会者定離(えしゃじょうり) 会うは別れの始めなり 260128

私は、地域デビューが遅かった。
この地に移住しておよそ30年間は、近所づき合いをしなかった。
暗いうちに家を出て、暗くなってから帰る。
子どもがいないから、親同士のつきあいもない。
退職後、自治会総会で、紛糾する問題について発言してしまった。
それがきっかけで、地域ボランティアを次々に起ち上げた。
そして知り合いが、数十人に。
ところが、突然の別れが訪れる。
先日も葬儀に参加した。
90歳近い高齢女性、A子さん。
これまで、無宗教、キリスト教式、仏教式、いろいろな葬儀に参加した。
今回は、仏教式。
日蓮宗のお坊さん。
マイクなしで、会場全体に響き渡る大音声に圧倒された。
生前、ボランティアの集まりのあとは、
A子さんたちを自宅まで車で送っていた。
みんなは私のことを「デイサービス送迎車の運転手さん」と呼んでいた。
A子さんは、大勢の前での話がとてもうまかった。
柔和な顔で、戦争中の体験を話した。
私の運転する「送迎車」の中で、
A子さんが私に話しかけたことを思い出す。
かつて、私がボランティア内で衝突したB子さんについてである。
「B子さんに会った時、『シゼンさんはどうしている?』と聞かれたので、
『元気だよ』と答えたの。
そのあとに『私の亡夫もやさしい人だったけど、
シゼンさんみたいにやさしい人をこれまで見たことがない」と言ってやったよ」と。
いや~、まいった。
温和なA子さんは、B子さんを快く思っていなかったのだ。
B子さんをチクリと刺したのである。
A子さんは、こんなことを言う人だったのかと驚いた。
A子さんの遺体に、最後のお別れをした。
生前の面影が全くない。
それほど変わっていた。
きっと若い頃は皴がなく、こんな感じだったのだろうかとも思った。
しかし、エンバーミングという言葉も頭に浮かんだ。
複雑である。

生者必滅会者定離。
会うは別れの始めなり。
これからますます、別れが多くなっていくことだろう。