ブログのアクセス数が減っている。teacupでやっている頃は日に平均20くらいだったのが、はてなに移行してから、ネットサーフする人の目に触れる機会が増えたのか、徐々に増えて4~50くらいになった。著名人をネタにした記事などは100を超えるときもあった。最近は70くらいで推移していたのだが、数日前から30くらいに減っている。丹波哲郎のこととかスピリチュアルなことを書いたりしたので毎日読んでいた人たちが離れたのかもしれない。
アクセス数を増やしたいという意識はまったくないつもりなのに、減ると何となく気になってしまうというのが悲しい。SNS的なくだらない承認欲求のようなものが自分にあることが悲しい。自分の備忘録のために書いているブログなので他の人が一人でも二人でも読んでくれるというだけでも、別にありがたいとは思わないが、貴重なことだ。
今朝起きてアクセス数を見たら「1」だった。ということは夜の間にまったく誰の目にも触れなかったということで、それは初めてだったので、ちょっと笑ってしまった。
千葉雅也『エレクトリック』を読み始める。再読。再読とはいっても、前に読んだのは雑誌に掲載されたときなので、単行本の形で読むと少し違った感じがする。以前より面白く読める。登場人物(Kとか)が他の作品(『デッドライン』)と重なっているので立体的に読めるせいかもしれない。『デッドライン』では少し言及されるだけだったウェスタン・エレクトリック社のアンプのことと父の親友の野村さんがこちらでは大々的にフューチャーされている。
うちの父親もオーディオには凝る方だったが、ウェスタン・エレクトリックのような高級なものに手を出すほどではなかった。父が死んでからもずっとオーディオセットが実家のリビングに使わないまま置いてあった。実家を整理するとき、近所の電気屋に父のステレオの引き取りを頼んだら、母しか家にいないときにやって来て、巨大でもう使えないスピーカーは持って行かずにまだ使えるアンプだけ持って行った。もう一度連絡してスピーカーの引き取りを頼んだら、また母しかいないときに来て、当初は話のなかった引取り代金を請求してきたという。そのときは母が怒って払わなかったそうだ。
父は、FMのお昼の演歌番組を毎日エアチェックして、それを歌手別にテープにダビングし、通勤時に自家用車で聴くのが日課だった。カーステレオには凝っていなかったと思うが、それなりにいい音だった気がするから、自分で買ったスピーカーなど取り付けていたのだろうか。父が自宅のオーディオで何かを聴いていたのはほとんど記憶にない。むしろ自宅ではヘッドホンで聴いていた。仕事が終わると真っ直ぐ帰ってきて、必ず夕食は家でとり、異様なほど早く布団に入って寝た。風呂に入るのは嫌いだった。
父が勤めていた会社を辞め、祖父が死んで祖母だけになった実家に移り住んだのが今の自分の年齢に当たる。祖父は自分が大学に入る年に亡くなった。
母と一緒に実家に移り住んでからの父は、元の家を売ったお金で祖父と祖母の建てた家を建て替え、悠々たる暮らしを手に入れた。地元の会社に就職したが長くは続かなかったようだ。どっちにしても60歳定年の時代だから働いたとしても4、5年だっただろう。祖母が亡くなったのは自分が社会人1年目の夏だったから、父が57くらいのときか。60を過ぎてからは完全に自宅に籠るようになり、持病の糖尿病で足腰がどんどん弱っていった。外的な活動と言えば唯一、地元の点字サークルに参加し、点字を打ち込む機械を買って、ボランティアとしてひたすら小説などを点字化する作業をしていたようだ。
あとは好きなテレビを見て、まるで愛人のようだった愛犬を愛でて、酒を飲んで過ごしていたのだろう。昼間から飲むこともしばしばだった。70を過ぎて大きな心臓手術をして、そこからは弱っていくだけだった。亡くなる前の数年は痴呆も進んでいた。母は頑固になっていく父の愚痴を言うばかりで父の糖尿病改善のために何かするという努力は全くしていなかった。時々電話をかけてきて、ひたすら愚痴を零し、お父さんに注意してあげてくれ、などというばかりだった。尤も母や自分が注意しても従うような父ではなかっただろう。
社会一般や政治への不満は止むことはなかった。若い頃に政治家に騙されて酷い目に遭ったという出来事があったようだ。それが人生観を決めてしまったようなところがあった。だが、あの世代に生きた一人の人間として、不幸な人生だったとは思わない。むしろ幸福な生涯だったと言えるのではないか。
千葉雅也の『エレクトリック』を読みながら、そんな回想に耽った。