長年の間にこさえた固定観念から自由になりたいと願う毎日なのですが、京大卒・元ニートとして有名なブロガー・作家phaさんのこんな記事を見つけました。
最初に彼の存在を知ったのは、今から5~6年ほど前だったと思います。当時は「ニートの生き方を提唱している方」というざっくりしたイメージのみで、ブログなどを読む所まではいっていなかったのですが、インタビューなどを最近読み、興味深いと感じることも増えてきました。
固定観念に凝り固まっていた私は、朝は早くからオフィスへ行き、1日8時間以上そこで過ごす以外の選択肢はないと思っていました。ずっと休みなく働き続けなければならない、それが大人になるということだと思っていたし、気づいた時には、そうでない人生が全く想像できなくなっていました。
「絶対にこうでなければならない」という価値観に縛られていると、そうでなくても案外問題なかったりした時に「え、それでいけるの?」と拍子抜けすることがありますが、phaさんのインタビューを読んでいると、その拍子抜けが5連続ぐらいで訪れます。そしてそのたびに、「ま、大丈夫じゃないですか?」と、言われているような気持ちになるのです。
つまり、自分で自分の首を閉めるタイプの人にとって、彼の考え方は自分を原点に引き戻してくれる作用を持つのではないかと感じる。彼が支持されているのは多分、「誰が決めたのか分からないような固定観念に縛られていない」ことが大きいのではないかと思います。
例えば、「国立大を出たから大企業に就職をして、給料が上がり続ける人生を当然歩むはずだ」「もう〇歳なのだから、家庭を持つべきだ」などの、”誰が決めたのか知らないけど、なぜか従わないといけない気がしてしまう”マジョリティの呪縛とは、無縁の世界に生きているという印象です。
このインタビュー、取材をしている方とphaさんの以下のやり取りにちょっと笑ってしまったのですが、
(取材者):むしろ、(phaさんが)「生きていく」ことに真摯な人である、という印象を強く抱いたんですね。
(phaさん):あ、そうですか……。
phaさんに対して「生きることに真摯な人」という素敵な印象を持っていると打ち明ける取材者の方と、なんとなく心が追いついていない感じの受け答えをするphaさんという構図。(笑)
ここで言う「生きることに真摯である」というのは、”余計なしがらみを置いて、自分の生き方をまっとうしている”ということなんですね。自分の本質を追求することに完璧主義であって、他人の目を意識した外向けの完璧主義とはまた別の話なのだろうと思います。
例えば彼のシェアハウスの話にしても、一般的な適齢期などの話題は一切出てきません。何歳の時にどう感じてどう決断したかというのはすべて、phaさんご自身のタイミングであり、ちゃんと自己完結されています。
生きるって、もっと多様でいい。限られた人生なのだから、自分の本質に本当に合った生活で食事にありつければいいのだと感じさせられます。