私は今、勤め先の企業で、自ら立ち上げた事業の運営をしている。新規事業、と言うにはいささか時間が経ちすぎた。リリースしてからもう3年以上経過しているからだ。細々とではあるが、なんとかのらりくらりとサービス提供を続けることができている。
提供しているサービスについてこれまでブログで具体的には触れたことがなかったが、私が手がけているのは社会人向けのキャリアコンサルティングサービスだ。取引先にオンラインのキャリア支援室を設置して回る。そんなイメージで差し支えない。似たようなサービスは世にごまんとあるが、弊社の業界がニッチなため、サービスの提供先に特殊性があるといった感じだ。
私自身はクライアントに対してキャリア面談はしない。キャリコンの国家資格も持っていない。私がしていることは、キャリコンを集めて、面談希望者とキャリコンの日程をマッチングするためのシステムを開発させて、それを顧客に売ることである。サービスを直接提供しないが、サービスの仕組みを設計し、提供できる形にした。アイドルのプロデューサーが必ずしも元アイドルである必要はない。人を熱狂させることは自分にはできないが、人を熱狂させることのできる人を世に知らしめることはできる、みたいな感じ。我ながら貧困な例えである。
キャリア面談の利用者からのアンケートを読むと、面談を通じて行動変容が起き、望む成果を手にした人が出始めていることを実感する。この事実は、事業として利益を積み上げたり、社内外から評価されたり、業界から注目されることよりも遥かに嬉しい。自分が始めたことで、他者の人生を変えてしまった。大袈裟な言い方をするとそんな実感がある。自分が行動しなければ、生じなかったかもしれない未来。未来を変えたのは面談の利用者本人だけれども、その相手に「分岐点」を提供したのだ、という手応えを一つ一つのエピソードから感じ取り、心が弾む。
現時点での私は、この事業を世に広めることに夢中になっている。これが仕事なのか趣味なのかは良くわからない。自分が没頭したいことに没頭しているだけなのに、会社が勝手にお給料を支払ってくれるという状態。なんて幸せなのかと思う。「働いている」という実感はとても乏しい。
私は、社内の人脈作りや営業への同行、未取引顧客へのテレアポ、企画書や事業計画書の作成、イベント実行、社内のリソースを分けてもらうための稟議や交渉、利害対立する部署との小競り合いなど、ありとあらゆる仕事というか雑務に勤しんだ1年を過ごした。かつての私ならどれも敬遠していたはずだが、自分の夢中になれる対象が見つかった途端に奉仕を惜しまないというのは我ながら現金な人間である。
出る杭を入念に叩き潰すのが社是である勤め先において、新しいことをやり始めるというのは社内で敵を作ることばかりで、私自身の出世という意味では悪影響しかない。また私自身のビジネスパーソンとしての専門性の磨き上げもそっちのけだ。個人の人生だけを捉えれば、このような時間の費やし方はリスクでしかない。しかし今は、自分の構想を実現することに自分の時間と労力をありったけ投じ切るという勝負に出たい。人生でこんな機会はそうそうあるものではない。中途半端に保身と両睨みでは、二兎を得ず、という結末になりかねない。
生成AI、プログラミング、専門職の資格。私の周囲の人間は、手堅く効率よくお金を稼ぎ、職を安定的に確保するために、そういった技術や知識の習得に時間を費やしている。私も食いっぱぐれないために、そういう「手に職」をつけたほうがいいに決まっている。
一方で、それらの技術や知識はどれも「誰かの夢を叶えることに自分を使う」ということになりやしないか、とも思っている。というのも、まさに私がやっている事業に手を貸してくれる仲間たちが、「生成AIやプログラミングや専門職の資格」を駆使して、サービス提供を実現してくれているのだ。力を借りておいてなんだが、構図として彼ら彼女らは、私の夢のために使われている格好となる。私の事業は彼ら彼女らの夢そのものではないはずなのに、だ。
私は、「他人の夢を叶える」ことで対価を得る→そのために「手に職」をつけるという生き方ではなく、「自分の夢を叶える」→そのために「手に職」をつけた人を手当たり次第に仲間にしていくという生き方を選んだ。手に職をつける技を磨く時間を犠牲にして、手に職をつけた人を味方につけるための技を磨いてきた。
AIに指示を出すのをプロンプトと呼ぶのならば、私がやっているのは一緒に働く仲間に対してプロンプトを書いている、ということになる。AIはプロンプトの筋さえ良ければ素直に作業してくれるが、人間はそうはいかない。「私のやってもらいたいことをあなたが実現できると社会に何をもたらすことができるのか」という意味づけをして情熱を焚き付ける必要があるし、相手にとっての利益を明確にして動機づけもしなければならない。それも作業できる環境やタイミングを見極めないとうまくいかないし、相手の抱えている懸念の解消なども手伝ってやる必要がある。こうしていろいろ手間暇かけて初めて「実行」してくれるのだ。
これらの仕込みは大変骨の折れる作業である。飯をおごるのに数十万費やしたし、仕事とは関係のない、相手の関心事にも向き合った。裏切りもたくさんあった。それでも人と交わることをやめなかった。
もちろん与えるばかりではない。積極的に人を知っていくことで、自分自身の発想が刺激されて新たなサービスに繋がることもあった。相互に影響を与え合う関係になることで、人は持続的に力を貸してくれる。大切なのは対等性だ。対等な関係を築いて初めて「同志」になれる。そこまで関係が深くなれたら、人は簡単に裏切らない。社内では未だに私の足をすくい牙城を崩そうとする抵抗勢力もたくさん存在するが、武田信玄よろしく「同志」たちが容易には揺るがない「石垣」として事業を支えてくれ、地盤が強固になっているのを感じる。
世の中にはAIやロボットが解決してくれる問題もあるだろうが、人間が人間の力を使って解決するしかない問題も山ほどある。そういう問題に立ち向かうためには、たくさんの人に実際に行動してもらう必要がある。問題解決の手法としてAIに慣れ親しむのは、手軽で効率的な半面、段々と「生身の人間に動いてもらう」ことが苦手になり、煩わしくなってくるという副作用があると思う。
人々がAIに慣れ親しみ、生身の人と向き合う経験を減らせば減らすほど、「人間にプロンプトを書く」という私の能力は「希少」なものになっていく。この能力が「貴重」なものになってくれれば私も食いっぱぐれなくて済むのだが、果たしてそうなるかは今のところ見通しが立たない。残念ながら「人を動かす力」が陳腐化した時代が到来した暁には、こんな戯言を書いていた人間がいたなぁと笑い飛ばしてほしい。
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by マイナビ転職