まだまだ世界は暴力にあふれ 平和ではありません
彼はわかりやすい言葉で、最も優れた物語とは、最も恐ろしい物語でも、最も悲しい物語でもないのだと説明した。重要なのは真に迫っているかどうか、そして語り口なのだ。必ずしも戦争や殺人の話でなくてもいいのです、と彼は言った。(p.141)
<<感想>>
イラク人作家ハサン・ブラーシムの手による14篇の短篇からなる短篇集である。
イランを舞台にした作品【過去記事】を読んだので、次はイラクかなと思って手に取ったのがこの作品。そう思ったときにちゃんとイラクの作品も収録されているのが、この叢書の懐の深さだ。
読み始めて真っ先に感じたのが、「悪の枢軸」*1同士のイランとイラクでも、その来し方は随分と異なるという点だ。
ひとことで言えば、イランは圧政。イラクは戦争。
イランイスラム革命とイランイラク戦争の後、イランは確かに独裁国家になったが、それでも大きな戦争に巻き込まれることはなかった。ところがイラクはというと、イランイラク戦争、湾岸戦争、そしてイラク戦争と、絶え間ない戦禍が続いてきた。本を読んでいて、「戦争」「爆撃」「クーデター」などという単語が出てきたとき、普通はそれで作中年代が特定できるものだ。しかし、悲しいかな本作ではそれだけの情報では作中年代を特定するには足らない。
必然、イラクを舞台とするこの作品では「暴力」が重要な主題となってくる。
暴力というのは、古くから文学の定番の主題でもある。ただ、これは日本の芥川賞作家の方々*2が書くような、暴力―性―ドラッグーやくざのような主題系と共起するウェットなものとは全く異なる。
本作で表現されるのは、まるで砂漠の砂のように乾き、先鋭化された、ただそこにあるものとしての暴力だ。

実は、私はここまで物語を愛しておきながら、そしてバッドエンドを好んでおきながら、暴力描写/残虐描写というのがあまり得意ではない。しかし、こと本作については、あまりそうした抵抗を覚えずに読むことができた。
それは恐らく、本作のもう一つの特徴である幻想性に基づくものだと思う。いや「幻想」という言葉では一つしっくりこない。あまり好きな言葉ではないが、この際はっきり書いてしまおう。この作品集はマジックリアリズム的なのである。
ただし、ここですぐに『百年の孤独』【過去記事】を思い浮かべるのは辞めて欲しい。彼よりはコルタサルやフエンテスなどの短篇の味に近いし、私がもっとも類縁性を感じたのは、星新一や安部公房*3の作品だ。
どの作品も、作品の構造にひとひねりやふたひねりが加えられており、短篇小説としてとても面白く読むことができる。
その基盤の上に、作品のもつ「暴力」というテーマが乗ってくるのである。私は以前、マジックリアリズムという技法は、「現実に生起した事象の非現実性を暴露するため」のものだと書いたことがある。
本作にもまさにその評価があてはまり、戦禍が続いたイラク国内で、如何に異常が日常と化していたかが、とても良く伝わる作品集となっている。
以下、各短編の短評を付す。いつも通り、気に入った作品には+印、特に良かったものには★印を付けている。
★死体展覧会
表題作。
芸術作品としての死体を街頭に展示するために、人殺しをする謎の集団。視点人物はその集団の人物からリクルートを受けているようで、その集団のポリシーについての説明が続いていく。
善悪の彼岸状況を表現するために、美醜の価値を転倒させて描いている。異常性の際立たせ方がうまく、見事。
コンパスと人殺し
暴力と恐怖とで周囲を支配し、媚びへつらわせている兄。弟自身も兄の暴力の対象となっているが、同時に憧憬の念も抱いている。弟の「人殺し」への通過儀礼を描いた話だが、これ自体はギャング譚などで良くある話。
ただ、作中にもう一つ、作中作として「コンパス」の物語が登場するのがミソ。こちらのエピソードの救いの無さが、被害者になるくらいなら加害者になるべきという倫理観を基礎付けている。
グリーンゾーンのウサギ
グリーンゾーンというのは元米軍管轄区域。要人暗殺のために、ここにある高級住宅地に潜んでいる二人組の暗殺者の話。この暗殺者、ひょんなことからウサギの世話を始める。そして、ウサギが卵を産んだという騒動が持ち上がる。
暗殺者と、イースターを始めとする多産の象徴であるウサギー卵が同居しているのが妙に可笑しい。
+軍の機関紙
私は戦争に敬意を表し、その賜物と途方もない恵みに対して両手を天に上げて感謝を捧げました。(p.47)
軍の機関紙で文化欄の編集をする男の話。ある日、前線の兵士から5つの短篇が投稿されるが、これがとんでもない傑作だった。男は兵士の素性を調査するが、つい先ごろの戦闘で亡くなったという。男はこれを奇貨として、作品を自分のものとして発表するが・・・
物語の後半、死んだはずの兵士から、連日大量の短篇が送り付けられる様は、まさに安部公房だし、そうでなければ「笑ゥせぇるすまん」だ。
また、既に死体となった編集マンが、墓地から掘り起こされて、作家に向かって語っているという物語の構造も面白い。
+クロスワード
語りの構造が複雑で、もはやボルヘスみがある作品。書体が換えられた、複数人の語りで構成される物語。
語り手の親友、クロスワード作りの天才マルワーンは、爆破テロに遭う。一命こそ取り留めるが、目の前で焼死した警察官の意識が内面に入り込んでしまったと主張する。
作品の結末で、語りの構造が明らかになる収束は鮮やか。
穴
決して長いわけではないが作品中唯一、節番号の区切りがある。そして、作品中でもトップクラスに幻想性の色彩が強い作品。
チョコレート泥棒の男は、公園で穴に落ちる。穴には謎の老人が居て、冬戦争を戦ったソビエト兵の死骸がある。そして老人自身は、アッバース朝時代の人間だと主張する。
そして、次に落ちてくる人物は・・・
時空間を超越して戦禍がやむことがないことを描いたものだろうか。
★自由広場の狂人
これなんかも凄く公房っぽい。語り手の認識が真実なのか、それとも語り手の方こそが狂人なのか。奇跡は起きていたのか、あるいは捏造するに至ったのか。
最後、語り手は狂人として緩やかに拘束されることが示されるが、幻想に希望を持つ語り手と、暴虐な現実とのどちらが狂気なのだろうか。
イラク人キリスト
英語版ではもう一つの短篇集の表題作だった作品。キリスト教徒が多い国の人が読むのと、特定の信仰を持たない人が多い国の人が読むのではちょっと違った感じだろうか。
キリスト教徒のイラク人の物語。彼は「戦場で被弾しない」という特殊能力があると語り継がれており、味方からもレーダーがわりに重宝がられていた。
戦争が終わり、日常の暮らしへ戻ったとき、一体何が彼の死因となったのか。そして彼が何のために犠牲になったのか。戦争が終わっても犠牲が必要な日常とは何なのか。
実は語り手が死者だったという驚きもある。
★アラビアン・ナイフ
英題の"A Thousand and One Knives"をこれしか無い邦題に訳出している*4。
方針転換か?と思わせるほどのエモ路線。主役のジャアファルという男は、戦争で足を失い、車椅子で生活をしている。しかし、少年サッカーの審判に、ポルノの闇販売にと、逞しく生きている男であった。まるで世俗性の象徴を纏っているかのような人物だ。
この人物のには、ナイフを消せるという特殊能力があった。彼のもとに、同じ特殊能力を持った人々が集まる。また彼の妹こそが、消したナイフを再び出現させるという特殊能力の持ち主だったのだ。彼らは自分たちだけの秘密を共有するように、「ナイフ消し会」を開く・・・
世俗性が再び蹂躙されつつも、それでも希望が残るラストは本作品中でも白眉である。
作曲家
愛国的な曲の作曲家の物語。作曲家は変調し、やがて冒涜的な歌しか書かなくなる。もちろん公開先に困ることになる。
作品としては正直いま一歩だが、イランとは宗教に関する距離感が違うのが興味深い。それともう一つ、作品集全体にちらちらと影を落としてはいたが、この作品ではクルド人に関するテーマが大きく扱われている。
★ヤギの歌
以前に、そのサッカー場近くでバアス党員がクルド人の若者を三人処刑していた。木の杭に縛りつけて、地元の人たちからよく見えるところで射殺したんだ。・・・
父さんが泣き出したのは、子供のひとりがこう言ったときだった。『ゴールポストがまだ一本足りないんだ。あとひとり処刑してくれたら、杭が手に入るんだけどな』(p.150)
マイベスト。こちらは微エモ&微ボルヘス路線。
母親に人糞を食わされる少年の話から始まる凄い物語。その正体は、過失により弟を殺めてしまった少年と、それを許すことができない母、そしてイランイラク戦争で障害を負った父との、壊れかけた家族の物語だ。
湾岸戦争の折、その少年にも兵役がやってくる。しかし息子を守るのに必死な父は、子を兵役から隠すことにする・・・
家族を守る紐帯、その象徴としての「野菜の酢漬け用の樽」の使い方が上手い。
と、これだけでも面白いのに、実はこの物語の外に別の物語が用意されている枠物語の形式となっている。いや、ボルヘスだなんて失礼しました。枠物語の元祖はこちらの地域のほうでしたね。
+記録と現実
難民受入センターに滞在している者には誰しも、二つの物語があるだ――真実の物語と、記録用の物語である。(p.155)
うーん、どこがで聞いた話・・・。思い出した、ケン・リュウの「月へ」【過去記事】だ。ちょっとこちらから引用してみよう。
われわれはルールに則ってプレーしようとしているだけだ。だれもが物語を持っている。だけど、あなたたちはある種の物語しか聞きたがらない(『紙の動物園』ハヤカワ文庫SF,p.55)
難民という状況も、いわんとしているメッセージも同じ。
ケン・リュウは「人種的or宗教的迫害」を好む欧米という像を皮肉るために二重の物語を用意した。しかし、ハサン・ブラーシムが用意したのは「真実の物語」のパンチ力である。作品のオチそのものなので、引用は避けるが、ぜひお読みいただきたいラストである。
あの不吉な微笑
これなんかも公房/星新一路線。
ある日突然、顔に笑顔が張り付いて取れなくなってしまった男の話。
ただヤヴェのは、世界のどこにも日本ほど平和な国はないということ。
カルロス・フエンテスの悪夢
あれ、ボルヘスとか公房とか書いたけど、実はフエンテスだったの?いやいや、フエンテスというほどのゴシック感はないんだなこれが。
むしろこの作品で感じるのは強く喪黒福造のほうである。
彼はオランダへの亡命に成功した幸運なイラン人だった。その際に新しい名前として定めたのが「カルロス・フエンテス」。彼は、イラン人であった過去を捨て、ごく真面目なオランダ人として生きることを誓うが、そこには拭いされない過去があり・・・
ドーーーーーーン!!!!
お気に入り度:☆☆☆☆
人に勧める度:☆☆☆(HSJMなのよね・・・)
<<背景>>
原著は2009年-2014年に刊行された3冊の短篇集である。
作者は1973年生まれ。クルド色の強い北部キルクークで暮らしたこともあるそうだ。2000年にイラクを出国し、2004年からフィンランドで暮らしているらしい。
出国年がこの年ということは、彼は作中にも言及のあるイラク戦争(2003年~)を現地では見ていないということ。なお、イラン・イラク戦争は1980-88年、湾岸戦争が1991年のことである。
訳者あとがきによると、カフカ、ボルヘス、カルヴィーノなどに影響を受けたそうだ。
<<概要>>
14篇いずれもイラク国内を舞台にしている。
Google検索なりWikipediaなりを駆使してイラクの歴史を調べながらなら、それぞれおおよその作中年代を特定可能だ。概ねWWII~イラク戦争後の暫定政権時代まで、幅広い時代から取材されていることがわかる。
<<本のつくり>>
エクス・リブリスシリーズで、いや、白水社で多数の訳書を持つ藤井光先生の訳。なぜ英文学の先生が?と思うが、それはこの作品が重訳だからだ。
アラビア語→英語→日本語への重訳。ただし、原著のアラビア語版は幻の著作であるという。なぜなら、この本がアラビア語圏で普通に出版されることはないからだ。
逆にいうと、翻訳を通して、あるいは、ハブ言語である英語を通して初めて読まれ、そして認知されるに至った作品であるともいえる。
私は普段、いわゆる英語ヘゲモニーには懐疑的であるが、少し考え込んでしまった。
なお、書影写真がお手製のことからもお察しだが、HSJMである。しかも、残念ながらマケプレあたりではややプレ値がついており、手に入りにくいのが悲しい。古書市場で稀に見かけるので、マケプレ値に屈せずに根気よく探して欲しい。
日本翻訳大賞の最終候補作にも残り、作家や書評家にも好意的に挙げられることも多い作品なので、ぜひ重版をして欲しいものである。