
遠い、永遠の光。
先月のある晩、久しぶりにそんなことを想いながら寝た。なにを考えたのかは目醒めたときには忘れてしまった。ただその朝はとても気分がよくて、なんでもできるような、どこへでも翔んでいけそうな気がした。
まだ人生の重荷を知らない少女のように身軽に、ひとりで、澄みとおる空気のなかへ。
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悲しく苦しいだけの人生であったらと希ってしまう。
私の人生にはどうしようもない恥と屈辱と惨めさがあって、どんなにうつくしいもので上書きしようとしても、奥底に刻まれたそれらが粘性の汚物のように、ずっと私の心を汚染し続けている。10代のころ、いくらかの恥はあったけれど、屈辱というほどのものや惨めさはまだなかった。悲しみや苦しみだけであれば、どんな困難が降りかかろうと、ただ凜と立ち向かっていればいつかはカタルシス(浄化)が訪れるのではないかと想像する。でも屈辱と惨めさが加わったら駄目だ。ただのみっともない、愚かしい経験にカタルシスなど訪れない。絶対に誰にも知られないように、密かに、薄暗い場処で汚物処理を続けるしかない。死ぬまで、黙って。
一点の曇りもない、完璧に折り目正しい人生を送っている人なんていない。隣の芝は青く見える。頭ではそうわかっているのに、私だってもっとずっときれいな人生を送りたかったと思ってしまう。他人に見せびらかして同情を買える程度のきれいな悲しみや苦しみしか知りたくなかった。そうしてたくさんの他人に慰めてもらう経験はきっと、その悲しみや苦しみを帳消しにするくらい甘美だろう……そう考えてしまうのは、私自身の他者への想像力の欠如にほかならない。でも恥や惨めさというものは、そんなまともな想像力や感覚を毀すくらい、人のたましいを損なうのだ。



