「お前は思いやりがない」「甲斐性がない」と事あるごとに妻から言われる。口論している時ならまだしも、関係が平穏な状態であっても雑談の中に混ぜ込んでくる。私はこれが本当にストレスだ。
文脈上どうしても不可欠な内容でもないのに、わざわざその要素を会話に盛り込もうとするのは、侮辱して嘲笑する以外の意図を感じない。
そうやって私の価値をいちいち下げて、抑えつけていないと気が済まないくらい、不愉快な存在と見做されているかのようだ。
単なるいじりで、こんな軽口も許されないなら会話のタブーが増えて窮屈だ、神経質すぎる、これが西の文化なんだと妻は言うが、なぜ対話の相手の性質をおちょくる話「から」始めないと会話できないと言うのか。自分の攻撃性や精神の捻くれ具合を顧みて恥じたらどうか。自分の性格の悪さを「西」という曖昧な地域概念で正当化するあたりも「西」の人たちに失礼だと思う。
もちろん「東」の人も同じような感情を他人に抱くことはある。でもそれを口外することは相手に対して憚られる、と内心に留め、感情を脇に置いて対話をすればいい話だ。その感情が発生したら皆軒並み性格は悪いのだから、あとは言うか言わないかの差でしかない、と妻は考えるのだろうが、言ってしまうまで制御できないやつが性格悪くて、心に留めておけるやつが性格いいに決まってるだろ。それを陰気だとか何考えてるかわからん不気味なやつだとか言って、自分が変わらなくて良い楽な方向に他者をひきづり込もうとする魂胆は見え透いている。「東」の人だってなんでも黙ってるわけではなく、他者への批判が不可欠な局面で妥当と思える主張内容の時はちゃんと言える。ただ自分のむしゃくしゃした感情をすっきりさせるためだけに、口撃という形を通して他者を使ったりしないだけだ。この辺がわからない妻との暮らしはほんと絶望しかない。
子どもが妻の真似事をして友人から敬遠されないことだけを願う。