古い日記がまた溜まってしまったので、今日の分と合わせて載せておこうと思う。
2024年10月27日
感情はみごとに節約され、あたかも火を点ぜられていたために、明るく賑やかである代りに、身は熱蝋になって融かされていた蠟燭が、火を吹き消されて、闇の中に孤立している代りに、もう何ら身を蝕む惧れがなくなった状態と似ていた。彼は孤独が休息だとはじめて知った。
秋は恋愛小説が読みたくなる。「恋愛小説といえばこの人」という小説家は何人もいるが、私は小池真理子さんの作品が好きだ。”恋三部作”と呼ばれている中の『恋』と『無伴奏』は特に好きな作品で、読み進めやすい文章とは裏腹の、物語の不健全さに魅了されてしまう。主人公が恋をして、相手との関係は深まっていくように見えるのだが、複雑な背景があり、実は最初から相手を失っていたのだと感じさせられる作品が多い。
小池真理子さんが敬愛する作家として知られているのが、三島由紀夫だ。たしかに二人の作品には、どことなく似たものがある。普通の顔してものすごく不道徳なことをする人物や、進んではいけないと分かっているのに身を投じてしまう主人公の危うさが際立っており、穏やかな幸せを求めて読むと火傷する感じがあるが、その不良を美とする風情が「退廃美」というものらしい。
三島由紀夫の『春の雪』から引用した冒頭の一文は、私が素敵だと感じた表現のひとつだ。主人公は、ある女性に恋をしている。相手を遠ざけ、孤独が休息だと表面的には安堵を装いながら、深いところでは相手に向けていた華やかで身を溶かすような熱情を忘れることもできないという姿が見える。一度冷まさなければ身を保てないような、相手への恋情を感じる描写だ。
11月22日
最近、自分の本心を大切にすること、自分のペースで進んでいくことは本当に大事だなと感じたので、そのことを書いておきたいと思います。
先日手帳を眺めながら、何も湧いてこないことが悲しくなりました。経験をもとに考えると、どうしても前向きに未来を捉えることができないでいました。山と谷があるチャートを時間と共になぞっているとしたら、今は谷なのだろうと思いましたが、それでも様々な言葉に触れながら、心が次第に回復してきました。
エネルギーが落ちている時、誰かに話を聞いてもらって回復する人、美味しいものを食べて元気になる人、運動して発散する人、推しの力を借りる人など復活する方法は人によってさまざまだと思いますが、私は気づくといつも自分を支えてくれる「言葉」を探しています。
言葉は、枝葉のようなものだと思います。昔から、あらゆる言葉に触れるたびに数えきれない発見をしてきましたが、最近はどんな言葉を読んでも、その幹の部分が実は同じであることに気づきます。それは、「自分を愛する」ということです。これは毎日忙しいと軽視しがちになりますが、これから大切にしたい考え方でもあります。それさえできていれば、きっと前に進むことは可能です。
12月26日
お昼に『麺 銀座おのでら 本店』で鶏まぜそばを食べた。
以前訪れた際は看板メニューの特製ラーメンを食べたが、今までに食べたことがないラーメンだった。あっさりしているのに出汁が効いていて美味しく、ハーブバターが溶け出すことで味が変化していくのも面白かった。鶏まぜそばは岩手の『スカーレット』という濃い卵黄を麺に絡ませて食べるが、こちらのほうがもっと好きかもしれない。見た目がお洒落だったのに、お腹がすいていたから写真を撮り忘れてしまった。
今年変わったのは、落ち込んだ時に「とりあえず美味しいもの食べよう」と思うようになったこと。美味しいものを食べている時に、「この時間さえあれば生きていける」と実感するようになったことだ。食べログ3.6のラーメンならもちろん最高だが、家で作ったお味噌汁でも、カップラーメンでも、本当は何でもいい。食べるものがあって、あー美味しかった、よく食べたと食事を終えられることが一番の幸せ。
2025年1月13日
先日人の多い場所に出かけた後、プッツリと電池が切れたように熱が出て、しばらく寝て過ごすことになってしまった。働き方を変えるため、昨年から転職活動をしている。疲れが出てきたタイミングで年始の色々が重なり、パワーを使い果たしたのかもしれない。気を付けていないと、エネルギーは意外と早く減ってしまう。
最近YouTubeで偶然目にしたエジンバラの風景が何だかすごく好きで、懐かしい感じがした。スコットランド、人生に一度は行くだろうか。
2月2日
先月から人とのやり取りが続いていたが、心が闇に傾き、グループトークも放置。色々とどうでもよくなってしまった。こうしたサイクルは時々やってきて、うまく避けることができない。
最近買った茶色のマニキュアを塗った。一度塗りだとどんぐりなのに、二度塗りすると何かの悪役みたい。この手で明日は部屋の掃除をする。
夜眠れない時には本を読んだり瞑想したりするが、自分にとって瞑想は「祈り」に近い気がしている。祈りといえば、海外では週末の朝を教会で始めたり、毎日決まった時間に礼拝をする人も多い。十字架に向かって静かに手を合わせる人々の姿を見ながら、これが人間の本来の姿なのかもしれないと以前感じたことがあった。人は、弱くていい。完全な自信の中で生きている人など、本当は一人もいない。だから、今日も生かされていると感謝する。神のような存在にすがる心をもっと持っていていい。迷っていい。抱えきる必要はないのだ、と。
文化的に信仰が定まっていないというのは、考えてみれば結構ハードだ。目に見えない存在に護られていると無条件に信じる、あるいは祈ることで己の行いの赦しを乞うといった救いが人々の共通認識として存在しないため、祈りを向ける対象がどうしても曖昧になりやすかったり、個人の中に責任を抱えやすくなる。
2月16日
白い自転車を買った。その足で駅へ向かい、駐輪場の申し込みをする。管理人のおじいさんに挨拶し、お金を払って完了。2月とは思えない暖かさ。ペダルを漕ぐとコートを脱ぎたくなった。
去年がもう昔のことのように感じる。春の混ざった突風が窓を揺らすようになり、去年や一昨年を思い出すことがあるが、記憶の中で揺れる桜は街灯を浴びて青白い。その春を自分がどんな状態で過ごしていたのか、桜の印象が教えてくれる気がする。
去年まではバスの窓から景色を見ることが多かったが、今年は自転車を買ったから、見えるものも少し変わりそうだ。