
「三年寝太郎」……絵本の挿絵のような、ごろんと寝転がっている可愛らしい像を想像して行ったんですけど、違いました。寝てませんでした。しかもキャラクター的にデフォルメされたものではなく、リアルなお年寄り姿です。七福神の一行に混じっていても違和感の無い雰囲気を醸し出しています。
昔話の「三年寝太郎」のイメージに合いません。

∞昔話「三年寝太郎」∞
日本昔話で有名な「三年寝太郎」は、全国的にいくつかのバリエーションがある民話です。
寝てばかりいた若者が、大きな岩を動かし川をせき止め田んぼに水を引く話。
寝てばかりいた若者が、知恵を働かせてお金を儲け、それを元手に灌漑を行う話。
寝てばかりいた若者が、うまいことやって長者の後継者となる話(御伽草子の物くさ太郎に似ている?)などなど・・・。
共通するのは、「寝てばかり(周囲には怠け者と思われている)」⇨「大きなことを成し遂げる」でしょうか。
∞厚狭の寝太郎∞
漢字限定ならば日本で一番長い市町村名の山陽小野田市。その山陽小野田市の厚狭地区には、他の地域とはひと味違う、地元に根付いた三年寝太郎伝説があります。
厚狭の三年寝太郎のあらすじ・・・・・・本当は、そのまま文章を拝借して載せる方がいいのでしょう。でも、このブログは「4コマ」を主としているので、勝手ながら、このブログ風の4コマに編集させていただきました。

※ワラジから砂金は、金山のある佐渡で集めたワラジには金混じりの土がついていたという意味です。(R6.9.13 12:27追加)
寝太郎君、寝太郎らしく三年寝てますね。
しかし、波瀾万丈な冒険譚が挿入されているとは言え、他の地域の寝太郎とそう大きく変わらないような・・・?
いえいえ、厚狭の寝太郎は違います!
何が大きく違うかというと、寝太郎が造ったと言われる大きな堰と水路が本当にあるんです。「昔々あるところに・・・」ではないんです。「ほれ、あの堰、その水路。それ、寝太郎さんが造ったやつ」なんです!
∞寝太郎像の説明文∞
厚狭駅前の寝太郎像の下には、説明文がありました。
1842年(江戸時代)に書かれた「風土注進案」を要約した物と思われます。
どういう内容かというと・・・・・・こちらも、勝手に4コマにしてみました。

寝太郎君、お年寄りです!
駅前の寝太郎像に近いイメージです!
ワラジも千石船も佐渡島も無し。シンプルな話です。おとぎ話感薄いです。
原文の方だと、県(領主?)に報告して工事を行っているようで、そこら辺も現実的だなと感じます。
でも・・・・・・よく寝てたんですよね?
「像、寝てないっしょや!」って思ったら・・・・・・「風土注進案」のさらに100年前に書かれた「御国廻御行程記」にも寝太郎らしき記述が!
∞「御国廻御行程記」の寝太郎∞

寝太郎君、「寝太郎」ではなく「祢(禰?)太郎」です。
「寝てばかり」要素がどこにもありません。
最初に紹介した佐渡へ行くお話は、いかにも民話、子ども向けの「昔話」という感じ。一方、この祢太郎の話は、昔話ではなく「言い伝え」という感じがします。
もともと、「祢太郎が堰を造った」という言い伝えがあり、それに「寝る」などいろいろな逸話がプラスされ、今の民話「三年寝太郎」になったと思われます。
∞それで、寝太郎って誰?∞
今も千町ヶ原を潤している堰と水路ですが、いつ、誰が造ったのか公式な記録は残っていないようです。膨大な金銭も労働力も使った事業であろうにも関わらずです。
1592年頃の千町ヶ原は沼沢地だったようです。それが、1625年と1686年の千町ヶ原を含む検地帳では、116町(115ha)ほど水田が増えているそうです。ひょっとするとこの頃に千町ヶ原の開拓があったのかもしれません。(参照:日本建設業連合会「建設の碑」寝太郎の像)
※関ヶ原の戦いが1600年、1687年5代将軍徳川綱吉の生類憐れみの令。
※115haは(東京ディスニーランド×2)より広い。
戦国末期~江戸時代初期に、米という重要な生産物に関する事業が行われたにもかかわらず、記録が残っていないというのはなんだか奇妙な気がします。当時の米は単に食料というだけではなく、国力の指数でもあったはずです。
もちろん、その前に灌漑が始まっていて、結果が出始めたのがその頃という可能性もあります。なにしろ人力ですから、世代をまたいで完成していくことも不思議では無いです。
また、基準を統一して全国規模で実施した太閤検地(田畑の面積、石高、境界などを調べる)は1582年開始です。つまり、それ以前は各国独自の検地です。正確に行われていたかどうかはわかりません。田んぼがあること、ナイショにして報告しなかったという可能性だってあります。
すぐそこに存在しているのに、謎に包まれた寝太郎堰と寝太郎用水路。
当然、それを造ったとされる寝太郎も謎に包まれています。
ネットを検索すると、寝太郎の正体についていろいろ論じられていました。大内氏の家臣じゃないかという説や、特定の人物をさしているわけではないのではないか等など、いろいろな説が出てきます。
読めばどの説も「なるほど!」と思います。いろいろな姿の寝太郎が浮かび上がってきます。
∞厚狭駅前の寝太郎像∞
結局、正体不明の「寝太郎」。
では、厚狭駅前のリアルな寝太郎像。あのモデルは誰なのでしょうか。
「風土注進案」「御国廻御行程記」を読むと、寝(祢)太郎が死後、権現(仏や菩薩が人々を救うために神の姿となって現れること)や、地主(土地神)として祭られたことが記載されています。
この寝太郎が祭られた場所もしばらく不明だったようです。ところが、昭和3年に千町ヶ原の端の方にある円応寺で、麦束と鋤を持った木造が発見されました。これが寝太郎のご神体ではないかと見られています。
厚狭駅前の寝太郎像は、その像をモデルにして造られたようですね。
公的記録に残っていなくても、間違いなく存在していた「寝太郎」。
あの像は、その偉業に感謝し尊ぶことを忘れなかった人々の祈りが具現した姿と言えるかもしれません。
∞参照∞
千葉大学「寝太郎伝説の深層構造」
山陽小野田市ホームページ
寝太郎伝説研究会
永山酒造「民話三年寝太郎」
山陽小野田市観光マップ
山陽小野田市わおマップ
厚狭駅周辺町あるきパンフレット
「古地図を片手にまちを歩こう」のガイドさんお話
日本建設業連合会「建設の碑」
厚狭吉亭日乗・神戸残日録
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