昨日はオンラインアポ。事前に、「従業員に健全な危機感を持たせられる研修」を提案してほしいと言われていた。
私はそのお題を聞いて、「このご時世、いついかなる理由で会社が首切ってくるかわからないので、食いっぱぐれないようにどこでも働けるようなスキルの習得や、経験学習への動機づけをすりゃええんやな」と思っていた。いわゆるエンプロイアビリティとかいう類の話だ。
しかし蓋を開けると、全くそういう話ではなかった。
「むしろ、そういう個の時代と叫ばれる今だからこそ、自分のことばっかり考えるのではなく、会社全体を俯瞰で見て、変化の激しい中でも会社が生き残れるように、会社の成長や発展に当事者意識を持ってもらいたい」
担当者の希望はいわゆる経営者目線の醸成と言われるやつだった。
自分の利益よりも組織の繁栄を優先し、自分1人ではできないようなスケールの大きい施策を構想し、部門単位で動く企画を立て、たくさんの人を巻き込むリーダーシップを発揮して欲しいというのが担当者の描くゴールイメージだったのだ。
そんな壮大な計画がたかだか2時間の研修で実現するわけがないということは一旦脇に置きつつ、「健全な危機感」というお題の主語がまさか「組織」であるとは。その可能性は微塵も頭をよぎらなかった。個人がどうサバイブするかだけが重要で、企業はそのために利用するツールにすぎないでしょ、とみなしていた私としては、組織への忠誠心や貢献の喜びが全く想像できなくなってしまっていることに恥ずかしさを覚えた。
会社の成長や発展を我がことのように喜べる無邪気さはとうの昔に失ってしまった。そんなことに力を注いでも、役職も給料も上がらないで、成果という果実だけ搾取されるだけだ。昨日話した顧客の組織では、「組織に貢献したら必ずよく接遇される」という幻想を未だに抱き続けていけるほどには、上司や経営陣を信頼できているということなのだから、大変羨ましい限りである。
しかし、である。
では、なぜ、私に相談に来ているのか。
その幻想が成立しているのならば、「健全な危機感」や「当事者意識」の欠如という問題は起きないはずで、それらを喚起する研修を社外にオーダーする必要もないはずではないか。ならば、その気持ちを挫く負の要因が必ずあるはずで、まずはそこを見つめ直すべきではないか。その自省無くして、意識のない者に「意識を持て」と凄むのはあまりに芸がないではないか。
それでは何が負の要因なのか。
それは冒頭の「自分のことばっかり」という担当者の発言にあると思う。
具体的な事象は聞いてないが、どうせ「部署内でトラブルがあっても手伝うでもなく定時で帰る」とか、「自分の利益の主張ばっかりで、チームの輪を乱す」とかそういう類の不満だろう。
それを「わがまま」と切り捨てて、耳を傾けないから、従業員も会社を大事な存在として扱わないのだ。
定時厳守で帰るのは、半年前から楽しみにしていた推しのライブがあるからかもしれない。
自分の利益ばかり主張するのは、パートナーの締め付けが厳しく仕事で融通を利かせられない環境にあるのかもしれない。
さらにその先には、なぜ推しに傾倒するのか、なぜパートナーとの立場が不均衡なのか、とずんずん掘り進んでいける。すると、なにかトラウマやコンプレックスや思い込みや悩みに突き当たる。その苦しみに寄り添うことで、その人は「自分ばっかり」と指弾される自分の問題が軽くなり、周囲に視野を広げる余裕が出てくる。そこまで付き合って、人ははじめて仲間になってくれるのだ。
「自分ばっかり」になってる人にそこまで寄り添えないよと思うかもしれないが、実はその人も「自分ばっかり」になっていない。「うちの主人はパチンコばっかり行ってちっとも家事を手伝ってくれない」と愚痴りたくなる気持ちも分からないでもないが、その主人の脳内にあるのはパチンコのことばかりで、自分のことではない。自分の関心に向き合うのと、自分自身に向き合うのは厳密には違う。自分自身の生き様を直視するのがつらいから、関心のある自分の外の何かに逃避しているにすぎない。不満をこぼす前に、パートナーとして、相手が自分自身と向き合うことに寄り添えているか自問してみるのが良いと思う。そうすれば、相手の人生の中で本当に大切なものはなにか、それを大切にすることを示す行為はなんなのかが整理されて、結果として自らの意思で家事をやり始めるかもしれない。
まあ、そんなことを商談相手に伝えるほど、自分にとって大切な人ではないので、商談では黙っておいた。自分が寄り添いたいと思える相手に出会うというのは難しいものですね。