけど、業界慣習的に少しは時間を空けてもらいたい。それにいまさら思想地図βから引き上げるというのは、うちの社に多大な損害を与えて大問題。さすがにそれは本気でないと信じる。

というわけで、ぼくというか我が社は、宇野くんの権利をなにも侵害していないし、するつもりもないし、もはやなにが問題になっているかよくわからない、というのが正直なところ。

宇野くんの言動を忖度するところ、「AZM48の東浩紀の評価が低すぎる」というのがどうやら本質かもしれない。でもそんなら著作権がどうとか変なこと言わず、ストレートに言えばいいんじゃないか。そしてその点については、ぼくはかなり評価しているわけで、これ以上評価しろと言われても困る。
2011-03-07 22:20:03

 

宇野常寛@wakusei2nd

映画「AZM48 ビギンズナイト」についてのトラブルは以下の経緯です。映画のラッシュがあがり、エンドクレジットを決めるとなったとき、僕が希望として表記を「原作・脚本・振付け」にしてほしいと要望を出しました。これはクレジット上のことで権利関係のことを指したものではありませんでした。

それを東さんから返信があり、そのメールには権利関係とクレジットのことが両方入っていました。映画は共同制作をコンテクチュアズが仕切り、制作資金も同社が出しているのだから著作権はコンテクチュアズにある、と。

この部分については、僕も異存はまったくありませんでした。僕がこだわっていたのはエンディング上での表記だったので。

ただ、東さんのメールはクレジットと権利の問題がいっしょくたになっていたので、そこは確認しないといけないと思いました。

それとは別に不満点がありました。それは小説の権利についての箇所です。東さんからのメールには小説を単行本化した場合の権利配分の話が書いてありました。

2011-03-07 22:20:21

東浩紀 Hiroki Azuma@hazuma

ぼくが言ったのはこう。AZM48の小説、コンテクチュアズとの共同著作物として作るならうちで出版できる。宇野常寛の単独小説としての出版を望むなら、他の出版社にもっていってくれということ。RT @wakusei2nd それは小説の権利について
2011-03-07 22:22:47

宇野常寛@wakusei2nd

そこにはこの小説がモデル小説であること、そして映画製作などにお金がかかっていることを理由に、僕とコンテクチュアズが双方で権利を持つというものでした。

東浩紀 Hiroki Azuma@hazuma

これは権利の問題じゃない。ここまで来たから言わせてもらえば、ぼくはあの小説、「小説家・宇野常寛の新作!」じゃとても売れないと思ったんだよ。ぼくなり坂上なり入江なりがグラビアで出たり、あるいはぼく自身が序文を寄せたりいろいろ仕掛けないととても売れない。なら共同著作物にしてよと。
2011-03-07 22:24:18

宇野常寛@wakusei2nd

これは少しおかしいと思いました。モデル小説なのはこの作品が同社の宣伝的性格があるからだし、映画にしても創刊記念イベントのためのもので、その製作費を理由に著作権をシェアするというのは変だなと思いました。
2011-03-07 22:23:00

東浩紀 Hiroki Azuma@hazuma

一方的すぎる。関係を逆から見てご覧よ。なんでぼくはきみのモデル小説に登場して、きみの小説の宣伝に協力しなきゃいけないの。

コンテクチュアズとAZM48はたがいを利用しあってwin-winの関係でしか共生できない。それなら共同著作権なり印税シャアなりがフェアじゃないか。それを「搾取しようとしている!」と最初に非難してきたのは宇野くんで、そう見られるならこれ以上の協力は止めようと思った。それだけ。

2011-03-07 22:29:34

宇野常寛@wakusei2nd

そこで、交渉窓口となった浅子さんと話し合いの場を持ちました。まず、(1)僕がこだわっていたのは映画の「原作」表記であり、商業的な権利ではないことが確認され、映画のクレジットは僕の希望通りになりました。

その上で(2)小説の単行本化については、実はコンテクチュアズ社は映画関係の素材などをふんだんに取り入れた小説+ムック(もしかしたら映画素材を生かしたおまけ映像)を企画しており、そうなった場合はその「本」全体の著作権は宇野とコンテクチュアズのシェアになるというお話でした。

この部分は東さんからのメールにはなかったので、僕は驚きました。でも素敵な話だと思いました。そして誤解も解けて、合意も取れたのでよかったと僕と浅子さんはその晩楽しく飲んで別れました。

しかし、実際の商品化についてはこういう風に揉めた経緯があったので一度白紙に戻そう、ということで合意が取れていたと思います。

別に僕はこの企画でお金をもうけようとは思っていなかったので、単行本化白紙についてもすんなりと受けいれました。

ともかく、僕としてはこれからも可能な限り、世界を変えるべく微力を尽くすのみです。応援よろしくお願いします。また、事実関係で明らかにしたほうがいいことがあれば投稿します。
2011-03-07 22:32:12

 




以上の内容はhttps://wellwellwell.hatenablog.com/entry/2024/08/13/152632より取得しました。
このページはhttp://font.textar.tv/のウェブフォントを使用してます

不具合報告/要望等はこちらへお願いします。
モバイルやる夫Viewer Ver0.14