このクソ暑い日が続く中で、泊まりでレジャープール&遊園地に行ってきた。真夏に宿泊を伴う屋外レジャー施設に行くのは3年連続。常軌を逸している。
なんでこんなイかれたルーティーンがあるかと言うと、次女の誕生日が8月で、次女が必ずアミューズメントパークへの宿泊を希望するためである。そんな無茶振りを律儀に叶え続けるあたり、勤勉な両親だと思う。
自分が幼少期に遊園地やプールに連れて行ってもらった経験がほとんどないためか、心の底から楽しいと思う感覚は正直よくわからない。衛生的かどうかも信頼できない無数の他人と巨大な水槽を漂い続ける快楽もわからないし、遠心力と慣性で振り回す機械に身を委ね続ける歓喜もわからない。
灼熱に身を焦がすまいと日焼け止めをせっせと塗り完全防備の服装をするくらいなら初めから外に出なければ良い。汗だくになって少しでもクーラーの効いた空間を求めて徘徊するくらいなら初めから外に出なければ良い。見ず知らずのところに行ってストレスを覚えたあとで自宅の心地よさに安堵してみたり、わざわざ何時間も歩いて肉体を酷使した挙句に大浴場で疲労を癒してみたり、高いだけのマズい飯を食わされた後で自炊のメシの旨さに感動してみたりと、日常の素晴らしさを感じるためにあえて不愉快な環境に身を置くというマッチポンプである。
わざわざお金を払ってマイナスの要素を人生に生じさせて、それをブラスに転じさせる回復行為にさらにお金を投じる。レジャーというものは突き詰めるとこんなサイクルであってバカバカしいことこの上ない。けれども、じゃそもそもはじめからマイナスの要素を人生から排除していったら良いじゃないかと、一つ一ついらないことを潰していくと、最終的には自分自身の存在が不要であるという点に行き着く。
ゼロの状態というのは心電図が中心線の上にも下にもブレない、つまり心停止を意味する。人生にマイナスを持ち込まないというのは、生きながら死んでいる状態なのだ。オレ死んでるわと自覚した瞬間、人は狂う。頭を狂わせたくないので客観的には狂った行為としか思えない炎天下の行軍に繰り出すのだ。それゆえレジャーに興ずるというのは合理的な判断なのだと言える。人生そのものに意味がなく、しかもいずれ潰えて無に帰すという無慈悲な現実と折り合いをつけて生きていく為に人類が編み出した発明なのだ。というか結婚も国家も宗教も戦争も、全ては人類の壮大な暇つぶしのための発明にすぎないのかもしれない…
どうやら脳が太陽熱でやられたようだ。しばらく安静に努めることとする。