最近小説を読み過ぎているせいで、とうとう頭がオーバーヒートを起こしたようだ。酷い頭痛に襲われ、頭の芯がズキズキして眠れなかった。
これはたぶん小説の読みすぎ、それも主に小島信夫の小説が原因に違いないと直感した。
この数か月、ほとんど手当たり次第に日本の純文学と呼ばれる小説、それも私小説と分類されるようなものを読み耽り、大江健三郎、西村賢太、藤澤清造、田中英光、佐伯一麦、川崎長太郎、津島佑子などの、中には「私小説の極北」と呼ばれてもいる個性的な作品を読破し(一体いくつ極北があるのか)、とうとう小島信夫まで来てしまった。
小島信夫については、「とうとう来てしまった」という感慨がなぜかある。なぜなら、日本の私小説が到達した地点はたぶんこの小島信夫が未だに突端だと思うからだ。
この、小谷野敦に言わせれば、「ただとりとめのない身辺雑記をダラダラダラダラとだらしなく書き続けているだけ」の、小説とも呼べるかどうか怪しい小説を、保坂和志などは小説の新たなジャンルを切り開いたなどと絶賛し、藤枝静男は「私小説ならぬ〈個小説〉」などと呼んで評価している。
僕自身の評価はまだ定まらない、行ってみればこの両極端な評価の中間のようなところにいる。とりあえず自分なりにどう評価すべきかがある程度落ち着くまでは、小島信夫に付き合おうとしている。
そういうわけで、今は『うるわしき日々』、『美濃』、『月光・暮坂』を読みながら、坪内祐三の『「別れる理由」が気になって』と江藤淳の『成熟と喪失』を読もうとしています。