- はじめに
- ▽日本ヨット界でなぜ470級だけが世界レベルなのか? 歴史をたどると、半世紀以上前の学生ヨットの大変革が見えてきた。
- ▽470級導入は歴史的大変革
- ▽日本ヨット協会の発足と結びつくA級の普及
- ▽全日本学連とインカレの創設期にもA級
- ▽A級から470級へ
- ▽全日本学連の導入で爆発的に普及
- ▽混乱と戸惑いの連続
- ▽日本人の体格に合った470級
- ▽1社独占から3社の競合へ
- ▽大変革を参考に
- まとめ
はじめに
今回はヨットの470級のはなしです
コイツね
470級に関する興味深い記事を見つけまして・・・ですな
普段でしたら、こういった記事の紹介はエッセンス部分だけのことが多いのですが
日本におけるヨット界の歴史がまとめられており、自分にとっても残しておきたい資料になりますので、かなり長いですが全文引用したいと思います
▽が付いている項目が記事引用です
結論だけでいいという人は「まとめ」クリックで飛んでください
▽日本ヨット界でなぜ470級だけが世界レベルなのか? 歴史をたどると、半世紀以上前の学生ヨットの大変革が見えてきた。
日本のセーリング界で、世界トップクラスのレベルを誇る艇種(ヨットの種類)が、470(ヨンナナマル)級であることは疑問の余地がない。それは2024年のパリオリンピックで、日本にとってこの種目で3個目のメダルを獲得したことでも証明された。1996年のアトランタ大会で、重由美子・木下アリーシア組が女子で銀、2004年アテネ大会で関一人・轟賢二郎組が男子で銅、そして昨年のパリ大会の男女混合岡田奎樹・吉岡美帆組の銀。世界選手権でも日本勢は4度優勝している。



記事より(写真左)2024年のパリオリンピックの混合470級で銀メダルを獲得した岡田奎樹(手前)、吉岡美帆組=2024年8月、マルセイユ (写真中)1996年8月、アトランタ五輪のセーリング女子470級で銀メダルを獲得した重由美子さん(右)と木下アリーシアさん (写真右)アテネオリンピックの男子470級最終レースを終え、笑顔でポーズをとる関一人(左)と轟賢二郎=2004年8月、アギオスコズマス・ヨットセンター
470級以外の艇種では、五輪で8位入賞もない。なぜ、日本ではこのクラスだけが飛び抜けて強いのか。歴史をたどり、強さの背景を探ってみた。(共同通信=山崎恵司)
▽470級導入は歴史的大変革
470級は1963年、フランスのアンドレ・コルヌが設計して生み出された全長4.7メートルで、2人乗りのヨット。手軽にヨットレースを楽しめることから、急速に普及していった。70年には14カ国から51艇が参加し、フランスで第1回世界選手権が開催。76年のモントリオール大会でオリンピック種目に採用された。

470級が日本のセーリング界で特別な地位を占めるようになったのは、日本の学生ヨットを統括する団体「全日本学生ヨット連盟(全日本学連)」が1970年代初め、学生ヨットレースの艇種をそれまでのA級ディンギー(以後、A級)から470級に変更したことが極めて大きく影響したと言われている。この変更について、「全日本学生ヨット選手権(全日本インカレ)」の変遷や歴史に詳しい日本大学ヨット部OBの生田目恵一さんは自らのブログで「歴史的評価に値する重要案件だったことは、間違いないだろう」と書いている。半世紀以上前に全日本学連が下した歴史的な大変革の決断が後年のメダル獲得の背景となったといえる。
▽日本ヨット協会の発足と結びつくA級の普及
A級を470級に変更するまでの前史を見ておきたい。今ではほとんど見かけることがなくなったA級は、全長約3.66メートルで1枚帆の小型艇。日本におけるその普及は、「日本セーリング連盟」の前身、「日本ヨット協会」の発足と結びついている。「日本A級ディンギー協会」の公式サイトに、初代協会会長の白幡寛氏がこの艇種の「普及史」を書いておられる。A級についての以下の記述は、白幡氏の資料に準拠した。
それによると、この艇種は1912年にイギリスで建造された。艇体の全長12フット(フィートの複数形)に由来し、「12フットディンギー」という名称だった。1920年のアントワープオリンピックと28年のアムステルダムオリンピックで採用された実績を持つ。日本では、1932年に日本ヨット協会が設立され、国内レースの振興とヨットマンの育成を目的として、その時点で12フットディンギーの製造権を得て、国内建造が始まったという。
なぜ、A級ディンギーと呼ばれるようになったのか。製造権を導入した際の契約書、仕様書などに「“A”-Class」と表記されていたため、日本ではこの愛称が定着したが、この艇種の国際協会やヨーロッパ各国では「12フットディンギー」と呼ばれている。

▽全日本学連とインカレの創設期にもA級
白幡氏の資料によると、日本ヨット協会が発足した翌年の1933年9月に東京・品川沖で第1回全日本ヨット選手権が開催され、A級など2つの艇種で争われた。その2カ月後には第7回明治神宮体育大会で初めてヨット競技が加えられることになった。第1回全日本インカレは明治神宮体育大会のヨット競技として、東京・品川沖でA級を使って行われた。つまり、A級は全日本学連と全日本インカレの創設期にも深く関わっていた。
1枚帆の小型艇であるA級は、1920年のアントワープオリンピックでは2人乗りで実施されたが、28年のアムステルダムオリンピックでは1人乗りとして行われた。日本では導入当初は1人乗りで争われたこともあったようだが、全日本インカレではどこかの時点で2人乗りとなり、1970年代初めまで継続した。
一方、後に全日本学連が採用することになる470級は3枚の帆を持つ。2人乗りで、1人は「スキッパー」または「ヘルムスマン」と呼ばれ、メーンセールと呼ばれる大きな帆と舵を操作。もう1人は「クルー」で、スキッパーの少し前に乗り、体を移動させて艇の傾きを保ちながら、「ジブセール」と呼ばれる小さい帆と、後ろや斜め後ろから風を受ける時に展開する「スピンネーカー」というセール(帆)を扱う。
▽A級から470級へ
これに対し、1枚帆のA級は先に述べたように、1人でも操船できるので、クルーは体重の移動で艇のバランス、傾きを調整することがメーンの役割になり、仕事が限られる。
ヨットの専門誌「舵」の1972年2月号に、全日本学連がA級から470級への変更について経緯などを説明した「学連の新艇種470級について」が掲載されている。その中で、全日本インカレでA級の採用を取りやめる理由の一つが「本来1人乗りで、クルー独自の仕事が少ないこと」となっている。そのほか、強風などで転覆した場合に自力復元できず、再帆走が不可能なことや、船大工不足で艇の価格が高騰していること、スピード不足で高度なレース戦術が使えないことを理由に挙げている。
こうした状況から、全日本学連は1968年以降、A級に代わる艇種について本格的に検討を始め、全国の加盟大学にアンケートを実施。その結果を、日本ヨット協会と全日本学連で協議し、①安全性②比較的低価格③中級の難易度-など6つの条件を満たすことを確認した。
7つの艇種を候補として検討した結果、470級とファイアーボール級に絞られた。1970年、年々上昇していく価格を抑えるためには、日本ヨット協会公認のボートメーカーに、日本ヨット協会と全日本学連の監督の下で繊維強化プラスチック(FRP)の艇を大量生産してもらう以外にないとして、470級が選ばれた。全日本学連が価格の上昇防止を念頭に、470級に決めたのは、学生スポーツの在り方としては正しいのではないか。
全日本学連の新たな艇種が470級に決まると、イギリス製の艇を1隻購入し、日本ヨット協会の担当者や学生による試乗でも新艇種にふさわしいことが確認された。日本国内での量産に向けて、ボートメーカーの選定に入ったが、当時は国際競技団体が「1国1造船所」という規定を設けていたため、1971年7月、候補4社の中からヤマハ発動機(以後、ヤマハ)が建造を一手に引き受けることになった。全日本学連が購入したイギリス製470級は参考にするため、ヤマハが譲り受けるなどして、建造を開始し、同じ年の12月には試作艇が完成した。
ヨット界では、艇種ごとに協会が設置され、その活動を統括する。ヨット誌「舵」の1972年2月号に掲載された全日本学連の文書によると、1971年9月、「日本470協会」の設立が日本ヨット協会に承認され、「470級に関しては、470協会を中心に(全日本)学連も協同して進めて行くこととなった」。こうして日本の470級は、統括団体も、生産体制も設立されたことになる。
▽全日本学連の導入で爆発的に普及
ヨット誌「舵」の全日本学連文書によると、1971年10月から予約受付が始まり、価格はヤマハ発動機の入札価格24万4500円だったとある。現在の価格は181万8000円で、部活動への負担が議論になっている。50年以上前の金額なので貨幣価値が違い、単純に比較はできないが、現在よりも手ごろだったのは確かだろう。
1972年には、470級は各大学へ納入され、爆発的に普及した。日本470協会の資料には「全国の大学ヨット部が470級を一度に購入したことで、1年間で300艇以上になりました。これは1976年にモントリオールオリンピックで470級が(初めて)採用される前のことなので、世界に先駆けて普及に成功したといえるでしょう」と書かれている。同じ資料ではまた、日本勢の五輪メダル獲得を紹介し、「これもすべて、学生が使用するボートとして470級を採用したことが原動力となっています」と、世界の強豪国になった背景として、全日本学連のA級から470級への変更を指摘している。
▽混乱と戸惑いの連続
とはいえ、ヨット部員としてA級から470級への変更を体験した人たちは混乱と戸惑いの連続だったようだ。関西学院大学を1975年に卒業した勇信彦さんは2年までA級のクルーだったが、470級が届いた3年の途中から新艇種のスキッパーになった。
「何も分からない状態。コーチだって知識がないから、頼りにならない。A級は1枚帆で、クルーはバランスを取るだけ。教本とかテキストみたいなものはまったくない。スピンネーカー(という帆の扱い方)なんて、どうやれば良いのか全然分からなかった」。関東の大学や先行して知識、経験を持っている他大学の先輩たちに尋ねて回ったという。1971年にベルギーで開催された第2回世界選手権で優勝したバンエッセン兄弟(オランダ)が来日し、滋賀県の琵琶湖で講習会を行ったことがあり、それに参加したことが技術のアップに役立ったという。
▽日本人の体格に合った470級
オリンピックでは1976年モントリオール大会を皮切りに、2024年のパリまで13回を数えた。日本は不参加だった1980年のモスクワ大会を除き、この艇種で12大会すべてに代表を送り、銀メダル2個、銅メダル1個を獲得してきた。日本のセーリングでなぜ、470級だけが突出しているのか。2021年の東京大会で日本代表の監督を務めた中村健次さんに聞いてみた。
中村さんは1988年ソウル、96年アトランタ両オリンピックの男子470級に出場したほか、2000年シドニー、04年アテネ両オリンピックには49er級で出場。2021年東京大会だけでなく、08年北京、12年ロンドンでもオリンピック代表監督を務めた。
中村さんが最初に挙げたのは体格的に日本人向きだということ。「(全部で10種ある)オリンピック種目は1人乗りでも2人乗りでも、体が大きい人が有利になるが、470は2人合わせた適正体重が135キロ前後で日本人向きなんです」。2つ目は、全日本学連が採用したことによる裾野の広がり。「競技人口の三角形の底辺が大きいと強い選手が出てくる確率が高まります。それは間違いない」。3つ目は企業のバックアップ。学生で活躍した選手が社会人になっても続けられる環境があるという。
▽1社独占から3社の競合へ
A級に代わり、全日本インカレで470級が登場したのは、1973年に神奈川・葉山で開催された大会だった。それから半世紀以上が経過した。1970年代初めに導入された時には1国1造船所の制限があり、ヤマハが艇の建造を独占していたが、現在では状況が変わり始めた。
国際競技団体の「ワールドセーリング」は、ヤマハ以外にも建造ライセンスを出し始め、「ピアソンマリンジャパン」が2017年から市場に参入した。ピアソンの舟木葵ゼネラルマネジャーによると、470級はピアソン社の売り上げの半分以上を占める中核商品で、また、日本国内のシェアでも近年は先行していたヤマハを上回っているという。さらに、3社目として最近、「辻堂レーシング」が名乗りを上げた。同社の大井祐一代表取締役によると、岡田奎樹・吉岡美帆組に舵を供給し、2024年のパリオリンピックの銀メダル獲得に貢献した実績を持つ。学生に向けて展開していく構えだ。
3社は競合する形になっているが、全日本学連は統一価格を求めている。その一方で、現在の統一価格は181万8000円で、大学ヨット部の負担になっていて、学生ヨットの普及発展を阻害しているのでは、との見方も出ている。3社は今のところ、価格競争ではなく、質の競争で臨んでいるが、その競争が大学ヨット部の経済的負担も軽減する方向に向かうのが望ましいのではないだろうか。
▽大変革を参考に
A級を新艇種に替えようとした理由の一つが「船大工不足で艇の価格が高騰」だった。470級の導入を決めた当時も、その後の価格の上昇を抑えようと知恵を絞った。セーリングは、ヨットという道具を使って競うスポーツだから、艇体の購入に費用がかかるのは避けられない。
それ以外にも費用はかかるが、艇の価格が上昇すれば、財力がふるいとなって、活動を継続できない大学ヨット部が出てくるのは自明の理。学生ヨットがこれからも存続するためには、1960年代後半から70年代初頭にかけて、当時の全日本学連が成し遂げた470級導入の大変革が参考になるのではないか。
↑↑↑記事引用ここまで↑↑↑
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まとめ
↓↓↓ここから生成AIによる要約↓↓↓
日本のヨット界で470級が世界レベルにあるのは、パリオリンピックでのメダル獲得など輝かしい実績が証明しています。その背景には、半世紀以上前に行われた学生ヨット界の歴史的な大変革があります。
1970年代初め、全日本学生ヨット連盟(全日本学連)が学生レースの艇種を従来のA級ディンギーから470級に転換したことが、普及と強化の原動力となりました。470級は手軽に楽しめ、日本人の体格にも適しており、ヤマハ発動機による量産体制も確立されました。当初は戸惑いもあったものの、全国の大学に爆発的に普及し、競技人口の裾野が広がったことで、世界で活躍する選手が多数輩出されるようになったのです。
現在、艇の価格高騰という課題に直面していますが、学生ヨットの持続的発展のためには、この過去の大変革が示すような、時代に合わせた柔軟な対応が求められています。
↑↑↑要約ここまで↑↑↑
さらに1行で要約すると
日本の470級が世界レベルにあるのは、学生レースに採用されたことにより裾野が広いため
となります
学生時代に私は、この裾野の一番底辺を担っておった訳ですな
記事に登場した轟賢二郎氏は琵琶湖水域出身で同世代、同じレースに参加したこともあります
もちろん近くに居れたのはスタート前だけで、レースが始まると彼らは遥か彼方へ行ってしまいました
実力が違いすぎるんですよねww
ちなみに
私が最初の470級ペパクラを作ったのも2004年アテネオリンピック直後でした
この時は 金:アメリカ 銀:イギリス 銅:日本 でしたね
なんとかこの辺りの話を、今までの帆船→ヨットの歴史の話に繋げていきたいのですが
本当に整理するのが難しい
↑これね ずっと連載が止まったまま
<おまけ>
今回紹介した元記事47NEWS(よんななニュース)って言うんですが
「えっ?ヨットの470級(よんなな)専用の報道媒体があったの??」
って思ったら全国の52新聞社と共同通信のニュースを束ねた地方紙連合ウェブサイトでした
全国47都道府県をカバーしてるから よんなな なのね
単なる偶然でした チッ

