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コー会長の提案は光栄ですが辞退します!

夢のような世界陸上が終わり、日常が戻ってきました。各競技への感想は連日述べてきましたので改めて言うほどのことはないのですが、この先の未来につながることを備忘までに記録しておきたいと思います。

東京2025世界陸上は大成功のうちに終わりました。それは間違いのないことと思います。夜のセッションにすべて参加した立場からして、その大半において国立が満員になったことは事実その通りですし、国立を埋めた熱狂は自分史上でも最高クラスのものでした。2002年サッカーワールドカップを凌駕し、2019年ラグビーワールドカップを上回るほどのものでした。

大会期間を通じての観客動員数は61万9288人と発表されており、これは過去の大会と比較しても第4位に相当するものとのこと。過去第1位となる76万人超の観衆を集めたとされる2017年ロンドン大会には及びませんが、ロンドン大会は東京大会より1日長い10日間の開催であり、ウサイン・ボルトさんの引退試合という特殊な背景もありました。東京大会の観衆が概算で午前のセッション5日間×3万人、夜のセッション9日間×5万人というところですので、あと1日開催日程があれば70万人の大台に乗せることもできたでしょう。ロンドン大会に迫るほどの「過去最大級」の盛り上がりであったことは間違いないと思います。

↓観客動員数は61万9288人を数えました!
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↓世界陸連セバスチャン・コー会長も「私にとっての世界記録」と絶賛!



この大会を日本に運んできてくれた世界陸連のセバスチャン・コー会長には、あの東京五輪のあとすぐに「東京にお返しがしたい」「人々が見られなかったものをお目にかけたい」と発言してもらったことに始まり、実際にこうして大会を実現してくれたことに対して感謝しかありません。たくさんの勇気と元気と希望を、一番傷ついたときに届けてもらったこと、何度も何度も感謝しながらこの思い出を大事にしていこうと思います。

ただ、

しかし、

あまり買いかぶらないでいただければと思います。

コー会長の目には「日本と、日本の国民がスポーツに対する熱狂を生み出そうとする雰囲気があった。だから、日本は大丈夫なんだと感じた。今、世界はスポーツを、さまざまな場面で違うかたちに見ている。もしかしたら、もう一度五輪をやったらいいのではないか、とも思った」と見えているようですが、それは少し違っています。

この大会が大成功に至ったのは、国家規模のプロジェクトではない「1競技の世界大会」であったからであり、目立たず注目されないままここまできたからであり、9日間という短い会期で閉幕まで駆け抜けたからです。要するに「気づかれないように準備して、気づかれないうちにやり終えた、小規模なプロジェクト」だったからです。

もしもこの大会が国家規模のプロジェクトであったなら、党派性によって敵方のやることには何でもかんでも難癖をつけ反対をする連中に何年間も擦られつづけ、あることないこと誹りを受けながら、大会が始まる前にスタートラインをマイナス方向に遠く遠く押し下げられていたはずです。東京五輪は2013年の招致決定以来そうやってマイナス方向に押し下げられつづけていましたし、2025年の大阪万博も同じように誹られつづけてきました。

その「誹り」は、この東京2025世界陸上をスポンサードしたTBSや朝日新聞からも積極的に発信されており、むしろ彼らは急先鋒でした。彼らは株取引の機関投資家が「売り」と「買い」の両方で儲けようとするように、「上げ」と「下げ」の両方で話題を売りさばく情報屋です。もちろんプラスになる活動もしますし、その報道を頼りにしている側面もありますが、総じて彼らは「国家規模のプロジェクトは誹る」のです。懸念、問題提起、不安、疑惑などなど不確定の未来に対して最大限にマイナスの可能性を提示することを生業とするのです。2021年のあの年も、自分たちは全国規模の高校生の野球大会を開催しておきながら、同じ年の東京五輪には「中止せよ」と社説を書くような手合いです。利用はしてもいいが、信用してはいけないのです。

ただ、そのクチを封じようというわけではありません。嘘や誹謗中傷は論外としても、実際に物事にはよくない面もあるでしょうし(※不正とか贈収賄とか)、それを指摘する者を排除すれば社会は淀むでしょう。本当の問題は「誹りを誹りとして突っぱねられない」ことのほうです。リスクを恐れ、絶対の安全を求め、支出を嫌い、損を許さない、ケチでビビリな日本の国民性のほうです。「うるせー黙れ、やると言ったらやるんだ!」とはならない、何でも受け身で「リスクがないなら」「絶対安全なら」「損しないなら」と条件付き賛成でいつづけるゼロリスク体質のほうです。

条件付き賛成派は、すべてが整い、原初の熱狂が生まれ、クチコミが広がり、「あぁこれは本当にノーリスクで楽しそうだ」と判明してから動き出すので、実際にことが始まってみれば日本には情熱があるかのように見えますが、準備段階での長い「誹り」の期間において彼らは味方にはなりません。誹りを誹りとして突っぱねるための後押しにはなりません。だから、大した誹りが生まれない程度のことしかできません。「1競技の世界大会」はその精一杯のラインであり、それ以上の規模を担う資格は日本にはないと僕は思います。東京五輪・パラリンピックのたどった道を見て、残念ながら僕はそう確信しましたし、もう一度日本が五輪・パラリンピックを担おうとするのは五輪・パラリンピックに失礼ですし、世界のアスリートのためにもならないと思います。

↓大阪万博は誹りに堪えてよく頑張りましたね!お疲れ様です!


東京2025世界陸上の会場となった国立競技場も、それなりに立派でキレイでいいスタジアムではありますが、驚くようなところは特にないでしょう。あれは東京のド真ん中のあの立地に立てるナショナル・スタジアムではありません。あの建物が景観を損なう云々という誹りに対しては、「この建物こそを日本の新しいシンボルとなる景観にするんだ」と突っぱねるべきでしたし、「費用が高過ぎる」という誹りに対しては「この立地に立てるナショナル・スタジアムは費用は二の次で先進的で革新的なものであるべきだ」と突っぱねるべきでした。僕自身もそうした発信を微力ながらしてきたつもりですが、ほとんどにおいて相手にされず、むしろ罵倒されました。

あの特別な場所にあるスタジアムであれば、世界陸上でなくとも5万人くらい集めるのは難しくないのです。特段優勝争いなどが絡んでいるわけではないJリーグの試合でも、あの会場で実施すれば5万人が詰め掛けるのですから(※タダ券をバラまいたという背景はあるにせよ、たとえ全部タダ券だとしても5万人来場させるのは簡単なことではない)。当初計画通りに開閉式の屋根をつけて、可動席をつけて、座席空調をつけて、超大型ビジョンをつけて、屋外スポーツ以外でも活用しやすいものにしておけば、スポーツだけでなくさまざまなエンターテインメントがあの立地を活用できたでしょうが、そういう未来よりも「目先の費用を圧縮する」ことが優先された結果、第二味の素スタジアムのようなものができあがったのです。悪くはないが、どこまでいっても「普通」のスタジアムが。自分たちの国立競技場ですので、好きですし、愛着もありますが、世界の名だたるスタジアムを見ると羨ましくなる、そんなほろ苦い場所です。

そうなってしまうのは結局「生きる」こと「楽しむ」こと「生み出す」こと「挑戦する」ことに対して、そんなに価値を置いていないからなのだろうと思います。どうせ全員いつか必ず死ぬのに、死ぬことを恐れて、死ぬまで安全に食いつなぐことばかり考えているのでしょうか。今を生きること、楽しむこと、何かを生み出すこと、挑戦することに国も国民もそんなに関心がなく、「危ないかもしれないパーティーなどいらない」「損するかもしれないパーティーなどいらない」「だからパーティー会場に金など掛けるな」というのが総じての本心なのだろうと思います。まぁ、そういう考えを否定はしません。否定はしませんが、であれば五輪・パラリンピックをお任せいただく幹事には不適格だなと思うだけで。

↓今さらですけど国立はモニターが小さくて出せる情報が足りなかったですね!
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複数競技を同時に実施する陸上だとスペースが足りない!

まぁ各自スマホで見ればいいんですが!



大成功のなかやり終えた東京2025世界陸上も、端々にそういった国民性というか精神性は垣間見えていました。競技場外の広場で実施したメダルセレモニーの件などは象徴的です。開かれた大会を意図して、チケット不要&無料での観覧とし、アスリートと交流できるファンゾーンなども設けた意気込みはよかったものの、設置されたスペースは非常に手狭で、メダルプラザ内への入場は1000人ほどで規制されました。大会の熱気の高まりとともに来場者は日に日に増え、同時に警備体制も日に日に厳戒化されていき、終盤は実質的に「早く来た人限定」の制限付きセレモニーになりました。

メダルプラザの外周部を歩けば「ここは通路なので立ち止まらないように」と命令され、セレモニーを見ようとする観衆たちは「悪」認定され追い立てられました。柵で囲まれたプラザ内にはまだ余裕があるように見えましたが、安全側に舵を切って規制をかけた結果、明らかに外国からの観衆と思しき人たちが、母国の選手のセレモニーを見ようとしているのに柵の外に留め置かれ、祝福することを許されなくなりました。彼らにはどんな情報が発信され、どんな案内がされていたのかはなはだ疑問です。日本の観衆を追い出してでも母国の応援団を入れてあげないと、メダルセレモニーとは何のことやらと思います。

最終日の決勝種目の表彰を行なう9月21日の2度目のメダルセレモニーが「チケット+整理券」を持つ先着700名への限られた開放となったことなどは、もはや「開かれた大会」ですらなくなる事態でした。その整理券をもらえば、9月21日の1度目のメダルセレモニー(※主に前日決勝のメダリストを表彰する)は見られず(※整理券は競技場内での配布/再入場不可)、逆に2度目のメダルセレモニーを見ようとすれば円盤投げの競技は見られなかったという(※これは結果的にそうなったという話ではあるけれど/競技映像の上映はあった模様)、どっちにしても何かが閉ざされる奇妙な運営となっていました。

であれば、競技場内でやればいいじゃないですか。スタジアムに表彰台を持ってきて、そこでメダルを授与すればよかったじゃないですか。ちゃんと国旗を掲揚し、メダリスト自身からも国旗が見えるようにして。「700人で規制されるメダルプラザ」と「5万人が見守るスタジアム」と、どちらがより誉れを感じられたでしょう。外国からの応援団はチケットを持たずに来ているわけないですし。外国で開催される大会で同じ立場になったら、どれだけ運営に対して不満を抱くか、考えるまでもありません。「なぜ日の丸をまとった自分が、日本の代表を祝福できないんだ」という不満を抱かずに、「安全のためなら仕方ない」と思える自信が僕にはありません。運営側から「安全のためだ」と言われたらすごすごと引き下がるでしょうが、腹のなかに大きな不満は残ると思います。

大会序盤から中盤にかけてメダルプラザが比較的和やかだったのは、まだ人が少なく、そもそもそんなことをやっていることも知られておらず、熱狂がほどほどだったからに過ぎません。パリ五輪やブダペスト世界陸上での開かれて誉れある光景を形だけ真似しようとしても、本心のところで思っていることが「開かれた大会」ではなく「費用をかけずに」「リスク回避」なので、「この程度でええやろ」くらいのスペースしか用意せず、そこから人があふれるほどになったら「立ち止まらないでください!」「セレモニーを見ることはできません!」と扉を閉ざすのです。導線を変えてスペースを広げるとか、場所自体を変えるとかではなく。

↓約1万3000人が無料で入場できたパリ五輪のビクトリーパーク!


↓広大な広場で行なうブダペスト世界陸上の開かれたメダルセレモニー!



↓1000人程度で入場規制される柵で囲われたスペースで行ない、観衆が近づかないように警備が入る東京2025世界陸上のメダルセレモニー!
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なので、今回ぐらいの小規模な熱狂というのをコツコツと重ね、地道に少しずつ「民意」というものの変化を待つしかないのかなと思います。50年くらいかけて世代ごと入れ替われば、また多少は反応も変わるでしょう。目安としては、次に国立競技場を建て替えるときにどんな話になるか、かなと思います。作った時点で80点くらいのほどほどのものを目指すのではなく、大衆に理解されず「意味不明」などと言われるほどの革新性を持ち、その仕様の実現に必要であるなら相場を上回る巨費を投じることも厭わず、世界に誇るに足るものを建てるところまで漕ぎつけられたら、もう一度五輪・パラリンピックをお迎えする準備ができたと思えるかもしれません。「2020年のがまだ使えるだろ…」「ちょっと修理すればいける」「で、いくら儲かるの?」という話であるようなら、まだまだ時期尚早としてもっと情熱のある開催地に担っていただくのがよいのではないでしょうか。次の建て替えの頃には僕はもう死んでいると思いますが、五輪・パラリンピックを一度も開催しない国だってたくさんあるわけで、ナイものはナイと諦めるしかありませんからね。

コー会長の提案はお気持ちだけありがたく受け取っておきます。

僕はどの「1競技の世界大会」でも盛り上がれるタイプなので、そういった案件があれば引きつづき参加して楽しんでいきたいと思います!



日本のアスリートも各競技ごとに超歓声を体験してもらえればと思います!