『死ぬことは最期を生きること。』
by"看取り"訪問診療クリニックのドクター🧑⚕️
もうずいぶん前の話しなのだけれども、うちの地元近辺にある、とある有名なクリニックのお医者様🧑⚕️のことがテレビで特集されていた📺👀。地方の局のドキュメントとしては秀逸だったらしくて、なんとかかんとか賞🏆を取ったらしい番組だった。そのクリニック🏥は『最期を自宅で過ごしたいと考えている、主に終末期の癌患者の人たちの希(のぞ)みを叶えるための訪問診療』をやられているところだった。これは完全に"医療"の領分のお話で、俺の側の"介護"の領分とはだいぶかけ離れたことの話だったんだけれど、その中でそのお医者さんが言っていた言葉が印象に残っている。
『死ぬことは最期を生きること』。
『おうち🏠はアトリエ、病院(施設)🏥はギャラリー』。
もう"治療"という段階を終えた人たちの"終わり方"に寄り添う....一緒くたに捉えることは間違っていることなのだろうけれど、現状..どんな状態であれとにかく限界を超えて"延命"すること👴👵が使命である環境に身を置くものとしては、とても興味深い内容であった。美しいとすら思った。『とにかくどんな状態であれ生きていさえすればいい』←これが常識で絶対正義の"ふつうの人たち"..尚且つそれを『美談』に仕立て上げることに違和感..というかグロテスクさを感じる俺のような外道からすると、死を迎える、死を受け入れることを許容するというのは、人として..以前に生物🪼として自然なことのような気がするのだけれど、あまりにあまりな高齢者介護界隈(じごく)の最前線で10年弱這いずり回ってきた今となっては、なにかもうよくわからない。僅かでも自分の手を動かすわけでもなく、数ヶ月に一度程度(いやもっとか🤔)にちょこっと顔を見に来て、まるでペットにでも接するように接して"何かを成し遂げた感"を出しながら、やたらと偉そうに振る舞うバ..ご家族様やら、熱い情熱?高い志?だかを全面に押し出して日々感動ポルノを叫びながら"枯れ木に水を注ぐ"ことを至上の使命にしているうんこ拭き💩(介護職)や阿呆看護師たち。何ヶ月も何年もオムツを当てられて管(くだ)だらけにされながらベッド🛌に横たわり続ける寝たきり老人たち。自分の考えが狂っていることは自分でも承知しているが、これこそまさに生命に対する冒涜ではなかろうか❓なんてふざけた戯言をつらつらと考えている💭。現実に見向きもしない家族や世間や政治屋や、つまりありとあらゆるクソ日本人共🇯🇵がこの現実を自分の目で目(ま)の当たりにしたならば、"違うやり方"や"終わり方"も考えられなくないだろうか🤔❓
完全に切り離されて、『無いもの』として扱われている"死"とかいうものが、人々の生活の中に、日常の目の触れる範囲に戻ってくれば現状の"人生の最期"のやり方も変わってくるのではないか❓クソ気持ち悪い精神論と綺麗事に塗り潰された他人任せの延命と"終わり方"もなにかもうすこし上手いやり方があるのではなかろうか❓
少なくとも、あなたやあなたの家族の生と死が『誰かの金儲けのこやし』になりませんように。そしてその為に苦しむ人がもうこれ以上増えませんように。それに気付けますように。なに言ってるかわからないだろうし、なに書いてるかももうわからないけれど、とりあえずまぁお酒でも飲もうそうしよう🍺🍶🍷🍸。
『死とは生の自然な一部である。新芽を養う腐葉土がなければ、すべて枯れてしまう。』
byベラドンナのドライアド
fin.