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ルソー年譜

1712年

6.28(火) ジュネーヴ市に生まれる。7歳年上の兄フランソワがいた。父イザークは時計職人。生後すぐ母を失う。叔母シュザンヌ・ルソー(30)と女中ジャクリーヌ(16)に育てられる。

1717年 5歳

父、ジュネーヴの「山の手」にあった家を売る。下町サン・ジェルヴェ地区に引っ越す。

1719年 7歳

父とともに小説類を読み始める。冬には歴史などを読み始める。

1720年 8歳

プルタルコス「対比列伝」に熱中する。

1722年 10歳

父が退役軍人と喧嘩してジュネーヴを去り、牧師ランベルシェの寄宿生となる。時計屋の徒弟となった兄が行方不明となる。

1723年 11歳

寄宿先のランベルシェ嬢(40)から受けるお仕置き(尻打ち)に官能的な快感を覚える。

1725年 13歳

司法書記の見習いとなるがすぐクビになり、彫刻師の徒弟となる。

1726年 14歳

父再婚。徒弟生活で親方に虐待され、性格が歪む。

1728年 16歳

3.14 郊外に遊びに行って市の門限に遅れ、ジュネーヴを去る。

3.21 サヴォアアヌシーでヴァラン夫人(29)に巡りあう。

4月、イタリアのトリノに行って救護院に入り、新教を捨ててカトリックになる。トリノで貴族の館の従僕となる。露出狂的な行動をする。

1729年 17歳

アヌシーのヴァランス夫人の家に帰る。神学校に入る。

1730年 18歳

ヴァラン夫人と別れ、スイス各地を放浪。てんかんの発作を起こした友人を置き去りにして自分だけアヌシーに引き返す。

1731年 19歳

パリに行く。サヴォワのシャンベリーのヴァランス夫人のもとに徒歩で帰る。測地局に入る。

1732年 20歳

測地局をやめ、音楽の教師となる。「ナルシス」執筆。

ヴァランス夫人の手引きで彼女の愛人となる。夫人には既に別の男がいた。

1734年 22歳

3.13 ヴァランス夫人の愛人が死んで、ルソーが彼女の執事となる。

ヴォルテールの本で文章を勉強する。

1735年 23歳

ヴァランス夫人とともにはじめてシャルメットに住む。父にあてた手紙で、音楽家、秘書、家庭教師のいずれかで生計を立てる計画を明かす。

1734年 24歳

春、病気になり死を覚悟する。「地理学、天文学幾何学講義」「系譜学ノート」「文学ノート」などを書き始める。

1737年 25歳

6月、「メルキュール・ド・フランス」にルソー作曲の歌謡が掲載される。

6.27 化学実験で爆発事故を起こし、2週間目が見えなくなる。遺書を作成。

7月末、密かにジュネーヴ近郊に赴き、母の遺産を相続する。

9月、モンペリエに病気療養に行く。旅の道連れになったラルナージュ夫人(44)と官能的な恋に落ちる。「世界史年表」など書く。

1738年 26歳

シャンベリーに帰る。ヴァランス夫人に冷たく迎えられ気まずくなる。留守中のルソーに代わる新たな愛人が執事となっていた。2度目のシャルメット生活。雑誌に匿名論文を投稿などする。

1739年 27歳

ひとりでシャルメットに滞在。年金嘆願するが下りず。「ヴァランス男爵夫人の果樹園」、悲歌劇「イフィスとアナクサレート」を書く。

1740年 28歳

リヨンでマブリ家の家庭教師となる。マブリ夫人に片思い。社交界に出入りするも不器用で馴染めず。

1741年 29歳

家庭教師をやめてシャンベリーに帰る。ヴァランス夫人の家の財政状態は悪化の一途を辿る。リヨンに行きセール嬢に恋をする。

1742年 30歳

一発あてるつもりでパリに出て、科学アカデミーに記譜法についての論文「音楽のための新記号案」を提出。アカデミーから証明書を授与され、音楽界に革命を起こすと信じて「近代音楽論究」を仕上げる。

1743年 31歳

パリでさまざまな人々と交際する。ディドロと親しくなり、ともに音楽について語り合う。美しいデュパン夫人(36)に恋心を抱くが、度々の訪問をやんわりと注意される。

オペラ・バレー「優美な詩の女神たち」執筆に熱中する。

ヴェニス駐在フランス大使の秘書となる。初めての娼婦体験。病気の感染を案じ不安になる。「政治制度論」の構想を抱く。

1744年 32歳

8.6 大使と衝突しパリに帰る。外務大臣代理あてに何通も弁明書を送るが無視され憤る。ヴェネチアで中断したオペラの仕事に再び取り組む。

1745年 33歳

3月、滞在していた宿で洗濯女として働いていたテレーズ・ルヴァスール(23)と関係を結ぶ。

7月、オペラ・バレー「優美な詩の女神たち」完成し、9月、ラ・ポプリニエール邸にて部分的に上演。ラモーは酷評するが概ね好評。

ヴォルテールとラモーのオペラの改作を手伝う。ヴォルテールとの初めての手紙のやり取り。オペラ作品修正の作業に疲れて寝込む。

1746年 34歳

フランクイユ氏の秘書となる。音楽と執筆に励む。冬に第一子出生。孤児院に送る。デピネ夫人(20)と知り合う。

1747年 35歳

5.9 父死去(享年74)。母の遺産の残りが手に入る。

イタリア座に自信作「ナルシス」の脚本を見せるが採用されず。

1748年 36歳

2月、結婚を間近に控えたウドト夫人(17)を紹介される。

夏、尿道の病気で激しい痛みと光熱、尿閉に苦しむ。

テレーズとの第二子を孤児院へ送る。

1749年 37歳

ダランベールから「百科全書」の音楽の項目の執筆を頼まれる。

7.24 友ディドロが思想犯で逮捕されヴァンセンヌ塔に監禁される。

8月、グリムと知り合う。ディドロの面会に足しげく通う。

10月、ディドロへの面会の道の途中でディジョンのアカデミー懸賞問題「学問芸術の進歩は、風俗の腐敗に寄与したか、または純化に寄与したか」を目にして霊感を受け「別の世界を見、別の人間になった」ように感じる。興奮状態ですぐに論文を書き上げ、ディドロに読んで聞かせる。以来、「学問芸術論」の執筆に没頭する。

11月、ディドロ釈放。音楽や芝居を通してグリムとの友情が深まる。

1750年 38歳

ルソーとテレーズがグルネル・サン・トノレ街に居を構える。上の階にテレーズの家族が住む。以後7年間ここで暮らす。

ヴォルテールと最初にして唯一の面会。

7.9 「学問芸術論」ディジョンアカデミー賞を獲得。一躍有名になる。9月、「メルキュール・ド・フランス」に「シルヴィの小道」掲載。

11月、激しい腎臓炎で5~6週間寝込む。余命6か月と言われ、自己改革を考える。

1751年 39歳

フランクイユ氏の秘書をやめ、楽譜の浄写を仕事とする。「財産や出世」を放棄し、「独立と貧困」のうちに生きることを決意。

春、第三子誕生、また孤児院へ送る。

4.20 フランクイユ夫人への手紙で子供たちを孤児院に入れたことを弁明。テレーズの兄に上等の下着を大量に盗まれる。

『メルキュール』誌に多数の論文を寄せる。

1752年 40歳

10.18 宮廷でルイ15世とポンパドゥール夫人の御前で喜歌劇「村の占い師」上演。大成功を収める。翌日謁見に出頭するよう申し渡されるが、おびえ迷った末に翌朝そのまま発ってしまう。ディドロに烈しく叱責され激論となる。

10.24 第二回御前上演。

12.28 テアトル・フランセで喜劇「ナルシス」上演。成功とはいえず。

この年ら55年にかけて第四子、第五子誕生。孤児院へ送る。

1753年 41歳

オペラ座で「村の占い師」たびたび上演され好評を博す。

「フランス音楽についての手紙」発表し論争となる。

オペラの出版許可権の前金をヴァランス夫人に送る。

オペラ座での上演失敗に憤りオーケストラ団員の内情を素破抜く文書を発表し楽団員たちから激しい恨みと憎しみを買い、無料入場権を没収される。

ルソーは一種の「怪物」として有名になり、肖像画の出品を皆が好奇の目で見つめ、「村の占い師」のパロディが流行り、ルソーをうたった俗謡が流布した。

11月、ディジョンのアカデミーの課題「人間における不平等の起源について」を見て感銘を受け、サン・ジェルマンに一週間滞在して森の中でこの問題について瞑想する。

1754年 42歳

2.3 百科全書派の集まりで口論となり、ルソーと他のメンバーとの不和が表面化する。

「人間不平等起源論」を仕上げるが、応募論文は落選。

ジュネーヴに帰省、人々からの祝福・歓迎に感激し、新教に復帰、ジュネーヴの市民権を回復。

8月、ヴァランス夫人と再会。

9.22 友人ド・リュックとその家族及びテレーズとレマン湖で7日間舟遊び。のちの「新エロイーズ」での描写につながる。

タキトゥス「歴史」第一巻を翻訳。

10月、ジュネーヴを去りパリに戻る。

1755年 43歳

1月、「音楽辞典」の執筆に励む。

6月、「人間不平等起源論」出版。

8月、ヴォルテールから、「あなたの著作を読むと四つ足で歩きたくなります」との手紙が届く。

9.10 ルソーからヴォルテールへの返信が『メルキュール』に掲載。ここから両者の精神的闘争がはじまる。

1756年 44歳

デピネー夫人の領地エルミタージュの美しい田園地域に住む。

神の摂理についてヴォルテール氏に送る手紙」を書いてヴォルテール詩編リスボンの災禍」を反駁。

1757年 45歳

3月、ディドロと険悪になるが、仲直りする。

ウドト夫人への報われぬ恋。愛の妄想の中で『ジュリ』執筆

ディドロ、デピネー夫人、グリムらの自分に対する「陰謀」を確信。

エルミタージュを去ってモンモランシーに住む。

1758年 46歳

ディドロと絶交。ウドト夫人より絶交の手紙が届き絶望する。

コント「気まぐれ女王」掲載

「演劇に関するダランベール氏への手紙」出版、論争を引き起こす

「社会契約論」(「ジュネーヴ草稿」)書き進める

1759年 47歳

1月、ヴォルテールカンディード」を出版、ルソーへの返答

オペラ座が「村の占い師」を上演することに抗議するも無視さる

『ジュリ』執筆に没頭

リュクサンブール元帥夫妻の知遇を得る。

1760年 50歳

1月、『ジュリ』完成し、『エミール』と『社会契約論』に取り組む。

4月、「新エロイーズ」印刷開始

12.20 ロンドンで「新エロイーズ」発売

1761年 49歳

1月、「新エロイーズ」パリで出版。大評判となる。逆にジュネーヴでは非難の嵐となる。特に女性たちの心をとりこにし、18世紀最大の大ベストセラーとなる。

6月、重病のため死を覚悟し、ジュネーヴの友人ムルトゥーに手紙を書き、原稿の検討と保管および著作集の刊行を頼む。

6.12 リュクサンブール公夫人に手紙を書き、孤児院に入れた子らの捜索と自分亡きあとのテレーズへの配慮を懇願する。

7.29 友人コワンデと絶交。

あちこちに常軌を逸した手紙を書き送る。

1762年 50歳 

4月、「社会契約論」

5月、「エミール」

6.3 警察が「エミール」押収。

6.9 パリの高等法院が「エミール」を禁書とし、著者の逮捕令を発する。スイスに逃れる。ジュネーヴの国会も「エミール」を禁書とする。

プロシアヌーシャテル州のモチエ村に落ち着きヌーシャテル総督キース卿の庇護を受ける。

7.2 ヒュームがルソーに力になると手紙を送るが受け取りは翌年となる

7.29 ヴァランス夫人死去。10.4に知らされる。

9.9 ローマ法王庁が「エミール」を禁書とする。

1763年 51歳

「クリストファー・ボーモンへの手紙」を出版し「エミール」を非難したパリの大司教に回答する。警察が差し押さえる。

5.12 ジュネーヴ市民権放棄の決意をジュネーヴ市長に書き送る

ジュネーヴ中が大論争となり、検事総長トロンシャンが匿名で「野からの手紙」を発表する。

1764年 52歳

6月、「山からの手紙」を書いてジュネーヴの国会派に反撃。

8月、コルシカの軍人から憲法草案を書くよう依頼される

12.18 「山からの手紙」出版され、ジュネーヴで大騒動となる

12.27 ヴォルテールが無署名のパンフレット「公民の意見」をもってルソーへの人身攻撃(捨て子のことなど)を行う。

周囲からの熱心なすすめもあり「告白」執筆の決意を固める。

1765年 53歳

ルソーをめぐってジュネーヴ、パリ、オランダ、ハーグなどヨーロッパ各地で出版禁止、焚書、全集の印刷停止など大騒動が続く。

9月、モチエを追われて、ビエーヌ湖上のサン・ピエール島に滞在。

「コルシカ憲法草案」完成

10月末、また追われて、ストラスブールを経てパリへ。

11.30 イギリス行きを決意

12.16 パリに到着、大歓迎される

1766年 54歳

1月、ヒュームと共にイギリスに渡る。ウットンに滞在。ここで「告白」第1部を執筆。まもなくヒュームが彼の友人たちと共謀してルソーを陥れようとしていると確信するようになる。

7.10 ヒュームに烈しい非難の手紙を書く。

10月、「ヒューム氏とルソー氏との間に起こった論争に関する簡単な報告――証拠書類を含む」がパリで出版される。11月に英訳が出版。

翌年にかけて新聞各紙がこぞってこの話題を取り上げる。

1767年 55歳

5月、ウットンを去ってフランスに帰る。ミラボー侯、コンチ大公の客として、フルーリ・スー・ムードン、トリーの城に滞在。用心のため「ジャン・ジョセフ・ルヌー」と名乗り、テレーズは妹ということにする。

召使たちからは軽蔑的に扱われ、不安な立場から身も心も病む。

11.26 「音楽辞典」出版。好評。

1768年 56歳

3月、ジュネーヴ議会で和解成立。

パリの昔の友人・知人たちはルソーの「回想録」が出版されるのではないかと恐れる。ルソーは精神錯乱の様相を見せる。

6月以降リヨン、グルノーブルに行き、シャンベリーでヴァラン夫人の墓に詣で、ついでドーフィネ州ブールゴアンに滞在。

8月、テレーズと正式に結婚。

11.8 昔の書簡集を読んでいるとき、1756年10月から1757年3月までのものが欠落していることに気づき、人々が彼をルイ15世暗殺計画に関与させる陰謀に思い至って愕然とする。

ブルゴワンに住むサン・ジェルマン氏に会見を求めて「秘密」を打ち明け、よく会いに行く。

12月、胃拡張に苦しむ。テレーズはリューマチに悩む。

1769年 57歳

1月、モンカンに落ち着き、「植物学辞典」を作ろうと試みる。

8月、テレーズと夫婦喧嘩、離婚の危機。

いったん「告白」の執筆を断念するが、植物学への情熱を断って標本や蔵書を手放し、「偉大で悲しい義務のため」執筆再開。

1770年 58歳

1.17 自分の子を捨てたことを激しく後悔し、万難を排しても自分で育てるよう手紙を書く。

2.26 サン・ジェルマン氏に長いお別れの手紙を書く。これまでの人生を告白し、自分を被告に仕立て上げようとしてきた人々の陰謀を語る。

パリに帰る。プラトリエール街に住み写譜を仕事とする。

このころ「告白」完成。詩人ドラの家でその朗読会を開く。

1771年 59歳

2月、スエーデンの皇族の前で「告白」を朗読。

5月、エグモン伯夫人の邸で「告白」第2部を朗読。デピネー夫人、ルソーの「告白」朗読の禁止を警察に要求。呼び出しを受け、それ以降朗読会は行わなくなる。

6月、「ポーランド統治論」完成。

8月~10月 「植物学についての手紙」リンネに送る

1772年 60歳

2.19 「ピグマリオン」ウィーンでドイツ語で上演される

4.19 復活祭のモテット作曲

5~7月、パリ周辺で植物採取に精を出す。

8.14 メーム伯爵夫人への手紙で、自分を取り巻く陰謀が公衆全体を共犯者にしてより巧妙により深く沈潜しますます正体のわからない闇となっている状況を嘆き、人間も人間の魂も心と心の交際ももはや求める気はなく、親切な夫人も今の時代の人である以上、その例外にはできないと書く。

「対話 ルソー、ジャン・ジャックを裁く」を書き始める。

1773年 61歳

マルゼルブ、クレキ侯爵夫人と絶交。

朝から晩まで楽譜写しに専念。日々の暮らしを立てながら「対話」の執筆。

1774年 62歳

1.23 自分の著作が勝手に変造されているという妄想から警告文を書く。

2月、グルックが楽譜の浄写をルソーに依頼。グルックのオペラ「イフィジェニー」を見て、自分でも「ダフニスとクロエ」を作曲。

グルックのとりなしでオペラ座と和解する。

5.10 ルイ15世の死去にショックを受ける。

11月、「村の占い師」全曲を新しく作曲し直す(死後上演も不評)

12月、プラトリエール街の別の家に転居。

1775年 63歳

10月、ルソーの承諾なしで「ピグマリオン」コメディー・フランセーズで上演。熱狂的な大成功をおさめるが、まったく関心もたず。

1776年 64歳

2.24 「対話」完成。原稿をパリのノートルダム寺院の大祭壇に寄託しようとするが入り口が締まっていてショックで呆然自失となり、一日中外を歩き回る。

4月、街ゆく人々に「いまだ正義と真実を愛する全フランス人へ」と題するビラを配るが人々に拒まれる。

熱狂から醒めて「さきの著作のてんまつ」を書く。

9.6 写譜を一時止め、家政婦を雇い始める(翌年までに11人が入れ替わる)

秋、「孤独な散歩者の夢想」を書き始める。

10.24 散歩の途中で犬に倒されて気を失い全身に傷を負う。

11月、パリ中に「ルソー死亡説」が飛び交う。

1777年 65歳

1月、オペラ座で「村の占い師」再演され大成功。

2月、自分とテレーゼの生活状態についての「覚書」を作り、テレーズが病んでいて家政婦を雇った事情や、家計が苦しく、誰かに身柄を引き受けてもらって隠棲の場がほしいと訴える

8.22 写譜の仕事を完全に止める。1770年9月から写した楽譜は計11185頁に及んだ。

10月、リンネの体系に従った植物の書式「万国共通記号」を考案。

12月末、デュプラ伯爵からの住まい提供の申し出を有難く受け、移り住むのはこの冬が終わってからにしたいとの礼状を出す。

1778年 66歳

2月、「告白」の原稿が盗まれたという噂がパリに流れる。

4.12 「夢想」の第10章を書き、未完のままとなる。

5.20 誰にも知らせず一人でパリを離れ、エルムノンヴィルのジラルダン侯爵の領地に移る。そこには「風景の構成」に関心の深い侯爵がルソーが自然の理想を求めて実現した世界が広がっており、深く感動する。26日にテレーズもやって来る。

5.30 ヴォルテール死去。深い衝撃を受ける。

エルムノンヴィルの植物誌を作ろうと決心し、散歩と植物採取に励む。

6.21 城での夕食の後、ピアノフォルテの伴奏をしながら『オセロ』からとった自作の「柳の歌」を歌う。

7.2 早朝の散歩から戻って朝食をとってしばらくしてから気分が悪くなり、苦痛の発作が続くなか午前11時に息を引き取る。臨終を見守ったのはテレーズ一人だった。死因は漿液性卒中と診断される。

7.4 遺骸が庭園にある湖に浮かぶポプラの島に葬られる。

1782年

「告白」第1部、「夢想」出版。

1789年 

「告白」第2部、「対話」出版。フランス革命起こる

1794年

10月、革命政府によってルソーの遺骸がパリの偉人廟(パンテオン)に移され、ヴォルテールと並んで葬られる。




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