1953年7月26日、モンカダ兵舎を襲撃したが捕えられ、禁固十五年の判決を受けたフィデル・カストロは、大赦ののちメキシコに渡り、1956年11月30日、82名の同志たちと共にヨット「グランマ号」に乗り込み、キューバを目指した。12月2日、ヨットは浅瀬に乗り上げて、四時間泥まみれになって全員がやっと岸にたどり着いた。
グランマ号が見つかり、バチスタの飛行機が頭上を飛び、軍の巡視兵が彼らを追った。水も食料も道案内もなかった。
フィデルは言った。「われわれはキューバについたのだ。われわれは勝つよ。」
仲間たちには、そのときも、あるいは、その後につづいた危険きわまりない日々にも、そんな風に思われたことはなかった。
その後、一行は小グループに分かれて逃げまどい、爆弾と機銃掃射の攻撃を受け、ある者たちは死に、ある者は捕まって殺された。チェ・ゲバラは首に銃弾を受けたが、戦闘を続け、周りの負傷者を治療した。
フィデルと二名の同志は、サトウキビ畑にかくれ、サトウキビの汁以外は飲まず食わずで五日間を耐えた。数日後にラウルと三名の同志たちと巡り合ったとき、フィデルは「独裁者の命運は尽きている」と六名の仲間に断言した。その場にいたロドリゲスは驚いてフィデルを見つめた。
「この男は気が狂っている」と彼は心中で呟いた。
L・ヒューバーマン「キューバ 一つの革命の解剖」
ウェイン・ショーター・・・
大川隆法・・・
この二人を並べることでさまざまな方面からお叱りを受けるかもしれないが、重なったものは仕方がない。
大川隆法と言えば、吉本リュウメイが書いた文章を思い出す。ウェブで全文読めるので転載させてもらう。
一番初めに幸福の科学のことを申し上げますと、これは大川隆法さんという人が教祖で始めた宗教なのです。この人の本はやはり随分あるのだ。小さな本を含めて百冊くらいあるのではないかと思うのです。しかし、何を読めばいいかというと『太陽の法』というのを読めば僕はいいと思います。それ一丁を読めば大体この宗教が何をしているのか。どういうことをしようとしているのか。何をしようとしているのかというのはとてもよく分かるというふうに思います。
大川さんの宗教的な考え方の特徴というのは、要するに何といいますか。人間というものの人間の精神。これは宗教ですから霊というような呼び方をしています。霊とか魂とかいう呼び方をしていますけれども、そういうものを三次元以上になると時間の中を自在に通れるのだという考え方が非常に特徴的だというふうに僕には思えます。
だから、例えば大川さんの『太陽の法』の中の言葉でいえば、自分は二千年くらい前にはイエス・キリストの指導者だったのだ。指導霊だったのだ。自分がイエス・キリストを指導していた。ところで現在はイエス・キリストは自分を指導してくれたり参考にしたり、示唆を与えてくれたりしている。つまり、そういうふうに何千年隔たっていようと、四次元以上の霊というのは時間の中を自在に通れるのだという考え方をとっています。
これが、大川さんの幸福の科学の非常に大きな特徴だと僕は思います。(中略)
これは社会現象になった宗教の皆特徴でありますけれども、大川さんも最初は悩みに悩んで、つまりいかに生くべきかということに悩みに悩んでいるときに、そういう何か一種天上からの、つまりどこかから神の声みたいなものが聞こえてきて、「おまえ、そんな勤めなんかやめてしまって、本当に人間の生きるべき道を探すためにやらなければいけない」というふうに言われたというふうに言っています。つまり、そういうふうに啓示をどこかからうけるといいましょうか。外から、どこかから声が聞こえてきてとか、姿が現れてきてお前はこうせい、ああせいというふうに言ったということが宗教を始める動機になっていて、大川さんの場合もそうだと思うのです。だから、そういうふうになっています。
宗教家にはそういうタイプの人が多いわけです。だから、つまりこのフライデー事件のときに、要するに大川さんが神経衰弱になってどこか病院、お医者さんに相談に行ったことがあるのだといって、それがそんなことないとかいって争いになったりしていますけれども、そんなことは別に恥ずかしいことではないと思います。つまり、神経衰弱になってお医者さんに相談に行ったというのは、いかに自分が悩みにおいて本格的だったかということを示しているかもしれないので、そんなことはちっとも恥でもなんでもないのに、どうしてそんなことないというのかと僕には不思議です。
大川さんも、いずれにせよ何か天からの啓示をうける。やはり啓示をうけるというか要するに医学用語でいえば幻聴が聞こえるということで、もっといえば作為体験ということです。医学用語でいえばそうですけれど、宗教体験、宗教用語でいえば天からの啓示をうけたということなのです。そういうことが大川さんは自在になって、自由にいろいろな人の霊を呼び出すことが出来るというふうに修練したらそういうふうになったというふうに『太陽の法』には書いてあります。
4 宗教的体験の基礎づけとほんわかした気持ちにさせる力
少しおかしいな、と思うこともあるわけです。例えば天御中主(あめのみなかぬし)の霊を呼ぼうといって呼んだら出てきたというのですけれども、僕の神話の理解の仕方では天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)というのは抽象的な神の概念で、実在ではなくて、人間的でもないしそういうあれではないのです。要するに観念なのです。それが降りてきたというのはおかしいじゃないかと思うのですけれども、でも、大川さんはそういうふうに言っています。
いずれにせよ幻聴体験といいますか、啓示体験といいますか。それを経て今の八正道、仏教天台宗の八正道というのがあるわけです。八正道というものとキリスト教的な愛の段階、愛という概念と非常によく結び付けたというのが、大川さんが考えた考えどころだったと思います。
もう一つ、要するに四次元以上の霊というのを考えたというのは考えどころです。大川さんが考えたところで分けて結ぶ四次元。時間の中を自由自在に人間の四次元以上の霊というのは行き来出来るのだという発想が大川さんの特徴だと思います。
その二つが多分大川さんの、つまり幸福の科学の教義の特徴なわけです。皆さんが僕の説明をお聞きになってもこんなのでどうして宗教なのだとか、こんなの信じられる話ではないではないかとお思いかもしれないけれど、大川さんの『太陽の法』というのを読んでみれば分かります。僕みたいに信仰なんかないやつが言っているからつまらなく言っているわけで、大川さんが書くとやはり人間というのはほんわかしてきて、大川さん自身も中道とか中庸ということ。まあ、極端に走らないということを言っていますけれど、極端に走らないで人を幸福にし、自分も幸福になるというのが幸福の科学の一番の眼目なのだということを説いておられるわけです。その説いているのを読まれると、読んでご覧になるといいですけれど、やはりさすがだなと思うことが僕らにもあるので、つまり読んでいると何となくほんわかしてきます。ほんわかしてやはり自分も愛情をもって、あまり極端なことは考えないで愛情を持って、それから幸福感を持って生き、そして人にもそういう幸福感を与えるのがいいのだというふうに思わせるちゃんと雰囲気を持っています。
つまり、それがなければ一つの宗教の教祖というふうにはならないわけです。教祖というふうに名乗っているのは、いずれにせよ自信は持っているわけです。それで、どこが自信かということになりますと、やはり大川さんは天から啓示をうけたというのが自信であって、それから後は、頭で八正道と愛の段階を結びつけるというのは自分で考えられたでしょうし、また四次元以上の霊。四次元の霊は時間の中を自由に行き来出来るるのだという考え方をやって、四次元から十次元以上の霊までこしらえたというのがあるのでしょう。
しかし、根本にあるのは啓示をうけてこの啓示だけは確かだという確信があることと、それから、やはりそれなりの自信があるから何といいますか。人に説くときに説いたものが何となく読む人をほんわかさせるといいますか。幸福感を持たせるだけの筆力が僕はあると思います。つまりお読みになればすぐに分かりますし、これは文庫本で出ていますからすぐに読めますから是非ご覧になったほうがよろしいと思います。
(中略)
5 折衷宗教としての性格
もう一つ大川さんの幸福の科学の特徴を申し上げますと、一種の総合宗教、あるいは折衷宗教なわけです。つまり大川さん自身がそういうふうに書いていますけれども、他の宗派の人たちに対しても、決して誹謗したり批判したりしてはいけないということを言っています。やはり、大川さん的な意味での宇宙の根本的な愛とか原理とかいうものに、他の宗教の言っていることもそれにかなうと言いましょうか。そういう面だけを取ってくれば他の宗教もいいのだ。決して誹謗したり批判したりしてはいけない。
つまり、どれだけ宇宙の愛というか宇宙の摂理というようものを自分のものにしていくかということにどれだけ寄与するかということで、寄与する部分だけを他の宗教からだって取ってくればいいのだというのが大川さんの考え方だと思います。
ですから、教義としてといいますか。宗教の教義としては非常にあいまいで幼稚なように見えますけれども、要するに包括性といいますか。他の宗教も部分的なら入れてしまうといいましょうか。含めてしまうというような意味合いでは大変広い幅を持っています。
これはやはり伝統的な宗教の系譜の人からは物足りないわけです。つまり、少なくとも仏教とかキリスト教とかみたいに、釈迦とかキリストみたいな人類の生んだ最も偉大な宗教家でしょうけれども、そういう人の系譜に自分たちがつながっているというのは大川さんにはないわけで、自分で作り上げた教義ですから、そういう意味合いでは何かすぐ壊れやすいおもちゃみたいなものでというふうになるのです。ただ、他の宗教、伝統宗教にはない、他の宗教でも誹謗したり批判したり否定してはいけないので、その中でも宇宙意志にかなうような、あるいは宇宙の愛にかなうような教義の部分はちゃんと肯定して受け入れていかなければいけないのだということを大川さんはしきりに説いています。そこがまた非常に大きな特徴のように思います。
ですから、大川さんの幸福の科学というのは宗教といってもいいのですけれども、ある意味では宗教というよりも思想運動なのだというふうに考えたほうがよろしいところがあります。つまり、伝統とつながっているわけでも何でもなくて、大川さんがご自分で考えられたところが大変多いわけです。ご自分で考えられたところとご自分がうけた啓示といいましょうか。それが結び合わさっているというのが大川さんの幸福の科学の特徴だと思います。それで全体の雰囲気としては、要するに人を幸福にし、自分も幸福にならなければダメだという雰囲気を持つ。それで、極端なことを言ったりやったりしてはダメだということ言っているということがあるわけです。それが幸福の科学が何といいますか。社会現象的に受け入れられている根拠ではないかというふうに僕には思えます。
つまりそのことを抜きにして、やはりフライデー事件のときの態度はなんだとかいうところで幸福の科学を批判すると間違ってしまうかもしれないので、そういうところで幸福の科学というのはこういうものだというところをはっきりと捕まえておいたほうがよろしいのではないかと思います。
そして、確かに社会現象となるほど宗教としての何といいますか。力というのはある程度持っているという理由はあります。これは人によってはなかなかこんなのでどうして人が信ずるのだというふうに思うかもしれませんけれども、全体の雰囲気というのはなかなかのもので、やはりこれは一かどの人だということがとてもよく分かります。ですから、その一かどの人だというところの人格的影響が及ぶ範囲は、多分幸福の科学に入れる可能性が、あるいは入る可能性があるのではないかというふうに僕には思われます。(下線部は引用者による)
吉本はこれに続けてオウム真理教についても論じ、肯定的に評価するようなことを言っていて、あの事件の後でさまざまな方面から批判されることになったのだが、むしろこういう一般社会にとっての異物のような存在を簡単に否定してしまわないで積極的に評価しようとし、それを堂々と公開する言論人としての姿勢は尊敬に値する。
ただし、やはり大川隆法の幸福の科学を上記のように肯定的に評価したという点で、彼の見識の無さが露わになっているとも思う。
出発の当初から、幸福の科学というのは明らかにマガイ物であった。この教団の異常性はその後の「イタコ芸」で有名になったが、それ以前の問題として、まったく節操のない無思想、無教義の、要するにひとつの宗教としてまったく取り上げるに値しない存在であった。そう指摘できなかった吉本の眼はやはりどうしようもなく曇っていたと言わざるを得ない。
自分が大川隆法の本を初めて知ったのは、学生の頃、スピリチュアルやオカルト思想にハマって色んな書店の精神世界コーナーを巡り歩いていた時に、「谷口雅春霊言集」と「高橋信次霊言集」という本が平積みになっているのを確か渋谷の紀伊国屋書店(とうの昔に閉店)で見たときだ。
谷口雅春や高橋信次の名前は知っていたので、何が書いてあるのかと興味本位で手に取ってみた。だが数ページ読んだだけで、これはいわゆる「チャネリング本」の体裁をとり、大川自身が彼らの本を読んで得た知識(それも極めて曖昧で浅薄な知識)をとりとめもなく喋っているだけの妄想本であることが明らかであった。
ところが気が付くとこの幸福の科学という団体は勢力を伸ばし、以前の記事でも書いたが、大学のキャンパスにまで進出してきた。のみならず政党を作って選挙にも出るようになった。彼の出す本は、信者の組織的購入によって次々とベストセラーになった。
単なる妄想教義に基づく妄想集団が、実社会において一定の基盤を持ち、無視できない位置を占めるようになった。この事実は驚きであった。
オウムのように自爆することもなく、オウム事件の後も彼らの存在は揺るがなかった。もちろん世間からまともに相手にされることはなく、創価学会のような世俗的で強固なネットワークを構築して現実政治にまで影響を与えるパワーは持ち得なかったが。
一定の組織体制を作り上げたことにより、教祖の死後も教団そのものは急速に崩壊に向かうことなく存続するだろうと思われる。だが元々が妄想に基づく虚航船団が、まがりなりにも強力な求心力として存在していた船頭を失ったとき、どんな風に迷走してゆくのか。一抹の不安を抱きつつも興味なしとはしない。
ウェイン・ショーターは良く知られているように創価学会員である。彼の盟友であるハービー・ハンコックもそうだ。彼の自伝に、六十年代にジャズ・ミュージシャンの間でスピリチュアルへの関心が高まったときに仏教に出会ったと書いてある。コルトレーンはインドの神秘主義にハマったし、ビートルズもそうだ。そういう時代だったのだ。マイケルジャクソンもプリンスもエホバの信者だった。だから藤井風がサイババの信者で何が悪い。
・・・話が逸れたが、ウェイン・ショーターの音楽的評価やその偉大な作品群についてはジャズ好きの人たちがたっぷり語ってくれるのに耳を傾けたい。
自分にとっては、マイルス・クインテットでの演奏に加えて、
ジュジュ JuJu(1965)
スピーク・ノー・イーヴル Speak No Evil(1966)
に尽きる。
この2作品を聴いて何も感じない人は、音楽的不感症といってよいだろう。しかし何度も聞けばそれは治癒されるだろう。
大川隆法を信じる人、ウェイン・ショーターの「Yes Or No」や「Speak No Evil」を聴いても何も感じないという人、そういう人たちとも仲良くやっていくことができないと世界平和は実現しないのだ、と自分に言い聞かせながら、これからも生きていきたい。