南風が消したTiny Rainbow
彼の物語は、『大いなる遺産』が子どもたちに与えたと同じ感動を与えなければならない。村全体が心を奪われて、この忘れられた島の小さな焚き火の周りに座っている。言葉にできないような出来事が起こっても、外の世界はこれっぽちの憤りも感じてくれなかったこの場所で。(p.182)
<<感想>>
失礼を承知で書くと、私は本作を全くといって良いほど期待をせずに読み始めた。凡庸なタイトル、マイナー国家(ニュージーランド)の無名作家、コミカルな表紙、訳書の多くない翻訳者。実売部数が心配になるレベルである。
しかし、ふたを開けてみれば、まったく予期しないほどの素晴らしい作品であり、とても嬉しくなってしまった。というのも、私が全集を端から読んだり、レーベルを端から読んだりという奇特な読み方をするのは、まさにこのような注目されざる傑作に出会うためだからだ。
本作の物語の舞台は、南太平洋に浮かぶブーゲンヴィル島である。現在はパプアニューギニア領であり、豊かな鉱物資源に恵まれた島で、太平洋戦争の激戦地であったことでも知られる。
本書を読んで初めて知ったが、その豊かな鉱物資源を背景に、同島では1988年~1998年にかけて、「ブーゲンビル内戦」と呼ばれる独立戦争が起こっていた。同島にはソロモン諸島系の黒色人種が住んでいる一方、パプアニューギニア政府軍側は、作中「レッドスキン」と呼ばれ、そもそもの人種系統が異なるようだ。こうした背景も対立の一因となっている。
内戦の影響で、医薬品や食料などの日常物資の供給は断たれ、学校も閉鎖されてしまう。しかし、森に入れば豊かな実りがあり、川に行けば魚が採れ、命を繋ぐことはできる。本作は、こうした状況下で暮らす、13歳の少女マティルダの物語である。
そんな中、島に唯一残った謎の白人ミスター・ワッツが、閉鎖された学校に子どもを集めて授業を再開する。その授業とは、ディケンズの『大いなる遺産』【過去記事】の朗読会であったのだ。即ち、作品のタイトルである「ミスター・ピップ」とは、同作の主人公であるピップ少年のことなのだ*1。
さてさて、ざっと書いたここまでのあらすじを読んで、「面白そう・・・」と思っていただけたのであれば、さっさと本書を買って読んでいただけばよろしい。私の太鼓判で良ければ押しておこう。
ただ、「ありがちなパターンだな・・・」と思った方はちょっと待って欲しい。確かに、帯の惹句に書かれた「「物語の力」を謳い上げた、胸に響く傑作長編」なんかも目に入ると、「限界状況下で、文学の力を発見、あるいは再確認する」というだけの、お定まり路線と思ってしまうかもしれない。
単一の作品を拠り所にするものでは、チャプスキ『収容所のプルースト』(ポーランド侵攻)、集合的な文学作品では『スモモの木の啓示』(イラン革命)【過去記事】、もっと抽象化して「書く営み」では『忘却についての一般論』(アンゴラ内戦)【過去記事】など、この種の主題を描く文学作品には枚挙にいとまがない。
しかし、私の見るところ、本作はこれらの作品群と比べても、一歩擢んでている。以下では、その理由、あるいは本作の美点を三つほど考えてみたい。
成功の秘訣の一つ目は、やはり十三歳の少女を主人公に据えたことだろう。これにより、「物語の力」という作品の中核を維持したまま、母親(旧世代)との相克や、また他方で伝統やルーツを伝えることの価値など、複層的なテーマを描きだすことが出来ている。
もう一つ、他の作品と異なるのが、複雑な対立軸を描いている点だ。この手の作品には、弾圧者=悪であるという図式に陥りがちなものがある。つまり、弾圧者への怨嗟と、文学への賞賛とが表裏となっているしまっているのだ。確かに、本作でも弾圧者(=政府軍)はそれなりの悪者として描かれてはいる。だが、紛争の根源である鉱山開発の根源はそもそも白人たちの為のものではないのか?いやでも、語り手の父は白人たちの鉱山で働き、また語り手の母は白人たちの持ち込んだキリスト教を熱心に信仰している。さらにいえば、主人公が心の拠り所とする先生、ミスター・ワッツは、白人でありながら無神論者であるし、そもそも『大いなる遺産』も白人の手による物語だ・・・。このように、本作には、弾圧者を単純な悪と決めつけて良いのか、という思考に読者を誘う仕掛けが随所に施されている。
最後に指摘したい、そして最も重要な点は、本作が単に文学≒正典≒『大いなる遺産』の称揚で終わっていない点である。
作中には文明の語りと非文明の語りがポリフォニー的に展開する非常に印象的な場面がある。このシーンなどは、小説という形式をヨーロッパ文明の所産だと言い切るクンデラ先生【過去記事】あたりにぜひとも読んでいただきたいところである。また、私秘的な、あるいは小さなコミュニティ内での「語り」の営為に着目している点では、『密林の語り部』【過去記事】に近いテーマ性を持っているともいえそうだ。
また、「限界状況×文学」タイプの作品には珍しく、本作では比較的多くのページが後日譚に割かれている。作品の結末部分に近いため敢えて抽象度を高めていうと、語ることと騙ることの親近性を語り手が見出していく過程は、本作のテーマ性を見事に昇華している。
以上のとおり、確たるテーマ性を持った本作であるが、文体はかなり平易で読みやすい。『忘却についての一般論』ほどではないが、プロットの推進力も強く、おススメしたい一作である。
お気に入り度:☆☆☆☆
人に勧める度:☆☆☆☆(『大いなる遺産』の前提知識は不要)
・似たテーマ性でより平易かつスリリングなのはこちら
・元祖あるいは本家
<<背景>>
2006年発表。著者はジャーナリスト出身の後、作家に転身をしたようだ。
ブーゲンビル内戦は、1998年に一応の収束を見ているようだから、戦後比較的すぐの段階で書かれた作品と言えるだろう。同内戦の概要については、感想本文に書いた通りである。
ところで、日本語版wikipediaには、このブーゲンビル内戦について、独立の項目がない。それどころか、google検索を掛けても、この紛争について説明した日本語で読める記事が殆ど無い。
どうもウクライナやガザには連帯することが出来ても、近隣の国の有色人種同志の争いには興味が湧かないらしい。恥ずかしながら、私もこの作品で初めてこの紛争のことを知った。ただ、あまり身近ではない国の歴史・文化などに触れることができるのも海外文学の魅力かもしれない。
本作は、ブッカー賞のショートリストに選ばれたようだ。なお余談だが、当ブログでは普段、原則として出生地に基づいて〇〇文学のタグ付けをしている。このため、例えばナボコフの英語作品などもロシア文学の箱にしまっているのだ。今回は少し悩んだが、新たにオセアニア文学のタグを作るのも不便と考え、便宜的にイギリス文学扱いとした。
<<概要>>
全何章構成なのだろうか?章番号や節番号は付されず、章題なども見当たらない。
ただ、4,5頁ごとに改ページが挟まれ、それが節の役割を果たすとともに、リーダビリティにも貢献している。一風変わった趣向なのが、この改ページの2回か3回ごと、章題などが付されるべき位置に、海鳥のマークがあらわれていることだ。これは原書の趣向を取り入れたものなのだろうか?内容的にも通常の改ページよりもひとつ上のまとまりを示しているようにも読める。
語りの位相としては、少女マティルダ視点の一人称回想体である。語りの視点(大人のマティルダ)と、語られるマティルダの知識・経験・認識の差の使い方が上手い。
<<本のつくり>>
エクス・リブリスの4作目である。これまで、村上=柴田路線の『ジーザス・サン』や、有名作家ボラーニョの作品など、比較的人気が出そうなところからスタートしていた。しかし、本作に用意されているヒキは「ブッカー賞ショートリスト」程度しかない。それにもかかわらず、本作が選ばれたのは、とにもかくにもやはり内容が良いからだろう。素晴らしい選定眼を有している編者・訳者に敬意を表したい。
訳者の他の訳書を見たことはなく、恐らくは研究畑の方なのだろう。ただ、訳文自体は平易かつ自然で、違和感なく読み進めることができた。
唯一、私は特に問題とも思わないが、訳者あとがきの末尾に、『大いなる遺産』の決定的なネタバレ(あらすじ解説)がある。ネタバレを嫌う方は、この部分には目を通さないのが賢明である。