昨日の記事に上げた「頂き女子」マニュアルを何度も読み返しながら、西村賢太の『けがれなき酒のへど』を思い出していた。
西村の小説は、風俗嬢と交際するために借金の肩代わりとして八十万払ってそのままバックられる話で、外形的には「頂き女子」と同じ構造である。
違いがあるとすれば、「頂き女子」は最初から金目的でオッサンに積極的にアプローチし、巧みに金を引き出すのに対し、西村の小説の場合はオッサンの方が必死にアプローチした挙句、金を出しているというところであろう。
しかし繰り返すが、外形的には同じようなものである。しかるに「りりちゃん」は9年の実刑判決を受け、恵里(西村の小説の登場人物)はまんまと逃げおおせている(量刑の重さから「りりちゃん」の被害者に警察官僚か検察官がいたのではないかという穿った見方もあるようだ)。
この手の事件では「騙された男がアホ」というのが大方の見方だと思う(西新宿のタワマン事件のように男が凶行に及んでしまうこともあり、それはまったく洒落にならない)。
「頂き」の悲劇性は、心にスキマを抱える孤独なオッサンのなけなしの善意が踏みにじられるところにあり、その喜劇性は、オッサンがふとこっている若い女への「下心」がまんまと利用されるところにある。そもそもの出会いが風俗や水商売であるという点がミソである。「あしながおじさん」とはどだい成り立ちが異なっている。
翻って考えてみるに、西村の小説の主人公のような男(つまり西村賢太のような男)は、「頂き女子」に「ひっかかる」であろうか。
換言すれば、りりちゃんから見て西村のようなオッサンは、彼女の言う
①テイカーおぢ(クソおぢ)
②マッチャーおぢ(中間)
③ギバーおぢ(良おぢ)
のいずれに該当するのであろうか。
「テイカーおぢ(クソおぢ)」の特徴は、以下のように列挙されている。
・自分の欲を満たす事だけを考えている
・自分が良ければ他人がどんなに不快に思っても良いという考え
・人が嫌な気持ちになっているのに気づきもしない
・上から目線で話してくる
・自慢話ばかりしてくる
・人の話をきかない
・モテると勘違いしている
・女の子の理想図が高い
・自分大すき
・自分にお金を使う
・こっちが困っている話をしても上乗せして自分の「俺の方が大変だぞ〜👴🏻」とか不幸自慢してくる
・自撮り送ってくる
・アイコンが自分
・趣味にたくさん金使ってる
『けがれなき酒のへど』を読む限り、これらのうち明確に当てはまるのは「自分の欲を満たす事だけを考えている」「趣味にたくさんお金つかってる」という項目くらいであり、後の項目はそれほど一致しないように思える。
対して、最も「頂き」のターゲットになりやすいとされる「ギバーおぢ(良おぢ)」の特徴とは、以下のようなものである。
・独り身が多い
・全部自己責任の考え
・仕事にやりがいを感じてなくて、ただなんとなく生活のために出社している
・毎日仕事行って帰って寝るだけを繰り返している
・夢や希望がない
・お金の使い道がない
・自分にあまりお金をかける癖がない
・寂しいと感じている
・癒しを欲しがっている
・自分の話を聞いてくれるような人が周りにあまりいない
・清潔感は一応ある
・ネット世界に興味無い(TwitterとかFacebookとか)
・モテたことがない
・恋愛経験が少ない
・熱中する趣味はない
・女の子への理想が低い
・気遣いをしてくれる
・こちら目線でいつも考えてくれる(待ち合わせ場所はそっちに合わせるよ、など)
・無駄な誘いをしてこない
・一人でいることが多い
・一人暮らしの人が多い(実家暮らしでも頂いたことある)
・寂しいからLINE即レスで返してくる
なんとなく、こっちの方が一致する項目が多そうな気がする。
では、『へど』の主人公は「ギバーおぢ(良おぢ)」なのであろうか?
断じて、否、であろう。
強いて言えば、外面的には「ギバーおぢ(良おぢ)」のようにふるまうが、内面的には「テイカーおぢ(クソおぢ)」であるようなめんどくさいオッサンだろう。
「頂き」マニュアルにすっぽり収まるような単純な人間ではなく、もっと複雑な人間なのである。
でも人間なんて、誰しもそういうものじゃないだろうか?
西村賢太が生きていたら、「頂き女子マニュアル」を読んで何と言うだろうか(「日乗」にコメント書くだろうか)などとしばし妄想。