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Artificial Beauty

「もう来られないんだ」

「もう来られないの」

「悲しいかい」

「悲しいわ」

「本当はそうじゃないんだろう」

「本当はそうじゃないの」

「きみぐらい冷たい人はいないね」

「あたしぐらい冷たい人はいないの」

「殺してやろうか」

「殺してちょうだい」

 

星新一「ボッコちゃん」

この本、昨日書いた「闘争のエチカ」の章だけ読んだが、とんでもないことになっていた。

1980年代の本が並んでいるので、国会図書館ウェブサービスで読めるのもいくつかある。「闘争のエチカ」は、読めない。

80年代と言えば、自分が多感な十代を過ごした時期でもあり、その後の90年代、00年代、10年代と比べてもそれなりに濃密な日々を過ごしたと思いきや、まったくそうでもなかった。

東浩紀は模試の長文読解に出た柄谷行人の「内省と遡行」を読んでハマったというし、千葉雅也は講談社現代新書の「現代思想入門」(今村仁司編、1988年)を拾い読みして、いつかここにあるようなカッコいい概念を使えるようになったらなあ・・・と憧れていたらしいが、自分も同じ本を高校の教師に勧められて読んだ記憶があるが、さっぱりなんのことやら分からず、嫌になって毛嫌いするようになった。

それでも背伸びしてニーチェの本を買って読んだり、同時角川文庫になった吉本隆明の「言語にとって美とは何か」や「共同幻想論」などを読んでみたりしたが、やはりチンプンカンプンだった。そういえば栗本慎一郎の「パンツを脱いだサル」とかも読んだな。

自分が衝撃を受けたのは、高校卒業間際に読んだドストエフスキーの「地下室の手記」だった。フロイトニーチェもよく分からず、フーコーデリダに至ってはわけわかめだったが、ドストエフスキーは刺さった。

あと高校の時に読んだのは、星新一で、当時文庫で出ていたのは、「進化した猿たち」のようなエッセイも含めて、すべて揃えたのではないかと思う(父親の伝記などは除く)。自分でそれぞれの作品を5段階評価して、ランキングを作って、勝手に(頭の中で)アンソロジーを組んだりしていた。

全部で一〇〇〇編以上あるショート・ショートの八割がたは読んでいると思うが、どれか一つ選べと言われたらやはり「ボッコちゃん」だろう。これを読んだ時の衝撃と感動はぼくの八〇年代の最も印象的な記憶の一つである。大げさに言えば、自分の女性観や人生観に影響を与えたといえるかもしれない。その後の人生で水商売の女性に惹かれることがまったくなかったのも、この作品の影響が無意識に作用したのではないかと思うことがある。

この作品、あらためて四〇年ぶりに読み返してみたら、涙が止まらなかった。




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