もともと備忘録と独白からなるこのブログだが、一日のアクセス数が一桁という事態に立ち至ってみれば、ますます誰に読まれることも想定しない個人的な必要にのみ応える内容になるのも当然であろう。
というわけで、柄谷行人である。
彼が本質的にスピリチュアルな傾向を持つ人で、オカルト体質でもあるということは前にも書いたが、カントやウィトゲンシュタインと同じで彼はそうしたものをギリギリまで哲学的な思考で隠蔽しようとしてきた。もっとも晩年の「交換様式D」をめぐる議論では「霊と反復」などと言って自ら禁を破るに至ったように思える。
彼の最初の妻であった柄谷真佐子(死別)は冥王まさ子という作家でもあり、その小説については以前の記事にも書いたが、冥王という名前からも何となく匂うように占星術の使い手でもあり、晩年はルドルフ・シュタイナーの『魂の隠れた深み 精神分析を超えて』という本の共訳者でもあった。
そして二度目の妻柄谷凛こと山口菜生子はインド,デリー大学哲学科中退,ケンブリッジ大学神学・宗教学科卒業、インドの哲学者オーロビンドの評伝を翻訳出版しており、2004年から1年間シュリー・オーロビンド・アーシュラム客員研究員を務めた山口泰司と『徹底討議 心と生命 「心の諸科学」をめぐるダライ・ラマとの対話』(青土社、1995)を共訳している。
これほど濃密な霊的知的環境にあって、柄谷がそれに何の影響も受けないことはありえないだろう。というよりも、そういうものに積極的な志向があったればこその伴侶の選択ともいえるのである。
何が言いたいかというと、1980年代前半に起こった柄谷の態度変更(「転回」)とは霊的な認識に基づくものであり、東浩紀が「謎」と呼ぶように、純粋に知的・哲学的な要素だけでは理解できないということだ。では「霊的な認識」とは何か、と言われても、それは柄谷自身にも言語化することは不可能であろう。
オーロビンドにでも聞いてみるしかないのである。
神よ、あなたの為に私の出来る全てを行います。我々にもあなたの義の道を歩ませたまえ。比類なき神よ、求めればあなたを見出すことが出来るでしょう。
ジョン・コルトレーン『至上の愛』

ときどき私はフィラデルフィアにゆき、ジョンの母親と話をすることがあった。母親は私に向かって「ア・ラブ・シュープリーム」について話し、ジョンがそんな曲を作曲しなければいいとどれだけ強く願ったかということを聞かせてくれた。
私はそのとき、彼女の口からそんな言葉を聞こうとは夢にも思っていなかったので、ひどく驚いた。だが、彼女はまた、ジョンがその作曲をする前に神の姿を見たと自分に語ったと言った。彼は演奏中にしばしば神の姿を目撃したということだった。神の姿を見るのは死期が近づいた人間だといって、母親はジョンのことをひどく心配していた。