以下の内容はhttps://vanity73.hatenablog.comより取得しました。


PLAYLIST

仕事で納得のいかないことや、自分の要領の悪さに苛立つことばかりで、しばらく控えられていた甘いものについ手が伸びてしまう。組織の中で働く以上はままならないことならば、生活の上での我慢はできるだけしない方が精神衛生上よろしいだろうとは思うのだけど、節制と倹約ができない自分にもストレスを感じる。

いまの上長は働きはじめたときからいつも気にかけて声をかけてくれたり、仕事の上でも色々と気をまわしてくれるのだけど、その気遣いの方向や、仕事の振りかた、雑談の距離の近さがうっすらと苦手でもあって、いよいよ自分のなかで無視できないほどわだかまりが大きくなっていく。いいひとだし、やさしいから、苦手に思ったり、腹を立てるのは申し訳ないと、自分の感情を否定していたことがストレスの要因だとようやく気が付いた。もちろん、大人として態度には出さないよう気を付けているけれど、その人がいいひとであることと、そのひとを苦手だと思うことは両立するし、腹を立てていいのだ。

帰りの車でkanekoayanoの『石の糸』をきいていたら、カネコアヤノはちゃんと怒っていて、自分の感情を偽らないこと、表現することに畏敬の念を抱く。

腹が立って吐きそう

悲しくて吐きそうだ

kanekoayano「日の出」

 

ひとりで暮らしていると、個人として名前を呼ばれることが減り、生活の中で他者を通して自分の存在を認識する機会がなくなってくる。もともと自分の名前に対して、あまりピンときていないというか、何度も書いているのに、書いたり言葉として発しているからこそ、他人事のように「わたしって(名前)っていうんだ」という感覚がずっとある。ただ身体があり、そこに意志があり、誰かの視線を気にすることもない日々は、とても気楽で、このまま透明になっていきたいとずっと思っている。わたしだけがわたしを見ている。だから、職場という社会で何かを期待されたり、こういう人だと認識されているのを感じると、すわりの悪さを感じてむずむずしてしまう。

もちろん、ずっとこんな風に感じていたわけではなく、10代のころはきちんと思春期らしく周囲の目線が気になっていたし、一時期はひとりの異性に異様なほど執心してしまっていたこともある。そういう時期を経て、だんだんと他者に対する関心と感情が薄れていって、正直なところとても楽になった。一方で、あらゆることに対する関心も前ほどは強くなくなって、感情自体が薄くなっている自覚もある。要するに、どうでもいいのだ。

感じたくないことも感じなきゃ

何も感じられなくなるから

宇多田ヒカル「誰にも言わない」

宇多田ヒカルは真理をさらっとメロディにのせてくるからおそろしい。

そんな風に過ごしていたから、自分のなかの怒りや悲しみの感情に気が付かないふりをしようとしていたけれど、いちど腹が立つと認めてしまえば、あとは何かしら発散をすればいいわけで、すこし気が楽になった。わたしは集団の中でも事なかれ主義でそつなく立ちまわることが美徳、みたいな典型的にダメな人間で、これからもそこから脱することはできないと思うけれど、せめて理不尽なことにはおかしいと抗いたい。

泥の船

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4年間の非正規雇用を経ていまの職場に採用されて、契約書の「雇用期間の定めなし」という文言を見たときは涙が出るほど嬉しかった。毎日定時で帰って、夏季と年末年始には当然のように1週間の休みがあって、自分がやりたいと思える仕事ができる。夢のようだなんて思っていたけれど、本当に束の間の夢だったようで、財政状況の危うさが少しずつ具体的に見えるようになってきた。組織の事情とは別に、ここ数か月の間に体調不良者のしわ寄せがくることが増えて、仕方のないこととはいえ、だからこそ少し疲弊している。その影響で思うように休みが取れないこともあり、いらいらする。顔はにこにこ、頭の中は罵詈雑言でいっぱい。

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できるだけこの生活を続けたいと思う一方で、ずっとどこかに行きたい。もう2回目の更新を迎えた部屋と、職場まで車で30分、休日は東京都内にも横浜・静岡方面にも出やすい立地は心底気に入っていて、もし職場が変わって、この生活を手放すことになるのはとてもいやだなと思ってしまった。愛着から執着になりつつある気配。求人や物件情報を見て、ここで働いてみたいとか、この土地のこの部屋なら住んでみたいとか、そう思えると安心する。もう先が長くないことがわかっているなら、見学もかねて転職活動をするのも悪くない。なにもかもに対する執着をすてていきたい。

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何もできない人間だと思っていたけれど、そこそこに仕事も生活もできるようになって、もう充分だなと思う。曲がりくねった山道を運転していると、標高が高いところでこのままハンドルを切らなければ死ぬかもしれないんだよなという考えが頭をよぎって、自分にはそうする勇気がないことを悟る。具体的に死にたいという気持ちがあるわけではなく、はじめから存在しなかったことになりたい。

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涅槃はまだ遠い。

WHAT'S GOING ON

自分では操作のできないランニングマシンに乗って、ただひたすら足を動かし続けているような夏だった。必死に走っているつもりでも一歩も前には進めず、ずっと息がきれている。

加速と減速を繰り返しながら、ペースをつかんだと思えばまた足が空回りして何度も転びそうになる。前を向いていなければバランスを崩しそうで、周りをふり返る余裕はない。

ここから降りるには、回り続けるベルトコンベアから飛び降りるしかない。

あるいは、足を動かすことを諦めて、追突へ向かう。

そう思えば、自分の意志とは裏腹に急停止をすることもある。束の間の休息。そしてこのランニングマシンを操作する何者かの存在を思い知る。特定の信仰は持たないが、すべては天上の大きな存在の采配に過ぎないという実感が、諦念と希望とともに湧き上がる。そんなとき、いつもceroの「orphans」がリフレインする。

神様の気まぐれなその御手に掬いあげられて

僕たちはここにいるのだろう

急停止ののち、またゆるやかに動き出したランニングマシンの上で息をととのえる。喉のあたりに溜まっていた熱がようやく解けて、肺まで深く息を吸い込めるようになってきた。気が付けば、このまま永遠に続くように思われた酷暑は鳴りを潜め、道端の草木も衣替えをはじめている。

速まった鼓動の名残は、得体のしれない焦燥感と倦怠感として身体にまとわりついたまま。空疎を埋めるように旺盛な食欲と消化不良で痛む胃腸をそのままに、外の景色は変わっていく。わたしはまたランニングマシンの上で、次の急加速をおそれながら、またどこかで期待しながら、足を動かす。

4月ごろから続いていた慣れない仕事に四苦八苦する日々がようやく落ち着き、必要以上の情感を込めて振り返る余裕ができた。知識も経験も不足した状態で、理解が追い付かないままメールの返信とスケジュール調整に奔走していた。忙しさに加えて、自分の要領の悪さにほとほと呆れるダメージも大きい。勝手に心の支えにしていた先輩の退職も重なり、せめて自分の意志で叶えられる望みくらいは、という気持ちから食べたいものを食べ、時間のあるときには行きたいところに行く、と好き勝手に遊んでいたら体重は約2kg増え、貯金は目減りした。

この夏は自炊をする意欲や気力がまるで沸かず外食や総菜に頻繁に手を出していたのも食生活が乱れる要因となった。暑さのせいとばかり思っていたが、仕事で段取りを考えながら連絡や準備を進めることに手一杯で、生活の中で段取りをこなす余力が残っていなかったのだろう。料理の楽しさは、肉に下味を付けてなじませる時間や、野菜の下茹で、コンロと料理道具の使い分けなど、段取りをうまくはめていくことに他ならない。自分のために献立やお弁当の彩りを考えることは、自分を労わることで、それは余裕がなければ到底できないことを思い知った。

自分が責任を持って進めなければ、という使命感からアドレナリンのようなものでも出ていたのだろう、休日も仕事のメール通知をオンにしてチェックしていれば十分に気が休まるはずもなく、9月に入って通知を切ってようやく、自分の消耗を顧みることができた。

しかし不思議なもので、さあいよいよ正念場という8月末に、祖母の訃報が届き、3日間の忌引き休暇を得た。報せを受けた日の夕方には家族と飛行機で福岡へ向かい、翌日の葬儀に出る。どうせなら、と葬儀のあとは福岡の町中に一泊して母と弟と博多を遊覧した。91歳の大往生であるから、悲しさよりも感慨(という言葉が相応しいかはわからないが)が大きく、うたたねをしている顔がどこか西田敏行に似ていて可愛いおばあちゃんだったな、なんて思ったりしていた。火葬を待つだけの時間、日常での忙しさの最中にぽかんと放り投げられた穏やかなひとときは、生きているものの都合のよい解釈であることは承知の上で、ギフトのようだった。

幼いころは家族に連れられて帰省し、どこへ向かうのかよく知らないまま車で連れられるばかりだったが、いまとなっては自分で行き先を決め、ルートを決めて運転することが普通になった。このように誰かに連れられ、バスや飛行機に運ばれていくということがとても久しぶりで、このことも先述の大きな存在への実感へとつながっている。

 

ROYALHOST 2023

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Saravah

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大好きな職場の先輩が退職することになり、寂しくてたまらない。いままでも退職される方を見送ることは何度かあって、しんみりはすれど、ここまでの寂しさ、悲しさは経験がなく、自分でも戸惑っている。

先輩とは映画や音楽、色々な文化の話をすることができて、それは仕事につながることから無駄話まで、私にとって計り知れないほど豊かな時間だった。毎日そんな話をする訳ではなくても、職場にそういう人がいる、というだけでも大きな心の支えとなっていたのだ。

このまま関係がなくなってしまうのがあまりに惜しく、挨拶に渡すお菓子に連絡先を入れようか迷いに迷って、結局入れなかった。10年くらい下の後輩に連絡先を渡されても困るだろうし、向こうに判断を委ねるのは姑息だと思った。それに、職場で隙を見て無駄話をすること、仕事を通じてパーソナルが見えることが心地よかったのであって、きっとこれを超えて友だちのような存在になることはないだろう。

後輩にも軽口を許してくれるような懐の深さと、臆面なく弱さを見せてくれる人間味と、たくさんの知識、思索、それゆえの愛すべき面倒くささがあって、いままでに会ったことのない人だった。たまに顔を覗かせるさびしさにも、同質のさびしさを持つものとして引き寄せられていたのだと思う。おこがましいし、勘違いかもしれないけれど、おなじ孤独のにおいを嗅ぎ取っていたのだ。

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明日から職場に行っても先輩がいないのかと思うと、あまりにも退屈でどうしたらいいかわからない。仕方のないことだけど、もっと一緒に働きたかったし、おしゃべりしたかった。

寂しくならないように、不確かなものや状態に愛着を持たないようにしていたけれど、気が付いたらあまりにも愛おしく、行き場のない思いばかりが募る。こうして書いてみても、実際の気持ちには追いつかず、戸惑うばかりでいる。恋愛とも、友情とも違う、言葉のない感情。ただ胸の辺りがぐっと押されるような苦しさ。息苦しさ。

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今生の別でもないけれど、たかが職場の同僚という関係性はあまりにも希薄で、離れれば無くなっていく。むしろ、だからこそ美しいのだと思う。きっと1年も経てば私もこの気持ちは忘れてしまうだろう。

元気じゃなくてもいいから、なるべく健やかで、穏やかな日が1日でも多くありますように。またどこかで会えたら積もる話でも。

永遠の無駄話

f:id:Vanity73:20230521133331j:image自転車で通勤していると、ちらほらと立葵の花が開きはじめていることに気がつく。朝顔に似ているから、真夏の植物という印象が強いけれど初夏が盛りなのだなと毎年思う。日に日に茎を伸ばしてたくさんの花をつける姿が夏の騒がしさを思わせる。栗の花の香りも漂いはじめた。勢いづいて萌える草木とともに、仕事も忙しさを増して目まぐるしい。

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昨年まではそんなこともなかったのだけど、ここ2週ほど続けて家に持ち帰って仕事をしている。自宅のノートPCはスペックも低くすべての資料を参照できるわけでもないので効率は低いが、多少は平日の業務の助けになっている。現状が苦痛かというと、案外と楽しく、好きでやっているという感覚のほうが強くて、自分でもこれが正しいとは思わない。でも、学生の頃から就きたかった職業に正規で職を得て、毎日忙しくしていることが嬉しい。それに休日は時間を持て余していて、いつも通り映画も見ているし、古本屋や喫茶店に出かける余裕もある。それでも休日は長いと感じる。

f:id:Vanity73:20230521134045j:image子どもの頃から自分は人見知りだということを盾にしてコミュニケーションを怠ってきた人間なので自分に期待するハードルが著しく低く、いま職場で業務に必要なやり取りをしたり、まして楽しく談笑したりしている自分がどこか他人のように思える。他者から見れば拙いことは承知の上で、よくやってるじゃん、なんて思う。恵まれた環境だからこそ、と調子に乗らないように自分を戒める。

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好きな映画や音楽の話をできる人もいて、おしゃべりできると嬉しい。もっとたくさんその人の好きなものや見てきたもの、考えていることを知りたいと思う反面、仕事の束の間だからこそ楽しいのかもしれないと思う。そして自分の話を聞いてもらえて、私の生活にはほとんどないことなので舞い上がっているのも感じる。とても危ない。自分のことを特定の相手に知ってもらいたい、聞いてもらいたいという欲求を持つことが、それを実行してしまうことがこわい。誰かの話を聞くことも、自分の話をすることも、すべて一方通行のままがいい。可視化されない交歓だけで満足したい。

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昔からほぼ無意識に公私をきっぱりと分けるタイプで、自分ひとりの時間や空間を守るようなところがある。それが、職場で対外的なコミュニケーションの域を超えた趣味の話をしたり、家で仕事をしたりしていると、その境目がどんどんなくなってきて、いままでどこか違う人間のように分たれてきた外と中の自分が、ひとりの人間として存在していることに微かな違和感を覚える。それは外で自分の話をしてしまうことが嫌なのではなくて、むしろ、それが楽しいと、他者とつながることのよろこびを知ってしまうことがこわい。それはどうしたって永遠ではないから。

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忙しいと言ったけれど、こんな暗くて仕様のないことを考える暇も体力もある。やるべき仕事と毎日の生活があり、気力も体力もある。ここ2ヶ月は体重が40kgを超えて戻らず悶々としてはいるけれど、それも仕事をしている間は忘れている。ごはんも美味しい。好き勝手に遊びすぎて貯金が目減りしていて焦ったりしているけれど切羽詰まってはいない。これまで生きてきた中でいまがいちばん穏やかで楽しくて幸せで、死ぬならいまだなと思う。死ぬ、というか、この状態のまま霧のように消えていけたら、と思う。でも悲しいかな私は肉体を持つ人間だから、今日も動いて食べる。明日の服と献立を決める。仕事の段取りも考える。そしてこの日々がすこしでも長く続きますようにと祈りながら眠る。

美しい夜と朝の風景について

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1日中雨の降った4月の半ば、お昼に新宿でウォン・カーウァイ『若き仕立て屋の恋』、渋谷でダニエル・シュミット『書かれた顔』、下北沢でVIDEOTAPEMUSICの即興演目「湖底」を見てから、車の少ない環七を抜けて自宅のある横浜方面のロイヤルホストへ。ドリンクバーといちごのヨーグルトジャーマニー、追加でコーヒーゼリーサンデーを頼んで、23時の閉店まで居座る。というのも、美しいと名高い閉店アナウンスを聞いてみたかったからだ。これはVIDEOTAPEMUSICのインタビューでも触れられていて、聞きに行くならば今日ほどうってつけの日もないだろうということで。

kakubarhythm.com

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私はいつも早寝早起きで、夜は遅くても20時には寝てしまう老人のような生活をしているので、ライブのような予定でもない限り起きていられないのだ。お昼に映画館で買ったウォン・カーウァイのパンフレットをめくりながらパフェをつつき、近くのテーブルで家族連れが話す海外旅行の計画をなんとなく聞きながら過ごす退屈な夜。ラストオーダーの22時半を過ぎると厨房からは片付けの音が響き始めて、居座ることが申し訳なくなるが、他にも2組ほどまだ帰る気配のないお客がいる。なんとなくそわそわしていると、閉店3分前についに流れ出すアナウンス。

ハイウェイを走る車のテールランプの光は

無数の赤い光の帯となって

暗い夜のしじまを流れてゆきます

明日の朝もまた コーヒーの香り

ロイヤルの香りを店内いっぱいに漂わせて

皆様のお越しをお待ち申し上げております

1日の終わりと始まりをこんなにも美しく彩ってくれる存在が他にあるだろうか。どの時間帯も、嫌な顔ひとつせず丁寧に接客してくれる店員さんもロイヤルという響きが相応しい。

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夜のロイヤルのあとは朝のロイヤルも味わいたいということで、別の日には6:30から営業している新横浜店へ赴いた。8時からのモーニングは以前行ったことがあるのだけど、いくつかの店舗では朝のビュッフェを提供しているのだ。駅ビルのホテルの朝食会場を兼ねていて、宿泊客に混じり席につく。店舗とホテルの真ん中に備えられた会場は照明を抑えた吹き抜けで、レストランともホテルとも違う不思議な雰囲気。

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和洋のおかずからカレー、ヨーグルト、フルーツ、パンケーキまでとりどりで、ロイヤルの醍醐味はおかずだろうと思いつつも、普段通りヨーグルトとフルーツを中心にお皿によそう。いくつになってもビュッフェはわくわくしてしまう。

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休日は4時半には目を覚まして活動を始めるので、出かける予定がある日は人の少ない時間帯を満喫するのが好きなのだけど、早朝でも空いているのはコンビニかマクドナルドくらいなので、こうして開いているのが嬉しい。来られるのはたまの贅沢といった感じだが、6:30にもロイヤルの香りを漂わせてくれる存在があることの美しさ。

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4月に入ってから目が廻るように仕事が忙しく、休日になると節制も節約も考えずに遊ぶようになった。今の職場に勤め始めて3年目になり、仕事はとても楽しくて人にも恵まれていて、経済的な不安もない。大学を出てから、アルバイト、嘱託職員、とこのまま非正規で食いつなぐのだろうかという不安がこびりついていたのが、少しずつ剥がれてきたよう。好きなようにお金も時間も使っていいのだと思えるようになった。遊ぶといっても、古本と古着と中古レコード、喫茶店ファミリーレストランが中心で、たまの贅沢にクラシックホテルやレストランに行くくらい。

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新年度すぐにあった緊張する仕事のあとには、憧れのAsako Iwayanagiへ朝パフェを食べに行った。8時でもほぼ満席だけど、洗練された店内と、カウンターで眺める美しい手捌きにうっとりと落ち着いた時間を過ごす。

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パフェの前には、まだ車の少ない早朝の246を抜けて、等々力渓谷を散歩した。人のいない薄暗い渓谷に、水の流れる音と草木の揺れる音、ときおり差し込む朝日に、束の間神聖な気持ちになったりする。私に必要な1日は朝の静かなほんの数時間で、あとはもう全部おまけ。午後からは、早く朝になって欲しくてさっさと眠ってしまう。たまにロイヤルホストで過ごす夜があればいい。

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