僕の好きなフランスの小噺に、次のようなものがある。
年よりの司祭が、警察官をたずねて、もっときびしく風紀をとりしまってくれとたのむ。わけを聞いてみると、
「牛飼いの娘たちが、所もあろうに司祭館の前の川で、すっぱだかになって水あびをしているので全くやりきれませんよ。どうか、もっとずっと下流の人目につかないところでやるように、いってくださいな」
と、司祭がいう。
そこで警察官は娘たちに、もっと下流で水をあびるようにときびしくいいわたす。
すると次の日、また司祭がやってきて知らせる。
「警察官さん、まだ見えますよ」
そこで、警察官はもっとずっと下流へ行くように、娘たちにいいきかせる。
すると、司祭はまたやってくる。
「娘たちはまだいうことをききませんか。困りましたね」
と警察官がいうと、司祭、
「ええ、屋根裏べやから望遠鏡でのぞくと、まだ見えるんですよ」
(植田敏郎『裸天国 世界浴場物語』)
他愛のない話ではあるが、かつてキリスト教がいかに裸を憎み、激しい舌鋒を加えていたかを考えると、聖職者にたいする鋭い諷刺のようにも見えてくる。
たとえばカルタゴの司祭キュプリアヌスは、改宗した女たちが、まだキリスト教のことをなにも知らず男たちと水浴しているのを見て次のように言ったという。
「みなさん、みなさんは他の人びとを魅惑することによって、みずからの神聖を冒涜しているのですぞ」

しかしこれはまだ穏健なほうである。ニシビスの司教ヤコブスに至っては次のようなきつい奇跡譚が残っている。
彼は古いメソポタミアの居館から時どき田舎へ遠出した。そういう折に彼は、数人のわかい女中たちが泉のまわりに集まっているのを見たという。あまりに軽い服が砂漠のそよ風にもひらひらとひるがえっていた。ヤコブス司教はこれを見て大いに怒り、その地方には水がとぼしいことも考慮せずに、泉に呪いをかけた。水は涸れ、風になぶられていた娘たちの黒髪は、砂色の毛の束に変わった……
(ヘルマン・シュライバー『羞恥心の文化史』)
シュライバーは云う。「彼ら(聖職者)はそうやって怒ることによって、自分がまだ、自然のたわむれと、毎日われわれに提供される種々様々の誘惑とに対して完全に安全だというわけではないことを実証したにすぎない」。ようするにさきほどの小噺と同じことであり、「本当は自分がムラムラするからむきになって神だの冒瀆だのと怒るんじゃないの?」ということである。
これを精神分析では「反動形成」という。反動形成については以前ブログで書いた(以下参照)ので詳しい説明ははぶくが、ようするに「ある受け入れがたい感情を抑圧することによって、その正反対の言動を取ること」をいう。もちろんキリスト教が禁欲主義を採用するに至った歴史的背景*1や思想*2も理解しなくはないので、禁欲主義自体を全否定するわけではないにしても。
さておき、シュライバーの本で驚いたのは、彼がこうした裸をめぐる鍔迫り合いに、もっと大きな歴史的対立を見て取ったことである。それは僕の解釈でいえば「裸のギリシア・ローマ的世界」と「禁欲のキリスト教世界」という「羞恥心文明の衝突」(安田)だ。*3
まずキリスト教世界から見たローマは次のようなものであった。
この新宗教の代弁者は、なにも特別なことが起こらなくとも、自由に動く異教のモラルそのものがすでに罪なのだといって、防戦した。キリスト教は肉体ととりわけ性生活に対する新たな立場を、まったく意識的に拡めたが、この立場は、ギリシア精神が発展させローマが受けついだ、肉体的な美点と享受に寄せる喜びに、真向から対立するものであった。
(ヘルマン・シュライバー『羞恥心の文化史』)
それに対し、ギリシア・ローマ的世界の側からのキリスト教観はこうであった。
ローマ人は、羞恥と良心というような新しいものを作りだしたのはキリスト教に責任があると考えて、怒りを発した。なぜなら、これらの新しいものは、ニーチェのいう毒であり、これまでは感じられなかったのに、罪のあとで突然あらわれてきた苦いあと味だったからである。
(同書)
こうした争いゆえに、ローマはキリスト教迫害時代にキリスト教徒を捕えると頻繁に性的拷問を行ったり性的な恥辱を与えた。そうすれば純潔を重んじるキリスト教徒が大いに苦しむことを知っていたからだという(ひどい話だ)。
さまざまな殉教伝説に出てくる、乳房を切り落とすだの、裸で網に入れて牛の前に転がすだの、二本の木に縛り付けて裂くだのといった話は、記述した修道士が多分に「盛って」いることは間違いないが、ローマ側にもそうした特別な責苦を裏付ける記録が充分にある、とシュライバーはいう。また彼によれば、シェンキェヴィチの小説『クオ・ヴァディス』には、裸ではりつけにされたキリスト教徒の女性にはみんな飽き飽きしていて、全然見ようともしなかったという描写があるそうだ。

シュライバーはこの「羞恥心文明の衝突」をただほのめかしている程度ではある。*4だが確かに我々が抱いているような、「人間の自然なありかたを礼賛したギリシア・ローマ世界と禁欲的で人間嫌悪・現世嫌悪に満ちた中世キリスト教世界」という対比は、たんなる差異というよりも文明的闘争だったのかも知れない。もしそうならば、それは大戦争や権力闘争というよりも、水浴や売春、乱痴気騒ぎに対する教会の非難、あるいは闘技場や刑場といった日常的な場で繰り広げられた闘争の集積だったのだろう。
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*1:たとえばよく言われるように、ローマ帝国末期の諸民族が入り乱れ混沌とした時代に秩序を打ち立てた、その一環としての禁欲主義。
*2:聖書にいう「女は死よりも苦いものである」「女は男の高貴な魂を我が物にして破滅させる」、あるいはオドン・ド・クリュニーその他の保守的神学者がいう「女は糞袋である」といった潮流にはあまり意味を感じないが、個人的に印象的だったのはアウグスティヌスの「性欲は罪の原因ではなくむしろ結果である」「なぜならそれは我々に制御できないものであるゆえに」といった性欲論や、文明史家のフックスによる聖職者の独身主義についての論など。
*3: シュライバーは、ギリシア・ローマ世界における羞恥心についても複数の傍証を挙げており、ギリシア・ローマが必ずしも裸に無頓着な文明だったとは見做していない。だがそれはあくまで古代エジプトあるいはそれ以前の文明と比べた場合の話であり、キリスト教から見た場合にはまったく様相が異なる。
*4:一応、反証を確認するためにH・P・デュル『裸体とはじらいの文化史』(「古代社会においても人間の裸にたいする羞恥心は大いにあった」という立場の文献)にも目を通してみたが、これは当惑する結果となった。というのも、ある行為(たとえば男女の混浴、浴場での売春)を禁じること、非難することは、ある歴史家にとってはそれが「人々の心においても厳に慎まれていた」ことを意味するが、いっぽうの歴史家にとっては「そうした行為が頻繁に行われていたであろう」ことを意味する、といった具合にどちらとも解釈できてしまうからだ。デュルは前者の立場に立つことが非常に多いのに対し、シュライバーは、彼が引用する聖職者の言葉に顕著なように、どちらかといえば後者の立場に立っている。デュルの書は、個々のエピソードの面白さに反して「こりゃ実際のところがどうだったかは素人には簡単にはわからないな……」という茫漠たる思いを強める結果とならざるを得なかった。