忘却というものはどんな傷口もふさいでくれる。そうして歌は忘却のもっとも美しい表現である。歌のなかで人が思い出すのは、自分の愛するものだけだからだ。
イヴォ・アンドリッチ『ドリナの橋』第5章
イヴォ・アンドリッチ『ドリナの橋』(松谷 健二訳、恒文社、1966年)読む。

東浩紀が「今年読んだ小説の中で一番よかった」と言っていたので図書館で借りて読んだ。
今年読んだ小説の中で一番よかった。というより、生涯ベスト級の作品だった。
ボスニア共和国とセルビア共和国の国境を流れるドリナ河に架かる美しい橋が見つめるビシェグラードという街の約400年にわたる歴史群像劇。
叙事詩文学の模範のような作品であり、トルストイの「戦争と平和」に匹敵する真の傑作。読後感はなぜかガルシア・マルケスの『百年の孤独』に通じるものを感じた。
こういう言い方は間違っていることを承知で敢えて書くと、この小説を読んで心を揺さぶられない人は文学について論じる資格がないと思う。
イヴォ・アンドリッチという作家(彼はこの小説を書く直前までユーゴスラビアの外交官を務めていた)がこの作品を書いた状況(ドイツ占領下のベオグラードで生命を削りながら執筆に打ち込んだ)を合わせて考えると、二十世紀に書かれた最も偉大な文学の一つと言うことに何ら躊躇を感じない。
1961年にノーベル文学賞を受賞したのは当然である。
文学作品の最高の形式は叙事詩であると思っている。
なぜそうなのか?という問いへの一つの回答がここにある。


