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タイガーマスク

柄谷行人は1980年頃に「頭がおかしくなって」霊界(あの世)は数学的な位相空間として示しうる、というようなことを考えはじめ、しまいには、何も仕事ができず、タイガーマスクの面をかぶって近所を徘徊したりしたという。

その後、そのような状態を脱して、『群像』に『探求』の連載をはじめたらしい。

たしかに、1982年の森敦との対談では、『意味の変容』という森のオカルチックな論文を巡って「あの世」談義をしたり(柄谷行人と森敦が小島信夫の受賞パーティーで語り合ったことについては『別れる理由』に長々と記述されている)、『ユリイカ』1983年6月号での中沢新一との対談では「鈴木大拙スウェーデンボルグを翻訳したのは鈴木自身にスピリチュアルな体験があったからだと思う」とか「フロイトは一種の霊能者で、それをひた隠しにしていた」などと言っている。

しかし、この頃の柄谷の発言には面白いところもあって、むしろ共感できる部分が多い。

自己言及的な形式体系というのは、わかりやすい例で言えば、大脳の中枢神経系のようなものなんです。これはコンピュータ(人工知能)とちがうんですね。つまり、そこには中心がないんです。あるいは中心が任意なのです。コンピュータというのは、どうやったって閉じられた体系です。ところが、脳の中枢神経系は、「体系」ではないし、中心はない。それが体系化され中心が存在する状態が、自己言及性の禁止としての「意識」あるいは「文化」なのであって、本来的にはないわけです。したがって、中心をつくっちゃうということは、ひとつの禁止のあらわれであって、だからそれをまた非中心化せざるをえないというのも、やはり必然なんですね。

たとえば数学的に考えられる「時間」というのと、物理学でいう「時間」とは全然ちがうでしょう。例えばの話、数学で六次元空間なんて簡単な話ですね。三次元空間を二つの点が運動しているとしたら、六次元空間を一点が運動していると考えりゃいいわけだから。物理学だと、四次元というのがやっぱりいちばん難しいらしんですね。

数学上の空間というのは、要するに位相的な構造でしょう。そこから出発して捉えられる時間は、どういうものか。それは物理学の「時間」とはちがうし、ベルクソンフッサールがいう「時間」ともちがう。つまり、永劫回帰とか反復とかいう問題というのは、物理学の「時間」や意識の「時間性」から考えるとダメなんで、位相構造としての・・・
そこから見れば、「時間」とはどういうことになるかというと、ある矛盾をもっている、つまり自己言及的な矛盾をもっている空間をとにかくなんらかのかたちで処理する、それが時間だ、ということになるのではありませんか。やっぱりぼくは、そちらの方向でやらないと資本主義の問題も解けないと思う。

最近、アメリカのトポロジストが「四次元ユークリッド空間はふたつ以上ある」という証明をしましたけど、むしろ直観的には、むかしから考えられていたわけですね。ニーチェもそういうことを、断片のなかで言ってます。世界はひとつであることはおかしい、たくさんあるのではないか、ということを。「ひとつしかない」ということは、すでに禁止をはらんでいるわけです。われわれはどうも、輪廻について時間の方で考えてしまうけど、それは言い換えれば、世界はいくつもあるというのと同じことなんでしょう。

2022年の『力と交換様式』(未読)では「科学的な態度とは、たんに霊を斥けるのではなく、霊として見られるほかないような『力』の存在を承認した上で、その謎を解明すること」とか「交換が〈霊的・観念的な力〉をもたらす」などと言っているようだ。

もう少し柄谷をディグってみたい。




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